Special story

日本の技術力で、Fire-Kingを復刻させる

今回は『Job-labo』特別企画として、2011年に『Fire-King(ファイヤーキング)』を復刻することに成功した、日本のモノづくりの職人さんにお話をうかがいました。1940年代、良きアメリカン・カルチャーの一つの象徴となり、世界中で愛された『ファイヤーキング』。1976年に惜しまれつつ生産中止になったものの、約35年の眠りを覚ましたのは現ファイヤーキングジャパン代表取締役の井置氏の熱い想いと日本の職人の技術力でした。今では日本でしか生産していない『Fire-King』復刻のストーリーに迫ります!
(写真は、Fire-King×SURUGAbankオリジナルバージョン)

アメリカ文化の象徴Fire-Kingとは?

Fire-kingマグカップ

『Fire-King(ファイヤーキング)』は、米国生まれの耐熱ガラス容器ブランド。1905年にオハイオ州ランカスターに創業したガラスメーカー「アンカーホッキンググラス社」より、1942年に誕生しました。

 発売以来、そのずっしりとした温もりのある質感や、キャラクターなどを使用したユニークなデザインが話題を呼び、良きアメリカの文化を代表する一つのシンボル的存在に。世界中の食卓を彩る存在として、永く愛され続けました。

 高い人気を誇っていたものの、1976年になると惜しまれつつも生産が中止に。そこからは、愛好家たちのコレクションの対象となりましたが、ファンが多い日本では、復刻を望む声が根強くありました。

 2011年、現在ファイヤーキングジャパンの代表取締役を務める井置氏の熱い想いが米アンカーホッキンググラス社を動かし、日本での再生産に向けて動き始めることになりました。

 透明感があり、独特のやさしい風合いと存在感をもつミルクガラスは、アメリカ国内では、現在生産していないため、日本で製造が可能な会社探しからスタートしました。しかし、ミルクガラスの“『ファイヤーキング』らしい風合いを忠実に再現する”ことは非常に難しく、数々の大手ガラスメーカーがチャレンジしては断念するという結果に。復刻はとても厳しい状況となりました。

不可能を可能にした、東北の老舗ガラス工場

Fire-kingマグカップ

 それまで多くのガラスメーカーが、ミルクガラス特有の色や質感を出すことができず、また原材料の微妙な配合が難しく、高い耐熱性によって原料を溶かす坩堝(るつぼ)に作業の過程で穴があいてしまうなど再現がうまくいかず、断念していました。そんななか、東北地方にある老舗ガラス工場の熟練の職人たちが、いく度もの試作を繰り返した結果『ファイヤーキング』らしさの再現に成功。そのときの想いを、開発を手がけた熟練の職人はこう振り返ります。

「『ファイヤーキング』の存在は知っていましたが、じっくりと実物を見たのは初めてでした。独特の質感と色合いがあり、正直最初は、これを再現するのはなかなか大変だと思いました」

 しかし、「一つのガラスをつくるのに、千回の調合が必要」と言う熟練の職人たちの熱意と粘りが不可能を可能にしました。