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イベントレポート

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2013年5月9日(木) 19:00~21:00

瀬戸山 玄(せとやま ふかし) / 写真家・ノンフィクション作家

東北の生命力に出会う
~椿油プロジェクトの夢~

東北は世界有数の漁場や多様な農産物があるということだけでなく、人と人のつながり、ものづくりの技、そして人間性が豊かな土地です。震災と津波で大変な経験をした東北の海辺から、そうした豊かさを新しい形で生かしていこうとする動きがでてきています。今回ご紹介するのは"椿油プロジェクト"。「東北に椿?」と思われるかもしれませんが、実は東北地方沿岸には南北に続く椿の道があり、椿の実を伝統的に食用に利用してきました。この食の伝統をフェアトレードの手法を使って事業化した同プロジェクトのお話を聞きながら、これからの自然と暮らしの新しい関わりを考えてみませんか。

ドキュメンタリストの仕事は「新しい産業のメイキングプロセスを記録すること」

 写真家・ノンフィクション作家である瀬戸山玄氏が「ドキュメンタリスト=記録家」という肩書を用いるようになったのは2000年頃。「ちょうどこの頃からさまざまなものが急激に変わり始めた」のがきっかけだったという。
「新しいものがたくさん出てくるなかで、過去と未来をつなげるものがない。新しいものや産業がどう立ち上がるか、そのメイキングプロセスを記録して次の世代に手渡したい。そんな想いから活動を始めました。」
 取材の場となったのが東北だった。旧唐桑町(現・気仙沼市)の造船所や漁師を取材。全国で巡回展を開催し、『里海に暮らす』という本を上梓した。そして発生した東日本大震災。記録家として何かしなければいけない。瀬戸山氏が世に問うたのは、この3月に出版した『東北の生命力 津波と里海の人々』。今回のセミナーでは、本書の最終章で取り上げた「椿油プロジェクト」を推進している『ネパリ・バザーロ』代表の土屋春代氏をゲストにお招きし、著者である瀬戸山氏の進行のもと陸前高田での椿油づくりについてお話を伺った。
 「奇跡の一本松」で知られる陸前高田は岩手県最南部に位置する市。震災では人口2万4000人のうち8パーセントにあたる人々が命を落とした。7万本の黒松が並んでいた高田松原も1本を残して壊滅。倒壊、半壊した家は3341戸。かつての町は完全に失われてしまった。ここに支援に入ったのが土屋氏の『ネパリ・バザーロ』だった。
「最初はスタッフの出身地である釜石に物資を運んでいたのですが、御縁があって陸前高田にあった障害者の通所施設のお手伝いをすることになったのです。」
 『ネパリ・バザーロ』はフェアトレード団体。ネパールの生産者がつくるハンディクラフトや服を日本に輸入販売し、現地の人々の就業の場を拡大していこうという目的のもとに活動してきた組織だ。こういう組織のため「短期支援には向いていない」。だが、ネパールで何年もかけて培ってきた「現地の人と話しながらの物づくり」のノウハウが陸前高田でも生きることになる。

利島の人々の協力を得て『椿のみち』での製油をスタート

 現地でまず相談を受けたのは「何を作るか」だった。食べ物を提案したところ、「椿油」という答えが返ってきた。三陸沿岸は椿の北限。実は昔からこの地域では防風林や防潮林として家のまわりに椿を植え、その油を搾っては料理や道具の手入れなどに利用してきたという歴史があった。地に真っ直ぐ根を張る椿は地震や津波にも強く、被害甚大だった陸前高田周辺でも残っていた。そこで椿油を生産することに決定。もともとあった作業所は製油に向いていなかったのであらたに工房をつくることとなった。
 当初の予定では、通所施設側がつくった物の販売を自分たちの販路などを使って「お手伝い」するのが『ネパリ・バザーロ』の仕事だった。しかし、気がつくと工房そのものの建設や土地探しまで行い、費用は『ネパリ・バザーロ』の顧客からの義援金で賄った。混乱していた時期だけあって土地の賃貸契約や諸々の手続きは「ドタキャン」つづき。最後はそもそも椿油を生産するはずだった通所施設側の人々が就業を辞退するという、どんでん返しまでもが起きた。それでも2012年10月に製油工房『椿のみち』がオープン。一施設が対象ではなく地域に開かれた仕事の場として、仮設住宅に暮らす女性たちをスタッフに迎え、椿油の生産をスタートさせた。
「ただ実際に作るとなると地元の椿だけでは足りず、伊豆七島の利島から実を提供していただくこととなりました。」
 利島は日本の椿油の半分以上を生産している「椿の島」だ。ここでは会場に来られていた日本離島センターの三木剛志氏にマイクをお渡しし、利島について説明していただいた。
「利島は人口約315人。面積は約4平方キロメートルの小さな島で、まわりは断崖絶壁に囲まれています。」
 海上から見るとまるでピラミッド。冬場は海が荒れてなかなか船が着けない。そうした厳しい環境の中で、島の人々は江戸時代から椿を植林し、その油を年貢として納めてきたという。特筆すべき点は「人口が増えていること」だ。全国約420の有人島の9割9分は人口減だというのに、利島は2005年から2010年の5年間で33人も人口が増えた。理由は「なぜかよくわからない」と三木氏。増えているのは島の出身ではない、子供がいる若い世代だという。こうした話から想像できるのは、利島には独特の魅力があるということだ。現地を知っている土屋氏も「保育園の園児は増えているし、歳をとった人もみんな働いている。すごく魅力的な島です。」と語る。その利島の人々が今回のプロジェクトでは「門外不出の種や苗」をこころよく提供してくれた。「もしかしたら利島と陸前高田は似ているかもしれない」と瀬戸山氏。現在のところ陸の孤島状態となっている陸前高田だが、利島のような外に発信できる産業があればふたたび活気づくことはできるはずである。
「椿油にはその可能性を感じますね。」

椿油を世界に発信したい

 休憩を挟んで後半は『椿のみち』での椿油づくりを映像で紹介。実の洗浄から天日干し、選別、殻取りに搾油、さらに濾過と、その工程は普通の工場よりもずっと手間がかかっている。従事しているのは50~60代の女性たちだ。仕事をしている姿は楽しげで、誰もが顔を輝かせている。土屋氏は「手作業は癒される」と言う。被災地を見てきた瀬戸山氏も「仕事をしている人としていない人では顔つきが違う」と話す。
「こうした地域循環型の産業ができれば自立の鍵になる。椿油はこの地方にもとからあったもの。被災地に限らず地方の活性化には江戸時代などにその土地にどんな産業があったかがヒントになるかもしれませんね。」
 質疑応答の時間は、同時に椿油のサンプルに触れる時間に。「生絞り」の椿油は透明でさらさらとしていて、舌で舐めるとほのかに甘い。素人にも上質な油だとわかる。陸前高田の人々はこのオレイン酸たっぷりの油をけんちん汁の調理などに使用してきたという。
 土屋氏の夢は「椿油をオリーブオイルのように世界に発信できる特産品とする」こと。そして瀬戸山氏の夢は「物事のメイキングプロセスを100種類、200種類と紹介する巨大なウェブサイトをつくること」だ。
「100円と300円の商品の違いは何か。それを知れば単なる価格競争ではない真っ当な商品づくりができるのではないでしょうか?」
 椿油の魅力と東北の可能性を実感できた2時間だった。

講師紹介

瀬戸山 玄(せとやま ふかし)
瀬戸山 玄(せとやま ふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍する。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は映像の仕事も展開し、芸術家や職人など仕事の現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。