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イベントレポート

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2013年7月9日(火)19:00~20:30

山田 美緒(やまだ みお) / サイクリスト・一般社団法人コグウェイ代表

自転車は世界を繋ぐ!

「アフリカを自転車で旅したい」と山田氏が思いついたのは20歳のころ。女性の1人旅のリスクを減らすため頭は丸坊主、胸にはさらし、時々ヒゲをつけケニアから南アフリカまで8カ国5,000kmを日本人女性初の単独走破。以来、自転車旅の魅力に取り付かれ、世界各地を自転車で旅してまわった。「自転車には人種、文化、言語、宗教などあらゆる違いを超えて人を繋ぐ力がある」と語る山田氏。「自転車は世界を繋ぐ!」をモットーに、国内外での自転車イベントの企画・運営などを行う職業"サイクリスト"の熱い自転車トークをスライドショーとともに楽しみました!

アフリカを自転車で走りたい!

 これまでにケニアから南アフリカまでの「アフリカ大陸8ヶ国5,000km日本人女性初の単独縦断」をはじめ、台湾、キューバ、エリトリア共和国、ベトナム、バリ島、シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、アメリカ西海岸、シルクロードなど、世界21ヶ国を自転車で走ってきた山田美緒氏。本セミナーでは、「もともとはアウトドア派ではなかった」という山田氏がなぜ「サイクリスト」になったのか、そのきっかけとなったアフリカへの旅を中心に話を伺うこととなった。
「アフリカを自転車で走りたいと思ったのは大学3年生になる年の春休みのことでした。」
 当時の山田氏は大阪外国語大学の学生。学校ではスワヒリ語を専攻し、アフリカの地域文化について学んでいた。将来は国連職員のような国際的な場で仕事がしたいと願っていた。そこで休みを利用して友人とアフリカへ行ってみたが、旅先で感じたのは「地元の人との距離感」。鉄道やバスで旅をしていたのでは自分は外国人の観光客でしかない。せっかくスワヒリ語が話せるのだから、もっと人々と触れ合いたいし、現地のことが知りたい。考えた末、思いついたのが、より人々との距離を縮めてくれそうな自転車でのサイクリングだった。
「それで、まずは自転車を買うところからはじめたんです。」
「アフリカを走りたい」という希望に、「丈夫だから」とショップが勧めてくれたマウンテンバイクを購入。整備や修理の技術はその店に「弟子入り」して学んだ。同時に「体づくり」も開始。住んでいる大阪から、京都でも神戸でも、どこに行くにも自転車を使った。情報収集をしようと大勢の人に「私、アフリカ行きたいねん」と計画を話した。しかし、そこで返ってきたのは「反対」の大合唱だった。
「98パーセントの人が反対。賛成してくれたのはアフリカ出身の人や日本人でも冒険旅行をしているような人たちだけでした。」

「私の武器はフレンドシップ」

 反対の理由は、「戦争や紛争をしている」、「野生動物に襲われる」などさまざま。「アホちゃう?」とも言われた。中でもいちばん多いのは「女の子だから」という意見だった。よく考えてみると、どれもポジティブな姿勢で分析していけばクリアできる問題ばかりだった。多くの人は外見のイメージからか、「アフリカの人はこわい」と言うが、自分はそのアフリカの人たちと「身近になりたくて」旅を計画した。ならば「アフリカの人たちを信じよう」と決めた。翌年には「『アフリカにおける自転車利用の可能性』という卒業論文を書くために」という理由で大学に休学を申請。そして両親を説得するための実績づくりに、スポンサー企業を募って総距離6,000キロメートルの日本一周を敢行した。ゴール後は地元の新聞の取材を受けて「次はアフリカだ」という見出しをつけてもらった。「安全を確保できるなら」という条件で親の了承を得て、日本を発ったのは2004年の8月のことだった。
 スタートはケニア。ここからタンザニア、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエ、ザンビア、ナミビア、南アフリカの8ヶ国を約半年間かけて走った。最初は下見を兼ねてゴールの南アフリカからケニアまでバスと鉄道で旅した。途中のジンバブエで頭を五分刈にして遠目には女性だとわかりにくくもした。治安の悪い場所を通過するときなどのために付け髭も用意した。体の線が出ないようにだぼだぼのシャツを着て、ケニアの首都・ナイロビからペダルを漕ぎ出した。自転車に積むのはテントや食料、着替えなど。市長自ら応援してくれている故郷の池田市の旗もつけた。
 アフリカのどの国でも食べることができたウガリ(とうもろこしを練った食べ物)。ケニアで出会ったマサイ族の人々。自作の木製自転車に乗る「おっちゃん」。スコールを喜ぶタンザニアの少年たち。東洋人を見てカンフーのポーズを決めるマラウイの子どもたち。ジンバブエで招待された結婚式。クリスマスと正月を過ごしたビクトリアの滝。気温53度にもなった灼熱のナミブ砂漠。そしてゴールの喜望峰…。スライドで見る写真には自転車で走ったからこそ撮ることのできたアフリカの本当の姿が写っている。途中、マラウイでは感染症で足が腫れ、手術を余儀なくされた。暗い顔をしているところを励ましてくれたのは滞在していた村の人たちだった。アフリカの人たちは皆親切で心優しかった。そんな人たちに山田氏は「私の武器はフレンドシップ」という姿勢で接した。そういうオープンな気持ちでいる限り、悪いことは起きないだろうと信じていた。「これはアフリカだけでなく、どこの国でも同じ。運がいいだけなのかもしれませんが、私はいまのところ外国で悪意から誰かに何かをされたということはないんですね。シルクロードを走ったときも日中関係の悪化が心配されていて、現地の人には日本人は大嫌いだと言われたりもしましたが、そんな人とも話しているうちに打ち解けることができました。」

自転車が「出会い」をもたらしてくれる

 帰国した山田氏を待っていたのはメディアの取材攻勢だった。講演は1年で100回近くに及んだ。卒業して東京の出版社に就職してからも台湾やキューバを自転車で走った。会社は山田氏の活動に理解を示してくれていたが、より「サイクリスト」の活動に専念するべく2年半で退職し、さらに世界各地へと足をのばすようになった。
「そうやって活動をしていると、だんだん走るだけじゃ満足できなくなってくるんです。」
 何かを自転車とかけあわせて、社会に還元できないだろうか。そうした思いから「エイズ予防」や「中東平和サイクリング」を企画。アフリカの自転車大国であるエリトリアでは親善サイクリングを通して、観光親善大使にも任命された。そうした流れの中で、「出会う」「繋がる」をキーワードに一般社団法人『コグウェイ』を設立。ここでは四国や三浦半島、台湾などでのサイクリングイベントを通して自転車の魅力を発信している。
「自転車には人種や文化や宗教、思想を超えて人と人とを結びつける力がある。私自身、自分のエネルギーの源は人との出会いだと感じています。その出会いをもたらしてくれたのが自転車なんですね。」
「夢」は「おばあちゃんになるまでこの活動をつづけること」と「生まれた町に帰って市長になること」。「サイクリスト」としての活動はますます広がっていきそうだ。

講師紹介

山田 美緒(やまだ みお)
山田 美緒(やまだ みお)
サイクリスト・一般社団法人コグウェイ代表
1982年大阪府池田市生まれ。大阪外国語大学アフリカ地域文化学科卒業。2004年日本1周6,000㎞、アフリカ大陸ケニア~南アフリカ8カ国日本人女性初単独縦断5,000㎞、シルクロード(西安~ウルムチ)3,000km、台湾一周、ベトナム縦断、バリ島、キューバ、中東、アメリカなど世界21カ国を自転車で走る。『自転車は世界を繋ぐ』を合言葉に活動するサイクリスト。一般社団法人コグウェイ代表。Follow the Women 日本支部代表。エリトリア共和国観光親善大使。著書、共著に『マンゴーと丸坊主~アフリカ自転車5000km!』(幻冬舎)、『満点バイク』(木楽舎)、満點自行車(馥林文化/台湾)、『バイシクル・ガール』(PHP出版/共著)がある。 満点バイクblog