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イベントレポート

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2012年10月9日(火) 19:00~21:00

大久保 智生(おおくぼ ともお) / 香川大学 教育学部 准教授

現代の青少年は社会性が欠如しているのか

近年、"子どもや若者が変わった" "危険である"という声をいたるところで耳にする。子どもや若者をめぐる問題や事件は数多く報道されており、彼らに対するイメージは否定的なものになってきているのではないだろうか。こうした報道では、過去と比較して悪化した事柄が話題となり、「昔の子どもや若者はよかった」といわれているが、果たして現代の子どもや若者は昔の子どもや若者と比べて本当に変わったのか。今回は青少年の社会性に注目し、現代の青少年は社会性が欠如しているのかについて、最新のデータをもとに解説していただく。日本の未来を担う青少年の社会性について一緒に考えてみませんか。

学生との対話から生まれた研究

「最近の子どもや若者は変わった。コミュニケーション能力が低く、規範意識も希薄化している。その証拠に少年犯罪が年々増加し、凶悪化している。」

こう聞いて「そのとおり」と頷く人は少なくないだろう。しかし、その情報はどこからもたらされたものだろうか。この一見とおりのいい「言説」に疑問を投げかけているのが、今回講師としてお招きした香川大学教育学部准教授の大久保智生氏だ。
大久保氏の専門は心理学。現在は教員養成の授業をしながら「学校支援地域本部事業に関する研究」「万引き防止対策に関する研究」「教育心理に関する言説の検証」などの研究を行っている教育心理学、発達心理学、犯罪心理学のエキスパートだ。
その大久保氏が「青少年の社会性の欠如」という言説に興味を抱いたのは「教え子である学生との対話がきっかけだった」という。常識を覆す衝撃的なセミナーはそのときのエピソードから幕を開けた。

6年前、香川大学に赴任して1年目のことだった。学生たちと研究テーマについて討論していたとき、ある学生がこんな話をした。

「いまの子どもたちはゲームばかりやっていて外で友達と遊ばない。だから社会性が欠如している。規範意識も欠如している。」

自信満々でそう語る教員志望の学生を見て、大久保氏は違和感を覚えた。なぜならば、自分が学生時代に塾でアルバイトをしたとき、ちょうど教えていたのがこの学生と同世代の小学生たちだったからだ。塾の先生たちはアルバイト講師の大久保氏に「いまの小学生は問題が多くて危ない」と言っていた。だが数年たつと、その「危ない」子どもだった学生が「いまの子どもは危ない」と同じことを言っているのだ。もっと遡ってみれば、大久保氏たち自身もファミコン世代で当時の大人たちからは将来を危ぶまれた世代である。はたして子どもや若者というのはそんなに短いスパンで変わってしまうものなのだろうか。不思議に思った大久保氏は「なぜそう思うのか」と学生に問いかけてみた。

「青少年の社会性が欠如しているのか」

返ってきた答えは、「テレビで少年の凶悪犯罪が増えていると言っていたから。」

確かに、ニュースや新聞を見ると、過去10年の統計などをグラフにして見せながら「少年が父母を殺害する事件が増加している」といった報道が目立つ。だが大久保氏はそれが「よくあるトリック」だと指摘する。実は、マスコミが引用しているのは過去10年ほどのデータ。それだけ見ると折れ線は上昇しているように見えなくもない。しかし、過去数十年前までのデータを精査してみると、むしろ少年の凶悪犯罪は減っているのだ。このことは、研究者の間で非常に有名な話であるが、一般には広まっていないのだ。

「こんなふうに世の中は間違った言説がまかり通っているんです。」

参加者は皆、ここまででも目から鱗が落ちる思い。小気味よい話はときに笑いをまじえながらさらにつづく。

「では今の子どもたちは本当にコミュニケーション能力や規範意識が欠如しているのでしょうか?」

調査の結果、出た答えは「ノー」だった。「向社会的スキル」「引っ込み思案行動」など、どれを比べても現在と過去に大した差はない。規範意識にしても過去と比較してみると、ほとんど変わらずか、むしろ現在の方がよいという結果が出た。
これを知ってがっかりしたのは、「今と昔とでは昔の方がよかった」ということを前提に対策を講じようとしていた人たちだった。人は感情からつい「最近の若者たちは」と言いたくなる生き物だが、データは見事にそれを否定していた。「昔の方がよかった」と言いたかった人たちは「困った」と頭を抱えたという。

実は今日の最大のテーマはここにある。この一例が示すように、大人はなぜか「最近の青少年は社会性が欠如している」と思いたがる。ではなぜそういう見方をするのだろうか。

コミュニケーションは相手と自分の問題

そこには「大人は子どもたちの社会への不適応の原因を子どもの側だけに見てしまいがち」という問題がある。大人の多くは「子どもたちが変わってしまった」と嘆く。が、これは落とし穴だ。ここには大事な視点が欠けている。

「コミュニケーションというのは双方の問題。変わってしまったのは子どもの方ではなく大人である自分の方かもしれない。そこを多くの大人は忘れている。」

人間は歳をとれば変わる。それを忘れて、なにもかも「子どもの心の問題」であると決めつけるのはおかしい。なのに、大人たちはその視点を変えようとはしない。

「なぜならば、その方が楽だからなんです。」

子どものせいにしていれば、大人は自分を振り返らずに済む、自己を否定せずに済むのだ。
そしてもうひとつ、この見方には一部の大人にとって利点があるのだという。

「コミュニケーション能力や規範意識を高めましょう、というと個人の問題に落とせるので個人の責任を問う対策を立てやすいんです。さらに、スローガンとしても響きがいい」と同時に、その対策をプログラム化して商品に変える専門家たちもいる。これがまた教育現場では「ウケている」という。マスメディアにしても「危機」を訴えた方が商売になるのでこの言説をやめようとはしない。

「でも、実は社会への不適応に特効薬などないんです。」

参加者に、大久保氏はこう語りかけた。

「それよりも今自分の目の前にいる子どもたちと関わること。問題は子どもの内面だけにあるのではなく、自分自身や社会にあるのかもしれない、そう考えることが必要です」

子どもたちに社会性が欠如しているかどうかは、極端な話「どちらでもいい」。現実にその在り方は変わっても現代の子どもたちは人とコミュニケーションをとって生きている。間違った言説に惑わされないためには「子どもや若者だけに注目するのではなく、社会に注目することが大切だ。」
なかば一般常識と化していた「社会性の欠如言説」をひっくり返してみせたこの日のセミナー。講義につづく質疑応答の時間には、参加者から「頭が洗濯されたみたいで気持ちいいです」という感想が聞かれた。

最後は講師に今後についての質問。

「月並だけど、研究だけでなく実践を通して社会の役に立つ心理学者になりたいですね」

力強く「夢」を語ってくれた大久保氏だった。

講師紹介

大久保  智生(おおくぼ ともお)
大久保 智生(おおくぼ ともお)
香川大学 教育学部 准教授
1977年 埼玉県生まれ。1999年 関西学院大学文学部卒業。2005年 早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。香川大学教育学部講師を経て、2008年より現職。専門は犯罪心理学、教育心理学、発達心理学。現在は、県警察と連携して、地域での防犯活動の研究に力を入れている。これまでに研究活動では数々の学会賞を受賞し、教育活動では学生が選ぶベストティーチャーを3年連続で受賞。主な著書(分担執筆も含む)に「青年の学校適応に関する研究」(ナカニシヤ出版)、「実践をふりかえるための教育心理学」(ナカニシヤ出版)、「小学生の生活とこころの発達」(福村出版)、「やさしい発達心理学」(ナカニシヤ出版)などがある。