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イベントレポート

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2012年11月13日(火) 19:00~21:00

伊藤 華英(いとう はなえ) / 北京五輪・ロンドン五輪競泳日本代表

キャリアトランジション勉強会 5

人生の分岐点に夢は大切、
現実から目をそむけないことも大切。
あなたならどうしますか?準備はできてますか?


「人生の転機をどう乗り越えるか」というテーマを、アスリートの競技引退を軸に考える勉強会。 メンタルトレーナーの田中ウルヴェ京氏と元Jリーガーの重野弘三郎氏がゲストを迎えお届けします。 今回のゲストは北京五輪・ ロンドン五輪競泳代表の伊藤華英氏。競泳選手としてさまざまな節目を振り 返りながら、その時々の悩みのプロセス、心理葛藤、決断の背景、そして「北京五輪で達成したこと、 やり残したこと」「ロンドン五輪で達成したこと、やり残したこと」などを語っていただく。

北京からロンドンへ。「オリンピックをもっと楽しみたい!」

「キャリアトランジション」とは「人生の節目」。どんな人間にも「変化」はあるが、なかでもそれが大きいのがスポーツ選手である。毎回、田中ヴルヴェ京氏と重野弘三郎氏を進行役に、アスリートやそれを見守る指導者などを招いて「人生の節目」について考える「キャリアトランジション勉強会」。d-laboでは5回目の開催となるこの日は、ゲストに先頃引退を表明した競泳の伊藤華英氏を迎えて、2度のオリンピック出場に関する話、選手として経てきた道程について話をうかがってみた。
競泳選手として伊藤氏が歩んできた道。そこには山もあれば谷もあった。2001年、高校2年生のときの世界水泳初出場、2004年のアテネ五輪落選、2008年の北京五輪出場、そして2度目のオリンピック出場となった2012年のロンドン五輪。「年齢」を横軸に、「シアワセ感」を縦軸に描いてもらった「ライフライン」には、その折々の当人の心境がはっきりと表示されている。重野氏いわく「パッと見の印象はすごくポジティブ」。だがやはり谷はある。中でも落差が大きいのは「アテネ五輪落選」と北京五輪後に経験した「怪我」だ。高校生スイマーとして活躍し、福岡、バルセロナと2度の世界選手権に出場した伊藤氏。
オリンピック出場が有力視されていたにもかかわらず選考では落選。これは本人にとって「ショック」かつ「みじめ」なことだった。
「あのときは、悔しいというよりもとにかく自分がみじめでした。落選がモチベーションになったし、トラウマにもなりました。」
それからの4年間は「自分のことしか考えない」自分になった。2度とみじめな思いはしたくない。当時をふりかえって伊藤氏は「尖っていた」と語る。その甲斐あって北京五輪は見事出場。しかし、ここでは終らなかった。
「自分にとってオリンピックがすべてだったんですけど、いざ出てみたら、まだすべてじゃない、もっと楽しむことができたんじゃないかと思ったんです。」
このときにロンドン五輪を目指そうと決めた。そして、それが終ったら引退しよう、とも。
ここでいう「もっと楽しむこと」には選手としての姿勢の変化も含まれている。北京五輪までは自分のことだけを考えていた。しかし、ロンドン五輪での伊藤氏は自分のことだけではなく、まわりの仲間たちのことを考えるようになっていた。ロンドン五輪で注目された競泳日本チームの団結力。その中心にいたのが伊藤氏なのだ。

自分だけではなく仲間のために泳ぐ

「この間、メンタルトレーナーとして伊藤氏を支えた田中氏によれば「華英ちゃんは、北京からロンドンまでの4年間で人間的にすごく成長した。大きくなった」という。
「ただ、それは選手として良いことなのかどうなのか。語弊を承知で言うと、アスリートはひとでなしでいるくらいがちょうどいいんですよね」
田中氏の発言に会場の参加者も伊藤氏も破顔。元Jリーガーの重野氏も「うん」と頷く。
「私は気づくのが早すぎた」と伊藤氏。
だけど、仲間のことを考えるのが自分のスタイルだと感じたんですね。だからロンドンではそれでいこうと思いました。」
かつての高校生スイマーは、気がつけばチーム全体を引っぱる存在となっていたのだ。
その成長のもうひとつの契機となったのが、胸椎ヘルニアとそれにともなう膝の脱臼という故障だった。それまでの伊藤氏は「怪我をするのは負け」と考えていた。それなのに怪我をしてしまった。これには何か意味があるはず。そう考えていくうちに、トレーニングに対する自分のスタンスが変わっていったという。
一方で、怪我によって種目の変更を余儀なくもされた。「背泳ぎでは9割の力しか出せない」と感じた伊藤氏は自由形へと転向する。4人が出場するリレーでは「自分だけではなく仲間のために」という気持ちを前面に出して臨むこととなった。尖っていた北京五輪と比べてロンドン五輪で感じたのは「まるくなった自分」。故障による転向という経験が、かえって自分を自由にしていたのだ。引退した現在は今後に向けてピラティスの勉強をしている伊藤氏。そこにはこうした選手時代の経験も生かされていくに違いない。

夢は自分を強くしてくれる

話はロンドン五輪へ。オリンピック代表が決まってから本大会までの約110日間は、「チームづくりの日々」。「アテネを超える」という監督たちの思いを初出場の若い選手たちに伝えるのが伊藤氏たちの役目だった。本番ではメダルや入賞が狙える位置につけている選手たちをいかに盛りたてていくか、そこに集中した。たとえ今日出場した選手が思い通りの結果が出せなくても、その次の日に出る選手が「明日は自分がやります!」とチームを牽引した。普段ではこのような言葉は掛けることはできないだろうが、オリンピックというのはやはり「異次元の世界」。緊張やプレッシャーに負けないハイテンションをチーム全体で維持したことが、戦後最多となる11個のメダル獲得につながった。
3度のオリンピック挑戦、そして2度の出場。4年ごとに選手としての「キャリアトランジション」を通過してきた伊藤氏だけに、質疑応答の時間には「メンタルトレーニングの方法は?」「北京大会前のストレス発散法は?」といった質問がいくつも寄せられた。メンタルにおいては「弱いところから逃げない自分になるために、倒れない幹をつくる」ことに専念。ストレスについては「練習も遊びも100パーセントで、すべて自分で決める」という姿勢でクリアしてきた。いずれもトップアスリートらしい力強い答えだ。
質問コーナーの最後は、田中氏のリクエストで来場していた『びわこ成蹊スポーツ大学』
の豊田則成教授(スポーツ心理学)に感想を述べていただいた。
「伊藤さんの魅力は、背泳ぎで自分の泳ぎができなかったら、その種目ではオリンピックに行かないと決断できるところ。我々もそんな風ににこだわりを持って生きていけたらいいなと思いました。」
そしてd-laboからの質問である「夢」について。重野氏の夢は「変化しつづけること」。
「決めてしまうとそれで終ってしまうので、変化しつづけていくしかない。」
田中氏は「直感と思考をバランスよく組み合わせれば、自分はさらに変化できるのでは」と、メンタルトレーナーらしい言葉。
「ひとつのことをやってきたなかでいろいろな経験ができた」と話す伊藤氏は「夢=目標」だと考えている。
「目標を持つことで私は迷わなかった。夢は自分を強くしてくれるんです。」
アスリートとして夢を持ち続け、何事にも100%で臨んできた伊藤氏の姿、そして今後の活躍を期待を込めた盛大な拍手が会場から沸き上がり、セミナーは幕を閉じた。
 

講師紹介

伊藤 華英(いとう はなえ)
伊藤 華英(いとう はなえ)
北京五輪・ロンドン五輪競泳日本代表
1985年 埼玉県生まれ。2001年福岡で開催された世界選手権で背泳ぎの選手 として同級生の寺川綾選手とともに代表デビュー。2003年バルセロナ世界選手権にも代表入り するが、2004年アテネ五輪選考会では、代表権を得ることが出来なかった。ライバル寺川選手 が出場するアテネ五輪の悔しい思いをバネに4年間を過ごし、2008年にはみごと北京五輪代表 に入り、本番では決勝進出を果たした。2009年より自由形にも挑戦し、2010年アジア大会では200m自由形で銅メダルを獲得。2011年も着々と自由形での経験を積み、日本の競泳女子を 支える精神的支柱として、ロンドン五輪でもチームを牽引した。

田中 ウルヴェ 京 (たなか ウルヴェ みやこ)
国立鹿屋体育大学客員教授。日本オリンピック委員会(JOC )情報医科学専門委員会科学サポート部会メンバー。東京都出身。聖心女子学院初・中・高等科を経て日本大学在学中にソウルオリンピックに出場。シンクロ・デュエットで銅メダルを獲得。引退後、6年半のアメリカ留学で、スポーツ心理学・キャリアプランニング、認知行動療法等を大学院にて学ぶ。アスリートとしての経験と大学院で学んだ知識を活かし、心と身体の健康をテーマに、ビジネスマンからアスリートまで幅広くメンタルトレーニング、企業研修を行っている。

重野 弘三郎 (しげの こうざぶろう)
元Jリーグ選手。神奈川県出身。滝川第二高校‐国立鹿屋体育大学‐国立鹿屋体育大学大学院修了。選手としてセレッソ大阪、富士通川崎(現 川崎フロンターレ)に所属。選手引退後は大学院へ進学し、「プロサッカー選手引退後のセカンドキャリア到達過程」について研究。2002年 Jリーグ事務局入局。同年発足したキャリアサポートセンターにて選手のキャリアサポートに携わり、現在は世界で活躍する選手を育成するアカデミーを担当。