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イベントレポート

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2013年6月17日(月)19:00~ 21:00

松田 嘉子(まつだ よしこ) / ウード奏者・多摩美術大学教授

アラブ音楽の歴史と現在
~エジプトとチュニジアの音楽を中心に~

アラブ音楽の文化圏は、中東を中心として西は北アフリカから、東はカスピ海周辺にまで及ぶ。そして微分音を含む精緻な旋法(マカーム)や複雑なリズム(イーカー)の体系を持ち、大別すればマグリブ楽派、シリア・エジプト楽派、イラク楽派などに分かれ、さらには国や地方ごとに細かい特色がある。古典(芸術)音楽、民謡やダンスなどのフォルクロリックな音楽、宗教や儀礼の音楽、そして現代のポップスなど、多彩な音楽のジャンルをもつアラブ音楽。その中で今回は古典(芸術)音楽を中心にお話しいただいた。

アラブ音楽で大切なのは「歌」と「即興」

 今回のセミナーは大人気を誇るアレクサンドリアシリーズの第18回目。講師に多摩美術大学教授でウード奏者の松田嘉子氏をお迎えして、日本ではあまり知られていないアラブ古典(芸術)音楽についてお話いただいた。2時間という限られた枠の中、とくに今回はエジプトとチュニジアで活躍する音楽家たちの演奏を映像で紹介。その特徴や魅力をお話しいただいた。
「アラブ諸国やトルコなど広大な地域で演奏されているアラブ音楽は、大きく分けると西と東に区別することができます。」
 アラブの古典音楽とはどういったものか。まずはじめは東のシリア・エジプト楽派の音楽家たちの歌や演奏の映像が流された。
 映像とともに流れて来るのは、日本人の耳にはエキゾチックに感じる古典音楽。奏者たちは民族衣装ではなくスーツ姿でステージに臨んでいる。映像では弦楽器のカーヌーンによる前奏の後に歌手の歌が始まった。
「カーヌーンの特徴は弦が非常に多く、それぞれの弦に調節レバーが付いているところです。アラブ音楽ではこうした楽器を用いて半音よりも細かい微分音を表現しています。」
 松田氏が弾いているウードにしてもそうだが、アラブ音楽の楽器は西洋に大きな影響を与えている。今現在、クラシックなどで使用されている楽器の多くはそのルーツをオリエントに辿ることができるという。
 歌っているのは、シリアの大歌手サバーフ・ファクリ。見せ場となるのは「即興」のパートだ。アラブ音楽で重要視されるのは「歌」と「即興性」。2種類ある歌の「即興」のうち、「ラヤリ」はあまり言葉がなく、響きのいいフレーズをリズムに乗せる。対して「マワール」は昔の詩などを用いて歌いあげる。こうした「即興」には技量が必要で、これは優れた歌手にしかできない。器楽にも「即興」があり、これは「タクシーム」と呼ばれている。「即興」が終わると次の曲へ。こんなふうにコンサートは進んでゆく。

聴衆に応えるインタラクティブな芸術

 次いでエジプトの音楽家たち。エジプト音楽の黄金時代は1920年代から70年代にかけて。この頃のアーティストで筆頭に挙がるのは歌手でウード奏者、作曲家であるムハンマド・アブドゥルワハブだ。そしてもう1人、その先輩格であるサイード・ダルウィーシュも忘れてはならない。ダルウィーシュはわずか31年しか生きなかったが、「エジプト近代音楽の父」と呼ばれる存在。アブドゥルワハブはその未完の作である劇作品『クレオパトラ』を補筆し完成させたことで一躍有名になった。当時は映画やレコード、ラジオといった新しいメディアが普及しつつあった時代。ルックスのいいアブドゥルワハブは映画にも出演し、作中でその歌声を披露している。
「20世紀前半のカイロでは、こうした歌手をフィーチャーした映画が数多く作られていました。観客はみんな歌が目当てで映画館に足を運んだそうです。」
 このエピソードからもわかるように、アラブ音楽は「歌中心」の音楽だ。そのぶん歌手の社会的地位は高い。一方、器楽はというと、導入部の演奏とフレーズの繰り返し、歌に対するレスポンスなど、いわば「つなぎ」役として長く存在してきた。だが、20世紀に入ってイラク楽派の音楽家たちがウードをソロ楽器として独立させ、歌手の伴奏ではない楽器だけの演奏による音楽を確立させた。遡ればウマイア朝、アッバース朝の時代から受け継がれてきたという東のアラブ音楽の形式だ。しかしそれも現代では少しずつ形を変え、表現の幅を広げつつあることがこの話からは窺える。
 モニターに流れる映像はカイロの旧オペラハウスで歌う女性歌手ウム・クルスーム。大人気歌手だった彼女は毎月第一木曜日にコンサートを開いていた。コンサートが一晩続いても、歌われる曲は全部で3曲程度のことが多かったという。これはコンサートの時間が短いからではなく、アラブ音楽が「インタラクティブな芸術」であることの証だ。奏者や歌手は常に聴衆の反応を見ながら演奏を進める。「今のパートをもう一度」とリクエストされれば、同じ演奏を繰り返す。そうなると必然的にパフォーマンスは長引く。こうしたコンサートスタイルもアラブ音楽の特徴だろう。

アラブ・アンダルース音楽を継承したチュニジア音楽

 東のエジプトのあとは西のチュニジアの音楽。松田氏もウード奏者として学んだチュニジアの音楽はアラブの黄金期に生まれた宮廷音楽から発達したものだ。長い年月のうちに「東」のエジプトやトルコの音楽の影響も受けてはきたが、基本は後ウマイヤ王朝がイベリア半島でつくりあげたアラブ・アンダルース音楽を源流としたマグレブ楽派の音楽を継承している。そのスタイルは「ヌーバ」と呼ばれる歌と器楽の組曲。26あったというアンダルースの旋法の中で、チュニジアにはその半分ほどが受け継がれている。中心となるのはやはり「歌」。歌には自然をテーマとしたものや失われた故郷を想うものなどがあるが、圧倒的に多いのは「恋」や「愛」を歌ったものだという。ひとつのヌーバはそれ自体で何時間もあり、現在はそれを抽出してコンパクトにした演奏が主流となっている。曲の進行にともないリズムは早くなる。そして、最後の歌はかなり早いテンポとなることが多い。
 即興を重んじるアラブ音楽には、実は長い間楽譜がなかった。それを変えたのが伝統音楽研究機関の『ラシディーヤ』だ。1934年、作曲家のケマイエス・テルナンやムハンマド・トゥリーキーなどが設立したこの機関では、チュニジア各地に残るメロディーを楽譜に残し、『チュニジアの音楽遺産』として9巻の楽譜集にまとめた。13あるヌーバもこうした努力によって記譜された。
 もうひとつ、アラブ音楽に大きく貢献しているのが、フランス育ちでユダヤ系ドイツ人のロドルフ・デルロンジェ男爵の執筆した『アラブ音楽』全6巻だ。チュニジアに長く暮らした彼はアラブ音楽を愛し、その研究に没頭した。現在、彼が住んでいた館は楽器や資料を展示した『地中海アラブ海音楽センター』として一般公開されている。
 ラストは松田氏がメンバーを務めるアラブ古典音楽グループ『ル・クラブ・バシュラフ』がこの4月に『ラシディーヤ』で行なった演奏を鑑賞。これまでもアラブ各地の音楽祭などで活動してきた松田氏たちの演奏は『ラシディーヤ』でも好評だったという。
「夢はもっと技術を身につけて素晴らしいタクシームができるようになることですね。」
松田氏がウードを奏で始めてから20年。これからもアラブ音楽の研究者として、そしてウード奏者として素晴らしいメロディを奏で続けるに違いない。

講師紹介

松田 嘉子(まつだ よしこ)
松田 嘉子(まつだ よしこ)
ウード奏者・多摩美術大学教授
チュニス国立音楽音楽院教授アリ・スリティにエジプト楽派のウード奏法と音楽理論を師事。アラブ古典音楽グループ「ル・クラブ・バシュラフ」メンバー。国内では第18回東京の夏音楽祭、第72回アサヒビールロビーコンサートなど、海外では第11回カイロ・オペラハウス・アラブ音楽祭、第3回フランス・アラブ世界研究所音楽祭、第25~第28回チュニジア・メディナ国際音楽祭など公演多数。著書に『アラブ・ミュージック~その深遠なる魅力に迫る』(共著・東京堂出版)がある。地中海学会員。公式ウェブサイト