スルガ銀行 Dバンク支店

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2013年7月23日(火)19:00~21:00

馬場 悠男(ばば ひさお) / 国立科学博物館 名誉研究員

顔から探る日本人の起源
~あなたは縄文系か弥生系か~

私たち日本人の顔はさまざまだ。「顔の違いは、単なる個体差だけでなく、過去に住んでいた地域の気候環境の違いを反映していて、そのことから現代日本人のルーツを探ることができる。」と語る馬場氏。いわゆる濃い顔は、暑いアフリカから数万年前に東アジアにやってきた人々の特徴をとどめて進化してきた縄文人の顔に近い。一方でのっぺりした目立たない顔は、東アジアにやってきた人々が、3万年ほど前から厳寒のシベリアに住み着いて独特の姿になってから、2000年以上前に日本列島にやってきた弥生人の顔に近いと考えられる。進化の過程で変わってきた顔。その顔から日本人の起源を考えてはいかがだろう。

人骨からわかる縄文人の「顔」と生活環境

 今回のセミナーのテーマは「日本人はどういうふうにできあがったか」。人類学者であり長く解剖学に携わってきた馬場悠男氏を講師にお招きし、現代の日本人の祖先がどのような人々であったかを解剖学的見地を含む人類学の視点からお話しいただいた。
「結論から先に申しあげると、日本人の祖先は縄文人と渡来系弥生人。もともと縄文人が住んでいた日本列島に、のちに弥生人となる北方系のアジア人が渡って来て混血し、そしてできあがったのが私たち日本人なんです。」
 詳しく分ければ、「日本列島には現在3つの民族集団が住んでいる」。縄文の影響が強く、その直系の子孫がアイヌで、渡来系弥生人の影響が強いのが本土人。そして縄文人と渡来系弥生人の影響が半々といったところなのが琉球人だ。日本列島に人類が初めてやって来たのは3~4万年前。その多くは南からやって来た「立体的で濃い顔」を持つ人々だった。縄文人や沖縄にいた港川人がこうした人々で、その顔つきは「世界標準」に近いものだった。そして日本では約1万5000年前から縄文時代が始まることとなる。縄文時代はその後1万年以上つづき、3000年前には縄文人の人口は推定10万人に達することとなる。馬場氏は国立科学博物館の研究員として、その縄文人をはじめ各年代の日本人の人骨を長く調査してきた。頭部の骨を見ればどんな顔をしていたかがわかるし、歯の状態から食生活も想像できる。身長や体形、骨折などの怪我、かかっていた病気、女性ならば子どもを産んだかも人骨から調べることができるという。縄文時代の場合、そこから浮かびあがるのは「小柄だけど手足がすんなりのびていて、走ったりするのが得意」な人々の姿だ。顔は「彫りが深く鼻が高いヨーロッパ人や、台湾の少数民族。東南アジアだとフィリピン、インドネシアなどにはかっちりした顔が多い」。乳幼児死亡率は高く生活は厳しかったが、「がんばって」生きてきたのが縄文人だった。
 そこへ2800年ほど前以降に大陸から渡って来たのが北方系の顔を持つ「渡来系弥生人」だった。こちらは「平坦でのっぺりした顔」が特徴。歯は「ショベル型」で大きめ。男性の平均身長は163センチメートルと、縄文人よりも約5センチメートル高い。目は一重瞼で細く、鼻は低く、髭は薄い。当初、北九州や瀬戸内海付近に住み着いたこうした渡来系弥生人は、やがて縄文人と混血し、古墳時代の日本人が形成されていく。現在の本土日本人は「縄文人30%、渡来系弥生人70%の混血」だという。

酷寒の地が生んだ「渡来系弥生人の顔」

「ではなぜ、渡来系弥生人の比率が高くなったのでしょう?」
 仮説として可能性が高いのが「渡来系弥生人が持ち込んだ感染症による縄文人の人口激減」だ。似たようなケースはアメリカでもオーストラリアでもあった。加えて、水田稲作文化を持ち栄養摂取が十分だった弥生人は子どもの死亡率が低く人口増加率が高かった。この2点が現在の比率につながったと考えられる。
 日本人にとっては馴染み深い渡来系弥生人の顔。しかし、世界的に見ればこうした平坦な顔はめずらしい。渡来系弥生人の顔がどのようにつくられていったかを知るにはそのルーツを辿るのがいちばんだ。渡来系弥生人と顔が似ているのはモンゴル人などシベリアに住む北方アジア人。
「つまり弥生人の故郷はシベリアだということです。」
 シベリアといえばマイナス50度にもなる酷寒の地。食料になる動物もトナカイやマンモスくらいしかいない。そんな場所で弥生人の祖先たちはどうやって生きてきたのか。その鍵となるのが後期旧石器時代(約4万年前)に発達した石刃技法だ。これによってさまざまな道具を持つに至ったホモ・サピエンスは縫い針を発明し、寒さに耐えられる密閉された衣服をつくることができるようになった。世界中に広がりつつあったホモ・サピエンスの一部はアジアの北方に住み着き、狩猟採集を糧として暮らすこととなる。寒さをしのぐには身体から熱を発散しないこと。代を重ねるうちに顔は環境に適応して鼻が低くなり、瞼の皮が厚くなった。体毛や髭は凍りつくのをさけるために薄くなっていった。凍った肉を食べたり、トナカイの皮を噛んでなめしたりするので歯や顎は丈夫になった。こんなふうに北方アジア人の「顔」はできていった。

華奢になった現代人の顔

 このように北に住んでいた人々が南下を開始したのは約6000年前。おそらくは気候変動によってトナカイの数が減ったために移動を始めた人々は中国大陸で農耕の技術を手に入れ、漢民族の祖先となった。さらにはインドシナ半島へと下り、一部は日本列島にもやって来た。前述したように日本全体に広がった渡来系弥生人はやがて中央集権国家をつくっていく。平安時代の絵巻物などを見ると、そこで「美しい顔」とされているのはだいたいが目が細く福々しい渡来系弥生人の顔だ。これは江戸時代になっても変わらず、日本人の間では眼が細く、俗に「瓜実顔」と呼ばれる細面の顔が「美しい顔」とされてきた。顔が細くなったのは「上流階級の人たちがやわらかい物を食べるようになったから」。馬場氏が人骨から復元した徳川将軍家の妻女などは典型的な細面の顔だ。庶民はこうした顔に憧れ、そこから浮世絵の美人画などが生まれていった。だが明治になって欧米の影響が強くなるとその価値観は変わり、彫りの深い顔も魅力的とされるようになった。馬場氏はこれを「2000年ぶりの縄文顔の復権」と評している。
 それでは、今の日本人の顔はどうなっているだろうか。「現代人の顔は華奢になった」と馬場氏。主たる要因は食生活の変化だ。かたいものを食べない最近の子どもたちは顎が小さく歯並びが悪い。それによって睡眠時無呼吸症候群などを起こしやすくなっているし、そうなると活性酸素が増えるために血管が傷つき脳や心臓の病気になりやすくなる。これを防ぐためには、「やわらかいものをよしとする食文化をあらためる必要がある」。
「学校給食を正課とし、硬いものを食べて顎の筋肉と骨を鍛える。顔の虚弱化は遺伝ではなく生活習慣の影響なので変えていくことができます。」
 馬場氏の「夢」は「やがてくる文明崩壊を食い止めること」。
「人類学をやっていると、どうしても人類のこの先が気になるんです。化石燃料を使っての食料増産は数十年後には必ずや崩壊する時がくると思います。」
 将来の子どもたちのために我々は何ができるのか。これは社会全体の課題だ。

講師紹介

馬場 悠男(ばば ひさお)
馬場 悠男(ばば ひさお)
国立科学博物館 名誉研究員
1945年東京生まれ。日本学術会議連携会員。元日本人類学会会長。東京大学生物学科卒。獨協医科大学解剖学助教授を経て、1988年から国立科学博物館主任研究官。1996年から同人類研究部長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授を兼任。2009年定年退職。専門は人類の進化と日本人の形成過程。国立科学博物館(東京上野)の特別展に数多く携わるかたわら、NHKスペシャル「地球大進化」「病の起源」など多くの科学番組を企画・監修している。編著訳書も『人類の進化大図鑑』、『人間性の進化』、『人類進化大全』、『ホモ・サピエンスはどこから来たか』など多数。