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イベントレポート

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2012年10月23日(火) 19:00~21:00

髙山 正樹(たかやま まさき) / 建築デザイナー

風景をとりこむ家

街の中に住む。閉じて住む。開いて住む。風景をとりこんで住む。
家の窓をどのように配置するかは、どのように住みたいかを考えることと同じ。
窓からの借景をとりこみ、自然の中に住む。
街に開く。内側に開く。空に開く。借景に開く。
そして日本の四季のうつろいや陽射しや風や雨を、月明かりを住まいにとりこむ。
豊かな季節の変化を楽しめるよう。
建築デザイナーが手掛けてきた数々の作品を見ながら、理想の家を追求してみませんか。

「窓を大切にした家」をつくる

「家」と聞いたとき、人は何を連想するか。
「あなたにとって家とは?」
建築デザイナー・髙山正樹氏のセミナーはこの問いかけから始まった。家とは、ある人にとっては資産であり、ある人にとっては寝る場所としての役割が一番大きかったりする。他にも「暖かい家族」「人生の目標」「和風」「洋風」など、家を巡るキーワードはいくつも思い浮かぶ。そのなかで建築デザイナーとしての髙山氏がもっとも大切にしているのが「窓」だ。今回のテーマである『風景をとりこむ家』とは、イコール「窓を大切にした家」。では、窓を大切にした家とはどんな家なのか。そして髙山氏はなぜ窓にこだわるようになったのか。2時間のセミナーは写真による作品(建築事例)の紹介や「建築の勉強はしていなかった」という建築デザイナーとしては異色の経験を積んできた髙山氏の人生など、盛りだくさんの内容となった。
東京を中心に、三島、沼津、軽井沢などでも仕事をしている髙山氏。地方はともかく、都内ではやはり「風景をとりこむ家」をつくるのは難しいという。都会の住宅は窓を開ければ隣の家の壁がある。へたをするとお互いの窓から相手の家の中が見えてしまう。
それをどうしようかと考えたとき、活きてくるのが借景の発想なんです。」
景色を借りて楽しむという、いかにも日本人らしい繊細な発想。これを髙山氏は都会の家でも応用してきた。

借景を生かして「風景をとりこむ」

参加者の前に映し出されたのは髙山氏が手がけた都内高円寺の住宅。この家ではキッチンに天窓を設け、「空」を借景としてとりこんでいる。空ならば都会も田舎も条件は同じ。光が差し込む空間は、洞窟やパティオ的な効果があって「奥さまに大好評」だという。都会ではこんなふうに「空」や「光」を借景とすることで窓を活かした住宅が造れるという例だ。
次に紹介されたのは「森」をとりこんだ家。森といっても山のなかではない。世田谷区の住宅街だ。この家の場合は北面が道路という悪条件だったが、道を挟んだ向こうに緑が生い茂る教会と幼稚園があった。髙山氏は二階の窓一面にこの緑が映るように家を設計し、「森をとりこむ」ことに成功した。都会でも窓の考えかたひとつで自然のなかに暮らしているような感覚が味わえるのである。
事例は三島の住宅へ。三島という土地には、富士山や天城山、茶畑など「借景」の材料が豊富にある。紹介された二軒の家はどちらもため息をつきたくなるような素敵なモダン建築。こうした住宅のオーナーはやはり「デザイン好き」な人たちだという。そんな施主の嗜好と髙山氏のセンスがマッチして生まれたのが「風景をとりこむ家」なのだ。
施主の立場からすると、満足できる家を建てるには設計者選びが肝心。よい設計者は、自分たちのリクエストを満たしてくれると同時に、何が必要で何が不要かなどをプレゼンテーションを通して客観的に提案してくれる。
おもしろいことに、施主の希望というのはだいたい似通っているという。
「広くて明るいリビングダイニング、ゲストルーム、親用の和室、車3台がとめられる駐車場、それに男性の場合は屋上がほしいと言う方が多いですね。」
だがこの条件を都会の25坪で満たすことはほとんど不可能だ。そこを現実に即した形に落とし込んでいくのも建築デザイナーの仕事だ。

師匠、そして「窓」との出会い

セミナー後半は、髙山氏の建築デザイナーになるまでの話を語っていただいた。
髙山氏が「物づくり」と出会ったのは3歳のとき。家の改築で出入りしている大工さんにトンカチを打たせてもらった。釘を打つことで木と木がつながる。それに感動した。幼稚園ではお絵描き、小学校では図工が得意な少年だった。本気で芸術の道を意識したのは中学生時代。家庭教師から「美術大学・芸術大学」というものがあると聞き、東京芸術大学を目指そうと決めた。高校では美術部を自ら創部して活動。一方では体操部で器械体操をやるなど、活動的だった。放課後は体操で夜は大学進学のための美術学校。こんな生活だから「普通の勉強はまるでできなかった」。憧れはアーティスト。モダンアートにはまり、ひたすら絵を描きまくった。ただ、目標だった東京芸術大学には受からず、四浪の末に見切りをつけてデザイナーになった。
そんなとき出会ったのが師匠の写真家・田原桂一氏だった。パリ在住の田原氏は世界的なアーティスト。人の紹介でこの田原氏の仕事を手伝うこととなった。同時に出会ったのが「窓」でもあった。田原氏の代表作は窓がテーマの作品。これによりフランスでも日本でも高い評価を得ていた。展覧会のスタッフや車の運転など雑用をしながらも、自然と師の作品の影響を受けていった。
田原氏のもとを離れてからは人の誘いで演劇の美術を担当した。自分の絵が舞台に「存在」することをおもしろく感じた。以後、インテリアや内装などの仕事にも携わるようになった髙山氏は、その流れのなかで「家を建ててみないか」という誘いを受ける。図面など引いたこともなかったが、「やる」と返事した。工務店の大工さんに教わりながら図面を何度も描いた。家というのは外と中、つまり表と裏の両方をデザインしなければならない。そこにこれまでにない魅力を感じた。
「あとはもう、誰に会っても、家建てない? とそればかり言うようになっていきました。」
気がつくと建築デザイナーとなっていた。作風はモダン、そして「窓」にこだわった家を建てつづけている。そんな自分の建築を、髙山氏は「存在感や芸術といったものをとりこんだ家」と評する。
最近多い注文は二世帯住宅。こうした家を設計するときは80代になった自分の父親のことを考えて図面を描くという。
「正直言うと20代の頃は『俺のデザインだ』といった生意気な気持ちもありましたが、最近は施主さんの話をよく聞くようになりました。そのおかげでデザインレベルも上がりましたね。」と笑顔で話す髙山氏。
「夢」はこの仕事をつづけること。建築という作品は、それが優れたものであればたとえ自分が世を去っても人の生活を支えつづけていく。夢と現実がともにある髙山氏の人生に会場からは多くの拍手が沸いた。

講師紹介

髙山 正樹(たかやま まさき)
髙山 正樹(たかやま まさき)
建築デザイナー
1967年東京生まれ。フランス在住の芸術家田原桂一氏に師事した後、建築との関わりをきっかけに建築デザイナーに。1997 年に銀座でエトルデザインオフィスを設立。「衣食・住の仕事」という中で建築コンセプト住宅や商業施設の発展を考え、多岐にわたる活動をしており、最近は海外でも評価は高い。主な作品に「神蔵学園町田こばと幼稚園園庭/ART ANNEX KOBATO」(2012)、受賞に「グットデザイン賞/ 東京メトロ新副都心線のサイン計画」(2008)、「第14 回TEPCO 快適住宅コンテスト優秀賞/富士市hhhouse」(2011)など。