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イベントレポート

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2013年4月9日 (火) 19:00~21:00

渡邊 智惠子 (わたなべ ちえこ) / 株式会社アバンティ

オーガニックコットンから見えるもの

この半世紀で、日本人の暮らしは豊かになり、同時に心の豊かさを失ったと言われてきました。豊かで便利になったことで得た幸せは大きいですが、それと引き換えに失ったものがどれほどのものなのか、誰もわかりません。身体にいいもの、安心で安全なものに、関心がもたれるようなってきたのはつい10年ほど前です。裏返せば、安心や安全でないものが、あまりに増えてしまったということではないでしょうか。2012年に福島オーガニックコットンプロジェクトを立ちあげた渡邊氏にサスティナブルなコットンづくりを通して見えた「真の豊かさ」についてお話しいただく。

「四方よし」のオーガニックコットン事業

オーガニックコットンとは何か。日本語にすると「無農薬の有機栽培綿」。講師の渡邊智惠子氏がこのオーガニックコットンに出会ったのは23年前。以来、輸入と製品販売を通してこの環境に優しい綿の普及に努めてきた。
この日、d-laboコミュニケーションスペースに集った参加者は約40人。
「参加者の皆さんの中でオーガニックコットンを使っている方はいらっしゃいますか。」
渡邊氏の問いかけに3分の1ほどの人が手を挙げる。使い心地を尋ねると「感触がいい」「環境にいい製品。それが気持ちがいい」「使うこと自体で満足感が得られる」といった答えが返ってきた。栽培に農薬や化学肥料を使わず、環境に優しいオーガニックコットンには「作り手」の意志=フィロソフィーが込められている。それが使う側には肌の感触ばかりか心でも感じる心地良さとなっているようだ。
渡邊氏の経営する株式会社アバンティでは、この「作り手」を大切にしているという。
「多くの日本企業は、その昔近江商人が唱えた、“売り手よし”“買い手よし”“まわりよし”の『三方よし』を理念としています。私の会社ではこれに“作り手よし”を加えた『四方よし』を経営理念にしています。」
ひとつの綿製品の陰には、栽培農家や紡績会社、織物屋や縫製会社などさまざまな「作り手」がいる。アバンティのような販売会社はこうした作り手なしではやっていけない。だから「四方よし」。最近は東北の復興支援に尽力している渡邊氏。「四方よし」の理念はむろんその活動にも息づいている。
セミナー前半は、主に栽培方法から見るオーガニックコットンと通常のコットンの違い。そして後半は渡邊氏が取り組んでいる東北復興支援について。話の合間には参加者の意見や質問が飛び交う、活発な2時間となった。 

環境を汚染するアメリカ式大型農業

洋服にタオル、綿の繊維製品は誰もが日常的に使っているものだ。そのもととなる綿がどんなふうに作られているか。モニターに映し出されたのは綿の生産地であるアメリカの綿畑。一面が緑に覆われた綿畑が、次の写真では葉が一枚もない土色に変わっている。
「これは通常のコットン畑。どうして緑がないのかというと、落葉剤を撒いているからなのです。」
綿を収穫するのに葉っぱは邪魔。だから化学的な薬剤を使って葉を枯らす。また効率的に生産するために遺伝子組み換えの種を使い、化学肥料や農薬も使う。これが「綿に限らないアメリカの大型農業の現状」だという。こうした栽培方法が環境や人体によいわけがない。事実、落葉剤を使用してしばらくは畑沿いの道路にはドクロの付いたコーションマークが立つという。製品化して消費者の手に届くまでには工程上幾度もの洗浄を繰り返すので残留農薬の心配はないが、知ってしまうと気持ちのいい話ではない。
これに対し、オーガニックコットンの栽培は手間がかかる。化学肥料のかわりに鶏糞や牛糞を肥料に用い、除草剤のかわりに害虫を食べてくれるてんとう虫を放ったりする。葉を枯らすのも水の供給を止めるか、あるいは霜が下りるのを待つ。うまく育たないというリスクも大きいがそれを求める人がいる以上、ビジネスとしては成り立つ。とはいえ綿の生産量全体のなかでオーガニックコットンが占める割合はわずかに0.7パーセント。渡邊氏の目標はこれを10パーセントまで上げること。そこまでいけば何らかのいい流れが起きるだろうと思えるからだ。
すべてが素晴らしく聞こえるオーガニックコットンだが問題がないわけではない。大生産地のインドでは6歳から14歳までの少女たちが学校に行けず農場での児童労働に従事させられている。その数約40万人。こうした社会問題はすぐに解決できるものではない。消費する側は常に心のどこかにそれを留め置く必要があるだろう。実はこれは繊維製品全体の問題でもある。とりわけ低価格がウリの商品の裏には何らかの搾取の構造が働いている。これを忘れてはいけないと渡邊氏は訴える。

オーガニックコットンを介し、東北の人たちと生きていきたい

セミナー後半は「アバンティが取り組む東北の復興支援」へ。東日本大震災の後「東北のために何かがしたい」と日本はもとより世界中の人が考えた。その中にあって渡邊氏が「自分たちにできること」として考えたのは「仕事づくり」だった。それが震災の年にスタートした「東北グランマの仕事づくり」。地震と津波で仕事を失った「東北のおばあちゃんたち」にコットンでクリスマスオーナメントを作ってもらうというこの試みは見事成功。一昨年は生産した2万5,000個が完売。昨年は8,000個に留まったが、第2弾として一年中売ることのできる御守りを販売、現在も宮城県と岩手県で合計約100名が活動をつづけている。この事業には海外を含むいくつかの企業が協賛。NHKの番組などでも紹介されている。
2012年スタートの「福島コットンプロジェクト」は風評被害で野菜や米の栽培が困難となった福島県で、オーガニックコットンを栽培し産業化しようというもの。たんに綿を生産するだけでなく、そこで製品化し、雇用を創出するのが目的だ。第一弾の商品は綿でできた人形「コットンベイブ」。本来の綿の役割は「種を守るふとん」。同じようにこの人形にはコットンの種が入っている。買った人には種を植えてコットンを栽培してもらう、それをまた福島に戻して製品にといった循環をつくりたい。そんな思いから生まれた商品だ。
さらに今年立ち上がったのが「わくわく・のびのび・えこども塾」。これは子供たちに「生きるということの原点である衣・食・住を体験を通して学んでもらう」のがコンセプト。活動の第一弾は小諸エコビレッジに福島県いわき市の養護施設の子供たちを招いての藁の家づくり。参加児童のなかには震災孤児もいる。そうした子供たちに生きる力を身に付けてほしい。それが渡邊氏の願いだ。
「私は今61歳。あと20年は元気に動けるはず。その20年を東北の人たちとともに歩んでいこうと思っています。」
「自分は獣道をつくるために生まれてきた」と渡邊氏。オーガニックコットン事業も東北の復興支援も自分がつくった獣道を誰かが広げてくれればという思いで活動している。
そしてもうひとつ、渡邊氏には夢がある。「育児と介護をしながら女性がキャリアを積んでいけるアバンティ村をつくりたい。」
アバンティ村の周囲はオーガニックコットンの畑。近い将来、東北にそうした村ができるかもしれない。

講師紹介

渡邊 智惠子 (わたなべ ちえこ)
渡邊 智惠子 (わたなべ ちえこ)
株式会社アバンティ
1952年北海道生まれ。明治大学商学部卒業後に株式会社タスコジャパン入社。1983年同社取締役副社長に就任後、1985年に株式会社アバンティ設立。1993年国内繊維企業9社の協力を得て日本テキサスオーガニックコットン協会(現NPO法人日本オーガニックコットン協会の前進)を設立し理事長に就任。2008年長年のオーガニックコットン普及の功績が認められ株式会社アバンティとして「毎日ファッション大賞」を受賞。2009年経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」に選ばれた。2010年にはNHKの人気番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に取り上げられる。現在も日本におけるオーガニックコットンの第一人者として、企業活動以外にNPO活動にも積極的に参画し啓蒙・普及に携わる。東日本大震災以降は復興支援事業に活動の軸をおいている。