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イベントレポート

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2012年11月22日(木) 19:00~21:00

菊地 栄治 (きくち えいじ) / 早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授

「希望をつむぐ高校」への招待

将来展望が持ちづらく、公正な社会の実現さえも諦めさせてしまう「希望劣化社会」...。そんな困難な時代を生きる生徒たちの現実と丁寧に向き合いながら、彼らをエンパワーする素敵な公立高校が存在する。大阪の2つの高校が「希望をつむぐ高校」として進化してきたのはなぜか?強さや速さを求める世の中の風潮になびかず、教育と社会の難題を読み解く手がかりを私たちにそっと教えてくれている。16年間のかかわりの中で菊地氏が見てきたこと、 そして「希望劣化社会」を乗り越えるヒントについてお話いただく。未来を担う若者のこと、考えてみませんか。

「希望劣化社会」となった日本

「みなさんは高校というとどんなイメージをお持ちでしょうか。」
こんな問いかけから始まった今回のセミナー。講師は、長年高校教育をテーマに研究をつづけてきた早稲田大学教授の菊地栄治氏。
はじめに菊地氏は自身について「田舎の進学校の出身で、勉強漬けのガチガチな環境のなか、息苦しい高校生活を送ってきた」と紹介した。そんな菊地氏が着目しているのは大阪府にある府立松原高校と布施北高校という2つの学校。この日の講義は、一般的な高校とは趣を異にした教育に取り組んでいるこの2校を知ることで、今の世に必要な「希望」を考えるものとなった。
冒頭は「希望劣化社会」と化した日本の姿を展望。日本は今、岐路に立っている。これは多くの人が感じていることだろう。経済は縮小し、格差社会が広がっている。政治の世界ではポピュリズムと国家主義が台頭しつつあるように見える。国の土台となる教育はというと、学力重視の方針によって萎縮し、本来持っているその力を発揮できずにいる。菊地氏は「教育が社会を変えるというベクトルを取り戻すべき」と訴える。だが、実際の教育現場はというと、官僚主義が蔓延し「教師自身が考えないシステム」になっている。先生たちは、なるべく枠組みのなかに収まってエラーのないようにと努めるばかり。これが日本の教育現場の現状だという。
もうひとつの問題は、若者たちの置かれた状況だ。今の若者たちは年長の世代に比べると未来に対してはるかに希望を持っていない。努力しても報われないという「あきらめ感」。若者たちは「浅い自己肯定感とふわふわした満足感」の中で毎日を生きている。
ここで「希望とは何か」を定義してみた。「希望とは〈個人化された際限なき欲望〉のことではない」と菊地氏。
「希望とは、人間としての限界と土台を忘れず、さまざまな次元での関係性が閉じられることなく、持続可能で、より切実な他者の課題が自らのこととして引き受けられ、互いに〈自己変容〉できる状況にある〈場〉のありようを指しているのです。」
「希望」とは他者との関係性なくしては生まれないもの。今回、セミナー参加者が「招待」された2校は、どちらもその「関係性」を大切にした、「希望をつむぐ」学校である。

「生徒のせいにはしない」、松原高校の取り組み

府立松原高校といえば、教師たちの意識が高く、古くから「人権教育」で知られている学校だ。最近では自由選択講座に代表されるユニークな教育で注目を集めてきた。創立は1974年。地域の中学生たちが自ら署名運動を起こして府を説得し、新設された学校だというから驚きだ。4年後の1974年には、これもまた署名運動で知的障害者の「準高生=交流生」を受け入れる。授業についていける者だけに入学を許していた「適格者主義」の高校にあって、これは前代未聞の出来事だった。現在、大阪には知的障害者を受け入れる高校が11あるが、その端緒となったのがこの松原高校なのである。
もっとも、松原高校の歴史が順風満帆だったかといえばそんなことはない。創立当初は、学力に差のある生徒をほぼ無制限に受け入れたため生徒間に軋轢が生じたり、80年代の後半にはそれまでの教科学習における座学に「しんどい」状況が訪れたりもした。2000年代半ばには「自由のはきちがえ」から授業規律が保てない事態となった。普通の高校であれば間違いなく「問題の原因は生徒にある」で済ませるところだ。
「しかし、松原高校の先生たちがすごいのは、けっして生徒のせいにしないところなんです。」
座学に集中できない生徒が増えたとき、松原高校の教師たちは1人が1講座を受け持つ形で参加学習型の「自由選択講座」を開設した。福祉や異文化理解、スポーツや文化、環境科学など、その数は約160種類。変わったところでは「上方漫才研究」や「子どもと絵本講座」といったものもある。さらに大学の卒論に似た「課題研究」もあり、生徒に「選択し、考える自由」を与えている。学校のコンセプトは「優しいチカラ」。こういう学校だからこそ、当然生徒たちはいきいきと学校生活を送っていけるし、参加型の授業を通して他者との関係性を構築することができる。実際、卒業生たちは介護士や看護士、スタイリスト、NGO職員など、人とふれあうことの多いさまざまな分野で活躍している。新しいことを常に先駆けてやっているという点で、教育委員会も松原高校を「頼り」にしているという。

リアルな社会体験から学ぶ布施北高校の「デュアルシステム」

もうひとつ、布施北高校は、長年松原高校に勤務し、後に校長となった易寿也氏が教頭として赴任した高校だ。易氏が赴任した当初は、中途退学者も多く、部活動も成り立たず、おとなしい生徒が自己表現できにくい、いわゆる「しんどい高校」の典型だった。家庭の経済状況もしかりだった。当時の生徒の中退率は4割、卒業する生徒も5割が進路未定。地域からのまなざしも必ずしも温かいものではなかった。だが、松原高校での経験があった易氏は「生徒のために何かをやらないと」と立ち上がる。そこで採用したのが、週1回の「職場体験」を取り入れた「デュアルシステム」だった。地域の企業に協力を仰ぎ、生徒たちに保育や看護、製造業、販売などの実体験を踏ませることにしたのだ。学校以外の場での具体的な他者とのかかわりは、生徒たちを確実に成長させた。進学率が上がり、冷ややかだった地域の人々の生徒たちを見る目も変わった。布施北高校は「しんどい子をうちで引き受けよう」という精神で運営されている学校だ。学力的にはしんどくても自信を持って社会で生きていける人間を輩出できれば、それは教育の勝利ではないだろうか。
質疑応答で話題となったのは、大阪府が打ち出した高校の授業料の無償化。私立も公立も競争となるこの制度のなかで公立校はいかにして活路を見出すべきか。菊地氏は「理念の問題」だと語る。実はいちばん難しいのはトップ校=進学重点校だという。
「ただ頭でっかちな生徒をつくるのではなく、いろんな活動を通して仲間を思う気持ちなどを身につけてほしいですね。」
普段は大学生と関わっている菊地氏。「年長者が若い人と何かをやる、そのモデルになれたらいい」というのが「夢」だ。
「ゼミから社会に発信する。そんな活動をしていきたいと願っています。」という言葉でセミナーは締めくくられた。

講師紹介

菊地 栄治 (きくち えいじ)
菊地 栄治 (きくち えいじ)
早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授
愛媛県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、国立教育政策研究所 総括研究官等を経て、2005年に早稲田大学教育・総合科学学術院助教授に着任、2009年より現職。「学級崩壊」「不登校」 などの教育課題の実証研究をベースに教育改革の成果と課題について社会的発信を試みるとともに、とくに高校教育の社会 的意義に着目し、当事者とコラボレーションしながらホリスティックな教育改革の可能性をさぐる。主な著書に、『希望をつむぐ 高校』(岩波書店:単著)、『持続可能な教育社会をつくる』(せせらぎ出版:共編著)などがある。