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イベントレポート

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2012年11月19日(月) 19:00~21:00

柴田 元幸 (しばた もとゆき)、管 啓次郎 (すが けいじろう)、ジェフリー・アングルス / 翻訳家

翻訳という怪物

異なる言語と言語の間には、ぐんと羽ばたいたり、ぬらぬら這い回ったり、時には凶暴に襲いかかったり する、翻訳という名の「怪物」が棲んでいるのではないでしょうか。それは、新しい文学の創造はもちろん、 私たちの暮らしや日々の言葉にも、とてつもないパワーを及ぼしています。いま、大活躍の翻訳家3人が、 自らの作品朗読を盛り込みながら、この怪物の魅力、秘密、そして最前線を語り明かします。日本文学、 アメリカ文学、世界文学の扉がつぎつぎ開く夕べへ、ようこそ!

翻訳家の仕事とは

募集が始まるや、たちまち定員に達したこの日のセミナー。講師は、アメリカ現代小説の翻訳で著名な柴田元幸氏と、詩人であり、フランス語、スペイン語、英語から多様なジャンルの翻訳書を手がけている管啓次郎氏、そしてやはり詩を書き、翻訳家としては主に日本の現代詩を英訳しているジェフリー・アングルス氏の3人。まず最初のセクションでは、各自の翻訳に対する考え、それに取り組んだ動機などが語られた。
翻訳とはどういうものか」と柴田氏。
道があって、塀がある。塀の向こうのお屋敷の庭では、何か楽しいことが起きているらしい。道にいる子供たちにはそれは見えないけれど、梯子があって1人だけ昇ることができる。塀の向こうを覗いた子は、みんなに何が行なわれているか説明します。翻訳者とは、言うならばこの梯子に昇った子なんです。」
一方、アングルス氏は「英語圏の人たちは日本文学の中で何が起きているかわかっていない。」と話す。それを見せるのが「私たち翻訳家の仕事」だという。
翻訳家はその作家と時代背景のことがよくわかっていないと駄目なんです。これは半分冗談ですが、ストーカーみたいなところがあるんです。」
そして管氏はこう語る。
「自分の知識や考え方、そういったものは翻訳という仕事を通じてつくられてきました。」
翻訳家として仕事を始めたのは20代の半ば頃。思想書に哲学書、エッセイと翻訳を重ねながら、「翻訳では新鮮さが最も重要」なことや「文体が鍵を握る」ことなどを学び、「言語の差」や「主題の違い」といったものに対する「敏感さ」を養った。 そして自らの詩もまた翻訳の延長線上にあるという。

訳者によって変わる作品

「好きな作品を翻訳している」という3氏。「どう訳すか」は常に課題だ。たとえばの話、アダプテーション=脚色・翻案をどこまで認めていいのか。管氏が例に挙げたのは詩人の西脇順三郎の詩編『恋歌』。これはフランスの詩人であるイヴァン・ゴルの詩を訳したものだが、「原文に比べてあまりにすばらしい」という。実はこうした「訳者のほうが一枚上手(柴田氏)」といったケースは少なくない。アングルス氏は「翻訳の目的はなんなのかじっくり考えるべき」と訴える。翻訳者として奉仕するか、それとも自分が主人になるか。管氏は「大部分の翻訳家はその間のどこかで折り合いをつけている」と分析している。
ここで話は19世紀のアメリカの女流詩人エミリー・ディキンソンヘ。現在も世界中で評価されているこの詩人の作品を今回のセミナーでは3氏が訳してみてくれた。選んだ詩は一見すると大変コンパクトで無駄がない。が、よく知られているようにディキンソンの作品は言葉の使い方や比喩表現、スペースの用い方などに独特の個性がある。それだけに翻訳は「難しい」し「おもしろい」。
紙数の都合で全体を伝えることはできないが、「希望」を「小鳥」にたとえたこの詩。柴田氏は“the thing”という普通なら「もの」と訳すところを大胆に「やつ」と訳し、アングルス氏は「150年前という時代を意識」し、「おもいきって文語体で訳してみた」。管氏は、文頭ではないのになぜか大文字で記された“Extremity”に注目し、これをラテン語的解釈で「末期」と表現してみせてくれた。三者三様の訳は、同じ原文でも訳者が変わるとこうも変わるのかというよい見本だ。実際、既訳の再訳という仕事も多いのがこの世界。「ほかの人と違うことをやりたいという気持ちは大事(アングルス氏)」だという。

朗読で聴く作品。そして3氏の「夢」とは

後半は朗読会。柴田氏はアメリカ人作家ブライアン・エヴンソンの短編『彼ら』、アングルス氏は日本語で書いた詩3編、管氏は雑誌に掲載したエッセー2編を披露してくれた。
「わけのわからないのが基本的に好き」と柴田氏。読み上げられたエヴンソンの短編は静かな中にも緊張感を感じさせるスリリングな展開が印象的だ。一度聞いただけでは「なんですか今の?(管氏)」と問いたくなるような不可解な作品は「暴力的なのかユーモラスなのかよくわからないところがおもしろい(柴田氏)」。アメリカ文学の良い点は他に訳書や訳者が多いところ。翻訳家にとっては「全体像を自分が伝えなくていいのはすごい気が楽」だし、それだけに自分がこれぞと思った作品の翻訳に挑むことができるのだ。
アングルス氏の詩は、自らの体験から生まれたものだ。翻訳とは無縁の世界に暮らす父親に「翻訳の難しさ」についての説明を試みたとき、不整脈を煩い医者にかかったとき、そういったいくつかの経験をアングルス氏いわく「ホラー映画みたい(笑)」な韻文で表現してみてくれた。真摯な作品のようでいて、一部には「整っていないのは心臓ではなく心である(※英語だと心臓と心はどちらも“heart” となり訳しにくい)」といったような「同業者へのギャグ(柴田氏)」が織り込まれていて、「言葉の違いはおもしろい」という翻訳家としてのアングルス氏の考え方を窺い知ることができた。
管氏は20代半ばに書いたものと9年ほど前に発表したものの2本を朗読。そこで氏は、若い頃に影響を受けたジル・ラプージュの『赤道地帯』に触れ、「人喰い」にも似た翻訳という仕事について一考し、どんなに努力しても透明=無垢にはなれず、個性という幽霊によって原作を殺してしまう翻訳家という職業の宿命を語り、自らの覚悟を綴っている。
朗読終了後は、管氏の提議した「翻訳の透明性」や、南米のモダニズム運動=パウ・ブラジル宣言から生まれた文芸の世界における「人喰い(相手を食べるのは〈愛〉の一種という発想)」の思想について3氏が議論。残り時間もあとわずかというところで、難しいとされる大江健三郎作品の翻訳を例に挙げての質疑応答。そして3氏のこれからの抱負と夢を語っていただく形で終了となった。
「日本と欧米は翻訳の分野でも立場が水平化しつつある。自分もその流れに加わればいい。好きなことができた人生は幸運です。これからもこの幸運がつづいてほしい。(柴田氏)」
「翻訳はたとえ出版しても直したくなるもの。一回でいいから完璧な翻訳を出してみたいですね。(アングルス氏)」
「今年はスロヴェニアとセルビアを訪れました。これは僕にとって大きな経験でした。この2つの国にこれからくりかえし行って、これらの国の詩人を紹介する仕事をしたいです。(管氏)」
それぞれに意欲的で魅力的な3人の翻訳家。同じ時代にこうした訳者を得ることができた読者は幸せではないだろうか。

講師紹介

柴田 元幸 (しばた もとゆき)、管 啓次郎 (すが けいじろう)、ジェフリー・アングルス
翻訳家

柴田 元幸 (しばた もとゆき)
1954年生まれ。翻訳家。主な著書に『アメリカン・ナルシス』(サントリー学芸賞)、訳書に ポール・オースター『幻影の書』、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』(日本翻訳文化賞)などがある。

管 啓次郎 (すが けいじろう)
1958年生まれ。翻訳家、詩人。主な著書に『斜線の旅』(読売文学賞)、『オムニフォン』、 詩集に『Agend’Ars』、訳書にル・クレジオ『歌の祭り』、サン・テグジュペリ『星の王子さま』などがある。

ジェフリー・アングルス
1971年生まれ。翻訳家、詩人。主な著書に『Writing the Love of Boys』、訳書に 多田智満子英訳詩集『Forest of Eyes』(日米友好基金日本文学翻訳賞、ランドン翻訳賞)、伊藤比呂美 英訳詩集『Killing Kanoko』などがある。