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イベントレポート

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2012年11月29日(木) 19:00 ~21:00

四方健太郎 (よも けんたろう) / 開国ジャパンプロジェクト主宰。株式会社JIN-G執行役員。

四方見聞録-全ては『世界一蹴の旅』から始まった-

四方氏が2010年ワールドカップ南アフリカ大会の出場国32カ国を巡った「世界一蹴の旅」から早2年。 当時の旅で50カ国を超える国々を周り、同氏が目、耳、心で感じたことは何だったのか。そして、そこから 感じとったリアルな経験値、臨場知をもとに、現在はどんなアクションを取り始めているのか。日本や日本 人のグローバル化(開国化)を目指し、いま私たちがアクションしなければならない事とは。そして、世界を 相手に仕事をする、海外で仕事をする、という事はどんなことなのか。昨今注目されるミャンマーなどの ASEANや中国などの新興国を周ってきて感じたことなどを含め、独自の目線で語っていただきます。

フランスW杯で知った「ワールドカップの楽しさ」

セミナー開催にあたって84枚の資料と写真を用意された「ヨモケン」こと四方健太郎氏。
「世界一蹴の旅」で一躍人の知るところとなったその活動の内容をユーモア溢れる語り口で、かつ参加者を交えてというインタラクティブなスタイルでお話しいただいた。
前半の1時間は、四方氏のプロフィールと、サッカーワールドカップとの関わり、2年前に敢行した「世界一蹴の旅」について。
四方氏は1979年生まれで今年33歳。神奈川の中高一貫校の桐光学園、立教大学を経て外資系コンサルティング会社アクセンチュアに就職した。学生時代にはバックパッカーとして外国を旅し、フランスW杯も観戦した経験のある四方氏。その目は就職してからも海外に向けられていた。ことに気になるのはW杯。就職した年の6月に開かれた日韓W杯では入社をW杯後にまわして韓国に飛び、2006年のドイツW杯でも2週間の休みをとって現地に行ったという。
「ワールドカップは国をあげてのお祭り。フランスでそれを楽しみきった僕にとって、ワールドカップに行かないという選択肢はなかったんです」
大学1年のときに行ったフランスW杯観戦旅行は、実は懸賞論文のコンクールに入選したときにもらった賞品だった。日韓W杯の際は、たまたま入った会社が入社を4月から10月までの希望制としていたおかげで観戦することができた。ドイツW杯では、ときを合わせて大きなプロジェクトが終ったことでチャンスをつかんだ。入手困難な試合のチケットも日本サッカー協会が確保したものが抽せんで手に入った。まるで「ワールドカップの神様」が微笑んでくれているようなことがW杯のたびに起きた。
入社4年目、転機が訪れた。たまたま出張で行った大連で四方氏は「衝撃を受けた」という。現地で目の当たりにしたのは好景気で「イケイケ」の中国の姿。高度成長期はもちろん、バブル期も知らない世代の四方氏の目には「日本もかつてはこうだったのかもしれない」と映り、街全体を覆う活気が「心地よかった」という。半年後、今度は大連に赴任する幸運に恵まれた。そのあとは上海へ。中国ビジネスの最前線に身を置く幸せを感じながら、いっぽうでは「このままでは日本は置いていかれる」という危機感を抱いた。こうした中国でのキャリア、そしてその後の「世界一蹴の旅」で得た体験から生まれたのが、現在、四方氏が「グローバルな人材を育てる」ことを目的に主宰している「開国ジャパンプロジェクト」だ。セミナー後半ではこのプロジェクトの具体的な内容も説明していただいた。

30歳、「世界一蹴の旅」へ

南アフリカW杯を翌々年に控えた2008年、諸事情から四方氏は日本に帰国することとなる。来年は30歳、「人生の踊り場」を迎える。そこで「どうせ踊り場なら踊ってしまえ」と考えた。振りかえると、学生時代の自分にはやりたいことが2つあった。1つは「外国で暮らすこと」と、もう1つは「世界一周」だった。前者はすでに中国で体験した。残すは後者。そこで仕事の先輩であり友人でもあった村上敦伺氏と「なにかキャッチーな旅を」と話しあい、思いついたのが「南アフリカW杯に出場する32カ国すべてをまわる旅」であった。どうせ旅をするなら人々に発信しよう。ブログを開設した2人は「世界一蹴の旅」を「高らかに宣言」した。
「でも最初のアクセス数は1日5件とかそんなもの。宣伝しても50人といったところでした。」
だが、そのブログは2009年7月の出発から数えて3カ国目の北朝鮮訪問あたりからサッカーファンの間に広まってゆき、ついには最大で20万アクセスを数えるに至る。これに注目したのが出版社。やがてブログは『世界一蹴の旅』いう本になった。
アジア、西ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南米、北米、中米、カリブ海、東ヨーロッパ、そして南アフリカ。巡った32カ国にはそれぞれ思い出がある。ここで四方氏は参加者に「どの国について聞いてみたいですか。」と質問を投げかけた。サッカーがらみの話だけあって、最初に出てきたのは「ブラジル」。
「ブラジルはサッカーの本場だし、次の開催地でもある。経済的にも注目されている。僕もいちばん期待を込めて行きました。」
そのブラジルで出会ったのが日系人だった。初めて日系移民の子孫とふれあった四方氏は、「日本が新興国市場としてのブラジルに進出するには、130万人いるというこの日系人ファミリーとの関係をどのように構築していくかがキーとなる」と、コンサルタントらしい嗅覚で考えたという。
その他、印象に強く残ったのは北朝鮮やホンジュラス。北朝鮮では日本では窺い知れない現地の人の考え方を知った。ホンジュラスでは言葉の通じぬ相手とフットサルをして遊んだ。ちなみに32カ国中半数ほどの国で、現地のユースチームや子供たちを相手に「ボールを蹴った」。たとえ言葉は通じなくても心を通わせることはできる。旅の楽しみには景色や食事などさまざまな軸がある。そのなかでもいちばん大事なのは「人とのコミュニケーション」ではないかと四方氏は語る。

夢は「クラブチームを持つこと」

後半は最近巡ったASEAN(東南アジア諸国連合)5カ国の旅。まずは加盟国や人口、GDP、在留邦人の数などをクイズ形式で解説。写真を用いつつ、シンガポール、マレーシア、ミャンマー、タイ、ベトナムと、現地でのエピソードを披露していただいた。ベトナムの項では「開国ジャパンプロジェクト」が行っている「ミッションチャレンジプログラム」を紹介。主に学生や若手社会人を対象としたこの研修では、参加者は行く先々で「ミッション」を与えられ、それを自力で達成してゆかねばならない。
「グローバルな人間を養成するには、四の五の言わずに行かせてしまえ。そうした発想から生まれたプログラムなんです。」
なかなかスリリングなプログラムだが、それだけに終了後は「不可能を可能に」したかのような成功体験=自信、英語などの言語学習への高いモチベーションが得られるという。
このように率先して日本人のグローバル化を進めていこうとしている四方氏。自分では「近い目標」と「叶ったらいいなという夢」の2つを持っているという。「近い目標」は「来年からシンガポールに住む」こと。そして「叶ったらいいなという夢は」は「サッカーで自分のクラブチームを持つこと」だ。
「アジアの国なら1千万円ほどあればオーナーになれるそうなんです。」
そう語る四方氏の瞳は輝いていた。

講師紹介

四方健太郎 (よも けんたろう)
四方健太郎 (よも けんたろう)
開国ジャパンプロジェクト主宰。株式会社JIN-G執行役員。
アクセンチュアの東京事務所にて、通信・ハイテク産業の業務改革・ITシステム構築に従事。その後、中国(大連・上海) に業務拠点を移し、大中華圏の日系企業に対するコンサルティング業務にあたる。退職後、FIFA 南アW杯出場32カ国を巡る『世界一蹴の旅』(双葉社)や、ビジネスとサッカー日本代表から日本人 論を語る『世界はジャパンをどう見たか?』(経済界)を上梓した。