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イベントレポート

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2013年7月16日(火)19:00~21:00

讃岐 邦正(さぬき くにまさ) ,河野 通洋(こうの みちひろ) /

地域の大切なものを守る新しい仕組み

若く才能のあるアーティストのCD制作に必要な資金を、ファンから集める仕組みを 作ろうと2000年に「音楽ファンド」を開始したミュージックセキュリティーズ株式会社。 2006年からは音楽以外のファンドも手がけはじめ、2011年の東日本大震災では ファンドを活用した被災企業の支援に取り組む。現在、レストラン、酒蔵、農業、森林、 スポーツなど約30業種・100社、190本のファンドを組成。1口1万円から参加できる同社の取り組みが社会にもたらすものはなにか。そしてその可能性とは。

価値ある事業を小口の投資で応援する

 自分の1万円を応援したい企業に投資し、その事業を後押しする。「儲けること」よりも「企業への共感」や「事業への興味」で運営されるマイクロ投資プラットフォーム。それがミュージックセキュリティーズ株式会社の提供する「セキュリテ」だ。レストラン、日本酒の酒蔵、農業、林業、アパレルなど、全国各地の価値ある事業に個人が一口1万円から5万円といった少額の投資をし、その「夢」を応援するこのファンドのもととなる仕組みが生まれたのは同社が設立された2000年のこと。「ミュージック」のついた社名からもわかるとおり、スタートは「若いミュージシャンを支援する音楽ファンド」。それが現在では事業領域を拡大し、100以上の事業者が利用するまでのプラットフォームに成長している。本日のセミナーでは、同社取締役の讃岐邦正氏と、「被災地応援ファンド」で会社の再建を果たした岩手県陸前高田市の醤油醸造蔵・株式会社八木澤商店の河野通洋氏をお招きし、ファンドの特徴やそれを活用した事例についてお話していただいた。
「ミュージックセキュリティーズの中核は音楽ファンド。もともとはミュージシャン志望だった社長の小松真実が、音楽に夢を持っている若者を応援しようとつくった会社でした。」
 セミナー前半は讃岐氏によるミュージックセキュリティーズの概要説明と事例紹介。同社が誕生したきっかけは、自身もミュージシャン志望だった小松氏が感じた音楽業界の壁だったという。「デモテープを送ってもまともに聴いてもらえず門前払い」がつづくなか、小松氏が考えたのは「自らの音源をweb上で視聴してもらい、それがよければ投資してもらってCDにする」といったファンドだった。そこで会社を設立。これが軌道に乗り、同社は飲食や食品といった分野に音楽ファンドで得たノウハウを活かして進出していくこととなった。

復興を支援する「被災地応援ファンド」

「当社のファンドの特徴は小口の個人投資家を集めること。探してみると日本全国には本当に価値のある物を生み出している会社さんがたくさんある。それを大勢の投資家が応援するといったファンドなんです。」
 一口1万円ならば1億円集めるのに1万人。この1万人がその企業のファンになる。SNSなどを通じて口コミも広がる。これは企業にとっては大きな力だ。窓口はネット上の「セキュリテ」。会員の中心は30~40代のサラリーマン。大半の人は「利益」よりも「共感」で、「おもしろそうだ」と思った事業に投資をしているという。
「そうしてファンドを運営しているうちに起こったのが東日本大震災でした。」
 讃岐氏たちミュージックセキュリティーズのメンバーはすぐに被災地の事業者たちのために「セキュリテ被災地応援ファンド」を開始する。他のファンドと違うのは、1万円のうちの半分の5,000円を完全な寄付としたところ。それでも多くの投資家がこのファンドに投資した。他の義援金の場合は自分の寄付がどう使われたか不透明だが、このファンドならばどの事業者が何に使ったかがはっきり見えるというのも大きかった。そしてこれを活用して会社を再建したのが八木澤商店の河野氏だった。
 後半は、その河野氏が登壇。「津波で社屋のすべてを失った」という八木澤商店がどう再建していったか、直接語ってもらった。  

会社再建にファンドを活用。「陸前高田の産業を守りたい!」

八木澤商店は創業1807年の老舗の醤油醸造業者。同社は長く陸前高田の地で醤油を製造していたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により代々使ってきた工場は壊滅。取締役だった河野氏は直後に社長に就任し、再建へと奮闘することとなる。
「津波が来たときは高台の神社から呑み込まれる町を見て呆然としていました」
 そう語る河野氏だが、その晩には早くも社員を相手に「必ず会社を再建する」と宣言していた。振り返れば、戦中戦後の物資不足やハイパーインフレなど、会社は幾度も危機に直面してはそれを乗り越えてきた。先祖がやってきたのだから、自分たちにもできるはず。
河野氏がまず頼ったのは所属していた中小企業家同友会の仲間だった。自動車教習所に事務所を借り、5月2日に一関市大東町で営業を再開。雇用を守るためハローワークに相談し、助成金を利用。
取引先の銀行とも手を携えた。自社だけでなく、「一社も潰すまい」と同じ陸前高田の経営者たちにさまざまな情報を提供した。多くの事業者が社屋や設備を失い、債務超過に陥っていたが、企業が倒産して雇用が消えれば町がなくなってしまう。故郷を守るのに懸命だった。そして知人に紹介されて出会ったのがミュージックセキュリティーズだった。
「もっとも、田舎の中小企業経営者ですから、ファンドなんて言われても全然わからない。最初は警戒して斜めに構えていましたね」
 思い浮かぶのはテレビドラマの『ハゲタカ』。「ファンド」という言葉にいい印象はなかったが、被災地を応援したいという真摯な姿勢に心が動いた。ファンドを利用することに決め、4ヶ月で5,000万円の資金を調達。製造再開を優先し、内陸の一関市に新工場を建設。この春からは本来の醸造業に戻ることができた。雇用も守り、地元の高校から新入社員も雇った。仲間の企業のうちの何社かは八木澤商店と同様に「被災地応援ファンド」を利用して会社を立て直した。醤油づくりを再開して、河野氏があらためて感じたのは「仕事ができる喜び」だった。
そして、その喜びの背後には被災地を応援したという投資家の人々の思いや願いがある。
 河野氏の「夢」は陸前高田を「世界中から称賛されるような美しい町にして、持続可能な社会をつくりあげること」。讃岐氏は「守っていかねばならない伝統文化をファンドを通じて支え、地域の経済をもっと元気にしたい」。悲惨な状況の中でも八木澤商店は2年で醤油の仕込みを再開できた。「セキュリテ」が果たす役割は今後さらに広がっていくだろう。

講師紹介

讃岐 邦正(さぬき くにまさ) ,河野 通洋(こうの みちひろ)
讃岐 邦正(さぬき くにまさ) ,河野 通洋(こうの みちひろ)

讃岐 邦正(さぬき くにまさ) 写真左
ミュージックセキュリティーズ株式会社 取締役

東京都生まれ。公認会計士。大学卒業後、太田昭和監査法人(現:新日本有限責任監査法人)に就職。国内メーカーや金融機関の監査に従事。資格取得の学校TACにて公認会計士講座専任講師を経て2004年5月よりミュージックセキュリティーズ株式会社に参加。会計、金融の知識を活かし証券化(ファンド)事業を担当。


河野 通洋(こうの みちひろ) 写真右
株式会社八木澤商店代表取締役社長

岩手県陸前高田市生まれ。1807年創業の陸前高田の醤油醸造蔵・㈱八木澤商店の九代目。東日本大震災により、社屋、製造工場、自宅が全壊、流失。震災直後に社長に就任し、雇用を維持しながらの再建を選ぶと共にファンドを活用し全国3,300人以上の出資者から再建費用を調達し、再建に取り組んでいる。