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イベントレポート

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2013年1月29日(火) 19:00~21:00

豊田 直之 (とよだ なおゆき) / 冒険写真家

冒険写真家が見た水の輪廻

釣りが大好きで、海やサカナに取り憑かれ水産大学に進み、魚群探知機のメーカーで サラリーマン、脱サラして漁師、釣りやダイビング雑誌のライター、そして最後に行き着いた のが水中カメラマンという豊田氏の人生。地球の表面の約7割を占める海洋。この膨大な量 の海の水は一体どこからくるのだろうか。6年ほど前に、そんな小学生が思いつくような素朴 な疑問を抱いた。それ以来、海から川を遡り、川や滝壺を潜り、山を登って海の水の最初の 一滴を追う撮影に没頭し始める。水の循環、すなわち「水の輪廻」をテーマとして、水源を 精力的に撮影する同氏の想い、そして撮影から見えてきたものとはなにか。同氏が撮影した さまざまな写真作品を鑑賞しながら、自然の美しさ、大切さ、尊さを考えてみませんか

「釣り」から始まった写真家への道

海に潜り、山に登る。「水の輪廻」をテーマに写真を撮り、人々に自然の大切さを訴える。豊田直之氏の写真家としての活動は実にアクティブだ。本セミナーではその豊田氏の作品の数々を紹介。前半は写真家になるまでの道程について、後半は「水の中から考える地球環境」をテーマに海の生き物や水そのものにスポットを当ててお話をしていただいた。
まずは「写真家になったきっかけ」から。写真家というと、子供の頃からカメラ小僧で長じてはその職業に就く、というのが一般的なイメージ。だが、豊田氏の場合は「まるっきり違うアプローチで写真の世界に入っていった」という。
その違うアプローチのスタート地点にあったのが「釣り」だった。
小学生のとき、初めて故郷・横浜の海で釣りをした。中学高校では釣り三昧の日々。なかでも憧れたのが「戦国武将のような顔」をしたクロダイだった。20回ほど挑戦したが「毎回坊主」。釣果が得られないのは自分がへたなのか、それともそもそも狙ったポイントにクロダイがいないからなのか。そこで高校生だった豊田氏は海に潜ってクロダイがいるかいないかを確かめてみることにした。当時は水泳部に所属。部活では練習もそこそこに数人の仲間と潜水ばかりして遊んでいた。これまでの最高記録は85メートル。息をとめて潜りつづけるのはこの頃から得意だった。
「海に潜ってみたら、クロダイがいたんですよ」
自分がへただったとわかった豊田少年は、ますます「釣り名人」を目指してクロダイ釣りにのめりこんでゆく。気がつくと「名人になるには魚の生態をもっと知らないといけない」と、本人いわく「小学生のような発想」から東京水産大学に入学。大学では魚の生態学や魚群行動学を学んだ。卒論のテーマは釣りや漁に直結した「こませ」についての研究。豊田氏は「自分が興味のあることしかやっていなかった」と当時を笑って振りかえる。

海の森と山の森

卒業後は無線や魚群探知機を扱う漁業関連の企業に就職、セールスエンジニアとして活躍した。はるか千島列島までサンマ漁に出たときは大時化に出くわした。漁師たちには「無線屋」と呼ばれ、専門外のテレビの修理まで頼まれた。「叩いて直す」という先輩の手法を真似て見事修理成功。そんなふうにして顧客の漁師たちと関係を深めていった。
その後、「本当は漁師になりたかった」という豊田氏は会社をやめて伊豆七島に渡る。そこで始めたのがイセエビ漁。これも持ち前の潜水技術で大漁につぐ大漁を記録した。夏はダイビングのインストラクターとして活動。どこにいても常に横には海があった。
写真を撮るようになったのは、横浜に戻り、釣り雑誌の編集者兼ライターになったのが直接のきっかけだった。自分がイメージする誌面をつくるには自分で撮った方がいい。そう考えた豊田氏は本格的に写真を始める。幸運にも恵まれ水中写真家の中村征夫氏に師事。2年半の修業期間を経て写真家としての独立を果たす。「釣り」から始まった人生が写真に行きついた。それは同時に、『水の輪廻』に至る道の始まりでもあった。
後半は目を見張る水中写真のオンパレード。
ザトウクジラの母子、マンタ(オニイトマキエイ)、アオウミガメ、アカウミガメの赤ちゃん、ニッポンアワサンゴ、ピグミーシーホース、アナモリチュウコシオリエビ……と巨大なものから指先大のものまで、さまざまな海の生き物たちが美しい写真で紹介されてゆく。
「地球の7割は海。私たちは地球を制覇したみたいな顔をして生きているけど、本来は海で暮らす生き物たちの方が偉いのかもしれない。こんな視点がこれからの地球環境を守っていく上では大切なのではないでしょうか」
豊田氏は、昨年『海の森・山の森』というNPO法人を立ち上げた。「海の森」とは珊瑚礁や海草などが茂る根のこと。陸地の森同様、多くの生命が集まる揺りかごのような場所だ。この2つの森は海や川によって、つまり水によってつながっている。こうした自然環境を守る大切さをビジュアルや音楽の力も借りて人々に訴えていこうというのがこの『海の森・山の森』だ。

語れば夢は実現する。目標は「冒険写真家」

生き物たちの写真の次は「水の造形」。冷えれば固形化し、熱すれば気体となる水は、実にいろいろな姿を見せてくれる物質だ。雲。霧、雪、つらら、モニターに映し出される写真はどれも水が生み出す造形だ。この「水」を追いかけるようになって豊田氏の活動領域は山の水源地にまで広がった。
「6年ぐらい前でしたが、海に潜っていて、ふとこの大量の水はどこから来ているんだろうと素朴な疑問を抱いたんです。」
そして水を巡る旅が始まった。海から川へ、そして山へ。海へと注ぐ最初の一滴の水を求めて山奥へと入った。
作品はいったん山へと行ったあと、水の流れを辿るようにふたたび海へ。苛酷な環境で生きるマングローブや沖縄の珊瑚礁。ホンダワラがゆらめく葉山の海。「海の森」はまさに海の豊かさの象徴だ。
終盤は最近のテーマである地元・横浜の水源地である道志川上流の水中写真。50メートル先までも見える透明度はため息ものだ。が、一方で河口部の濁った水を思うと、人間の生活が清浄な水をどれだけ汚しているかがわかる。美しい写真はただ美しいだけではない、そこには写真家のメッセージが込められている。
豊田氏はこう語る。
「自然界の回復能力は高い。毎日使っている洗剤やシャンプーをいつもよりちょっと減らす。これだけでもダメージは減るはずです。」
質疑応答のラストは「夢」について。豊田氏がこのセミナーに際して用いた肩書は「冒険写真家」。実はこの肩書こそが「夢」なのだという。具体的にはNPOの活動をどんどん進めてゆくこと。そして国内外の水源地を巡り、最後はその究極たるエベレストに登頂する。さらに『しんかい6500』に乗って深海へと潜る。「地球のてっぺんとどん底、両方に行った世界第一号の人間になりたい」というのが豊田氏の描く「冒険写真家」の姿だ。
「夢を叶えるコツは〈叶〉という字が教えてくれます。」
「叶」は「口」と「十」でできている。
「夢は十回でも何回でも口に出して言うこと。そうすることで自分でも夢が何かわかってくるし、手を差しのべてくれる人も現われる」
語れば夢は実現する。力強い言葉だった。

講師紹介

豊田 直之 (とよだ なおゆき)
豊田 直之 (とよだ なおゆき)
冒険写真家
1959年横浜市生まれ。東京水産大学(現・東京海洋大学)水産 学部卒。サラリーマン、漁師、ダイビングインストラクターを経て、写真家・中村征夫 氏に師事。1991年に独立し、海の撮影プロダクション・有限会社ティエムオフィスを 設立。同代表。海の水中撮影をメインに、山に登り、川や滝を潜って撮影する。水中 デジタルスチル撮影の第一人者。国内、海外の海問わず精力的に撮影活動を行な っている。今年NPO法人海の森・山の森事務局を設立し、同理事長として環境保全 活動にも得意のビジュアルを活用して精力的に取り組んでいる。