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イベントレポート

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2013年2月28日(木) 19:00~21:00

ふるいち やすし / 映像作家・音楽家

映画が教えてくれたこと

映画は「見るだけのもの」という考えは、もう過去の考えになったのかもしれない。いまや撮影機材やネットワークの進化により、製作・発信の垣根が低くなり、個人でも人を魅きつける作品を作ることが出来る時代になってきている。今回は、モナコ国際映画祭において長編映画作品「彩~aja~」で四冠を受賞したふるいち氏をお招きし、自身の短編映画の上映も交えながら、音楽業界、映画業界の現在、未来についてお話いただく。

テクノロジーの進歩が映画製作への道を開いた

映画監督ではなく「映像作家」、作曲家ではなく「音楽家」、これが表現者としてのふるいちやすし氏の肩書だ。
「本当は単に〈表現家〉と名乗りたい。でもそれだと大雑把すぎて何者かわからないので映像作家、音楽家としているんです。」
そう話すふるいち氏は、映画を撮るときには監督、脚本、演出、音楽、そして撮影も担当する。だが「いろいろやっているね」と言われることには「違和感を感じる」という。自分ではいろいろなツールを使ってひとつの作品を表現しているだけ。確かに、こうした表現者の仕事に専門的な細分化はふさわしくない。
講師と参加者の間には三脚が。その上に置かれているのは映像撮影に使用しているカメラだ。
「別に今日はカメラの話だけをするつもりではないのですが、これから話すことにおいて象徴的なものなのでここに置いてみました。」
ふるいち氏のキャリアは一風変わっている。スタートはギターリスト、それから作曲家になり、さらにプロデューサーへと転身、そして現在に至った。ギターリストがなぜ映画を撮るようになったのか。ふるいち氏は「自分の力だけでなったのではない」と説明する。
「時代とテクノロジーの進歩。これが僕をギターリストから作曲家に、そして映画監督にしてくれたんです。」
作曲を始めたのはコンピューターによってそれが可能になったから。プロデューサーになったのも、作曲家がプロデュースを手がける時代がきたから。映画を撮り始めたのは性能のいいカメラが安価で手に入るようになったから。もともと「新しい物には喰らいつく癖」があったふるいち氏は、それもあって他者に先んじてデジタルで音楽を奏で、映像を撮るようになったのだという。
「映像だと、4年ほど前から静止画用のデジタル一眼レフカメラで高画質の動画が撮れるようになりました。それまでは300万円出さなきゃ手入らなかったムービーのカメラが、30万円で手に入るようになったんです。」

自分に見える「色」と「想い」を映像にする

さっそく発売されたばかりのデジタル一眼でショートムービーを撮った。スタッフは自分と役者だけ。以後の撮影でも「多くて5人」。映画製作のダウンサイジングは「時代と科学者がくれた恩恵」だった。同時に少人数での製作は、監督と役者の距離も縮めた。作品を撮るとき、ふるいち氏は役者と「とことん話す」。舞台では当たり前だが映画ではあまりやらない「稽古」もする。このような映画の現場としては珍しい撮影スタイルも、最新のテクノロジーがもたらしてくれたものだ。
ただし、テクノロジーを使うだけでは「作品」は撮れない。どんな表現でも、そこには作り手の「美意識」がなければならない。ふるいち氏の場合、その「美意識」が映像に対するこだわりとなって表われている。
モニターに映ったのは2枚のショット。同じアングルの映像が2種類のレンズで撮られている。一方は鮮やかで、もう一方は少しぼんやりした感じ。後者はふるいち氏が好んで使っている「50年前のフランスメーカーのレンズ」で撮ったものだ。
「今のカメラは画質がすごくいい。くっきり撮れる。でも僕はそれがあまり良いとは感じないんです。」
「顔が青ざめる」という言葉がある。実際に人間の顔が青くなることはないが、「思い」がそう見せることはある。それを表現したい。
「日本人は80年代くらいからビビットな色を好むようになってカメラメーカーもそれに合わせて画像をデフォルメしてきた。僕のカメラも普通に撮ると、ぎとっとした感じを受けるし、見ていて疲れる。この写真にしてもエッジが効きすぎだし、赤が強すぎるのが嫌なんです。」
絵描きであれば、自分で絵の具を選び、パレットで濃淡を調整することができる。それと同じように、ふるいち氏はレンズを好みのものに交換することで、自分や演じる役者の「想い」を最新のテクノロジーにうまくかけあわせて独自の作風を創っている。
そうして生まれた作品を高く評価したのが昨年開かれた『モナコ国際映画祭2012』だった。長編映画『彩~aya~』で4冠を達成。その中には「撮影監督賞」も含まれている。当人いわく「日本ではありえない話」だ。

美意識をもっと形にしてほしい

モナコでは驚いたことがいくつもあった。現地の人たちは日本映画をよく知っていたし、「夜な夜な開かれるパーティー」では、クリエイターとそのスポンサーたるセレブたちが積極的に交流し、その場で次の作品の話を進めていた。ふるいち氏にもロシア人の監督が「日本で一緒に撮ろう」と話を持ちかけてきた。日本の映画祭というと若い世代が目立つが、モナコには自分と同年代のクリエイターたちが集まっていた。そして「お金持ちのセレブたち」は競って監督たちと一緒に写真に収まろうとしていた。
「向こうのセレブたちは立派な人間になるにはお金持ちになるだけではなく文化に貢献しなければならないと思っている。またそうでないと認められない社会なんですね。」
ともに文化を創りたいという名誉欲がいい意味で映画産業を支えている。残念ながら日本にはこうした映画づくりのスタイルはない。それどころか、ふるいち氏のような個性的な作家の作品が上映されることも少ない。
「ぼやきになってしまいますが、このままでは日本の映画文化はすたれてしまう。そうした危機感は強く持っています。」
セミナー後半は『彩~aya~』の予告編とデジタル一眼で撮ったショートムービー『無言歌』を上映。質疑応答ではYouTubeなどの動画サイトが映画や音楽のビジネスにもたらす影響や、映画業界の問題などについて討論を進めた。
「表現がしやすい時代になりました」とふるいち氏は語る。
「別に営利目的でなくてもいいから、みなさんにももっと自分の美意識というものを形にして表わしていただけたらと思います。美意識さえしっかり持っていれば、テクノロジーは絶対助けてくれるはずです。」
ふるいち氏の「夢」は「価値のある表現には対価が払われ、みんながプライドを持って映画作りができる世界」をつくることだ。
「そのために自分にできることはなんでもやる。切実にそれを夢見ています」
そう語るふるいち氏のセミナーは、夢をテーマとするd-laboらしい2時間となった。

講師紹介

ふるいち やすし
ふるいち やすし
映像作家・音楽家
映像作家・音楽家・作曲家として数々のサウンドトラックやアーティストへの楽曲提供等も行い、自身で脚本、監督、撮影から編集、音楽までもこなすマルチプレイヤー。企業VPやCM等の製作と平行して、年に何本もの自主制作作品を製作している。また、デジタル一眼ムービーのスペシャリストとして、『ビデオSALON』誌(玄光社)等にコラムを連載中。映像の代表作に、「彩~aja~」(モナコ国際映画祭2012四冠受賞作)、「サイコロコロリン」(2007スキップシティ国際映画祭入選作品)、「気持ち玉」、「無言歌」がある。