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イベントレポート

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2013年5月21日(火) 19:00~21:00

池田 清隆(いけだ きよたか) / 磐座(イワクラ)探求家

神は美しいものにしか宿らない
~磐座聖地への旅~

出版社の役員を務める傍ら、我が国の固有信仰ともいえる岩石崇拝(イワクラ=磐座)に魅了され、調査研究を続けてきた池田氏。退任後も八ヶ岳南麓に居を構え、本格的な調査研究を続けながら、これまでに2冊の著書をまとめあげた。磐座信仰の痕跡を訪ね歩いてきた旅の魅力をスライドなどでご紹介いただきながら、縄文時代にまでさかのぼる「神」の姿、そして『古事記』の世界との関わりについて迫ります。古代に想いを馳せながら、新しい旅のかたちについて考えてみませんか。

「神」の存在を感じた古代人の美意識

 磐座とは何だろうか。広辞苑で引くと「神の鎮座するところ。神の御座」。神道辞典には「そこに神を招いて祭りをした岩石。その存在地は聖域とされた」とある。今回は、その磐座を長年に渡って調査研究してきた池田清隆氏が講師。今回のセミナーでは日本人の中に脈々と受け継がれてきた岩石崇拝について、前半は『古事記』をひもときながら、そして後半は実際に池田氏が訪れた全国各地の磐座を写真で見ながら学ぶこととなった。
 日本を旅していると、由緒ある神社の境内やその近くに周囲をしめ縄で囲んだ石や岩があったりする。これが「岩石崇拝」。その信仰形態は「イワクラ(磐座・石位・石坐・岩座)」「イワヤ(石屋・岩屋)」「イワサカ(磐境)」「イシガミ・イワガミ(石神・岩神)」の4つに分かれるという。「イワクラ」は「神が依りつき宿る岩石への信仰」であり、「イワヤ」は「神が依りつき、籠る岩窟への信仰」、「イワサカ」は「神を迎え、祀るための区切られた岩石空間への信仰」、「イシガミ・イワガミ」は「岩石そのものを神として祀る信仰」を指す。池田氏はこうした場所に行くと「いつもドキッとする」という。
「それはきっと古代人も同じ。山中で巨石や岩窟を見たとき、古代の人たちは直感的に神がいると感じたのではないでしょうか。そうした神聖な感覚、美意識にかなったものが信仰の対象として祀られてきたのだと思います。」
 「神は美しいものにしか宿らない」とはまさにこのことだ。こうした磐座への岩石崇拝ははるか縄文時代から日本にはあった。
「この岩石崇拝の視点で『古事記』を読むと、大和朝廷の信仰の原点は磐座信仰にあったのではないかと考えられます。『古事記』に書かれていることを突き詰めていくと、弥生時代ではなく縄文時代の信仰、神道以前の古神道に辿り着いたのです。」

『古事記』に見られる「岩石崇拝」

 神道は「いろんなものが混ざりあってできたもの」。現代にも縄文時代の信仰は残っている。例えば石の棒を祀った諏訪地方の「ミシャグチ」は縄文時代からつづくこの地方の「地霊(神)」だ。『古事記』でもこうした岩石崇拝を思わせる記述はいくつも見つけることができる。「なぜイザナギノミコトは黄泉比良坂(よもつひらさか)に千引の石を引き据えたのか?」、「なぜアマテラスは〈石屋戸〉に籠る必要があったのか?」、「なぜ、ホノニニギは〈天の石位〉を離れて天降ったのか?」と『古事記』で語られるエピソードにはいたるところに「石」や「岩」が出て来る。池田氏は「『古事記』の根底には岩石崇拝の思想が脈々と流れている」と考えている。
「イザナギノミコトが怒ったイザナミノミコトを防ぐために黄泉の国との境に千引の石を据えたのは、石にはいろいろな災いをもたらすものを防ぐ力があると信じられていたから。アマテラスが天の岩戸に籠ったのは、岩窟の発する霊力を自分も身につけようとしたから。岩石信仰の視点で『古事記』を読むと、こんな見方ができるのです。」
 天皇が即位する際に使用する高御座(たかみくら)も、元を辿れば磐座であったかもしれない。天孫降臨の話の中ではホノニニギ(ニニギノミコト)は高天原の磐座を離れて「現人神」となるべく豊葦原へ下ったとされている。だとすれば高御座はそのときの磐座の名残りとも考えられる。

日本各地に残る「磐座聖地」

 後半は「磐座聖地への旅」。日本各地に多数残る磐座だが、全体的に見れば「ほとんどはわからなくなってきている」と池田氏。岩石崇拝は祀る人がいなくなったら「それが信仰の対象であったかどうかがわからなくなる」からだ。
 まずは北海道旭川市のカムイコタン。アイヌ語で「神の住む場所」とされているここには石狩川が流れている。今は景勝地として知られているこの場所も昔は交通の難所。自然を崇拝するアイヌの人々にとっては「神」が宿っている場所であった。
 次いで盛岡の三石神社。ここには悪さをする「羅刹(らせつ)」という鬼を石に縛りつけたという伝説がある。その際、鬼が「もう二度と悪さをしない」と石に手形を残したことが「岩手」の名の由来になったとも言われている。名物の「さんさ踊り」は鬼が去ったことを喜んだ人々が始めたものだという。が、この伝承には大和朝廷が蝦夷を征服していった歴史を読み取ることもできる。「羅刹」を蝦夷の首長である阿弖流為(あてるい)に置き変えれば、こうした伝承が生まれた経緯は想像に難くない。
 茨城県の大洗磯崎神社の「神磯」は海岸を磐座とし鳥居を立てたもの、長野県茅野市の「小袋石」は諏訪大社の原点ではないかと推測される巨石、立科町の「鳴石」は峠にいる荒ぶる神への畏怖と畏敬から人々がここへと石を運んでつくった磐座、そして静岡県浜松市にある渭伊神社の「天白磐座遺跡」は池田氏が初めて訪れた磐座だ。
「ここの祭神は蟾渭(せんい)神(ヒキガエル)。これは近くに川がいっぱいあって水の神として信仰されていたからではないかと思われます。」
 3つの巨石からなる「天白磐座遺跡」は見た目のバランスも素晴らしい。池田氏はこれを見て「古代人の美意識」を感じたという。見ていてゾクゾクする磐座はまだまだほかにもある。伊勢神宮内宮の「巌社(いわのやしろ)」、大津市の日吉大社の「金大巌(こがねのおおいわ)」、平安京の基点となったという京都の松尾大社や船岡山の磐座、奈良県にある御廚子(みずし)神社の磐座、船に見なした高さ18メートルもの巨岩を祀る大阪の磐船神社、熊野速玉大社元宮の「ゴトビキ岩」、古代の祭祀形態を今に伝える島根県の飯石神社や佐太神社の磐座、広島県の宮島の弥山山頂磐座、厳島神社境内の磐境、影向石(ようごういし)、琉球王朝の聖地である沖縄本島にある斎場御嶽(さいはうたき)の三庫裡……といった具合に北海道から沖縄まで、日本には知られているだけでも磐座がまだまだ無数に点在している。池田氏の「夢」は、「その磐座をそれぞれの背負った歴史を踏まえた上で『磐座聖地100選』といった形の案内書にして紹介していくこと」だ。
 池田氏の自宅は八ヶ岳の山中。ここに13年前から夫人と暮らしているという。
「憧れは〈山中暦日無し〉の生活。縄文時代の人々が神々と暮らしたように、四季の移ろいの中でゆったりと暮らしたいですね。」という最後の言葉に盛大な拍手が送られセミナーは幕を閉じた。

講師紹介

池田 清隆(いけだ きよたか)
池田 清隆(いけだ きよたか)
磐座(イワクラ)探求家
1946年愛媛県生まれ。53歳のときにベネッセ・コーポレーションの取締役を退任。以後八ヶ岳南麓に移り住み、現在に至る。標高1250メートルの森の中で「雑木庭園」を造りながら、イワクラ研究を続けている。著書に『雑木庭園へようこそ』・『神々の気這い』・『古事記と岩石崇拝』がある。