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イベントレポート

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2013年8月22日(木)19:00~21:00

馬場 紀寿(ばば のりひさ) / 東京大学東洋文化研究所准教授

「ブッダの言葉」を探る旅
-仏教の源流を目指して-

仏教は、キリスト教やイスラム教に比べて極めて多様な宗教である。日本では数多くの宗派がそれぞれ違った教えを説いているし、チベットや東南アジアでは日本と全く異なる仏教が広まっている。そのあまりに多様な形態から、仏教とはこれだという一つのイメージに絞ることはほとんど不可能に近い。そこで、こうしたさまざまな流れを生み出した「仏教の源流」を探る旅に気鋭の仏教研究者・馬場紀寿氏がセミナー参加者を招待し、仏典の最古層で説かれる「ブッダの言葉」の最新の研究成果などをお話しいただきました。

日本語の中にも見られるサンスクリット語

 馬場紀寿氏の専門は、古代インドで生まれた仏教の研究。中国や日本へ伝わる前の最も古い時代の仏教。それを辿るのは「時間的にも空間的にも旅のような作業」だという。
「ブッダが生きたのは紀元前5世紀頃。まだテープレコーダーなどない時代ですから、ブッダの肉声を復元することは不可能です。しかし、アジア各地に伝承された仏典の比較研究によって、相対的に古い時代の仏典を探り当てることはできます。」
 研究の第一段階はこうした「初期仏典をさがすこと」。第二段階は「仏典の言葉(古代インド語)を解読する」こと。そして第三段階として「コンテキストからテキストを読む」ことが必要となる。
「2500年前のテキストを理解するには、言葉の意味を知ると同時に、それがどういう文脈で語られているのか、時代背景を知っておかねばなりません。」
「ブッダの言葉」を理解するには2500年前の古代インドへと旅をしなければならないというわけだ。
モニターに映し出されたのはユーラシア大陸の地図。古代インドに誕生した仏教は、アジア各地へと広がった。こうして伝えられたインドの仏典は、おもにサンスクリット語、パーリ語、チベット語、漢語の4種類の言語で伝承されている。馬場氏の研究では、これらの仏典を比較して分析し、古い文献を抽出していく。 実は、漢語に訳された仏典を通して、日本語化したインドの言葉は少なくない。たとえば「南無阿弥陀仏」の「なむ」はサンスクリット語の「ナマステ」の「ナマス」に当たり、それが「ナム」と音訳されたものだ。
また、英語やフランス語、ドイツ語、あるいはギリシア語やラテン語などヨーロッパの言語は、サンスクリット語などインド・イランの言語と共通の単語や文法を持つ。これを発見したのが言語学者のウィリアム・ジョーンズ。18世紀、裁判所の判事としてインドへと渡った彼は、古代インドの言語であるサンスクリット語を学ぶうち、それが自分たちヨーロッパの言語と起源が同じであるという事実を発見した。これは当時のヨーロッパ人にとっては非常に衝撃的なもので、これ以降、「インド・ヨーロッパ語族」という新しい概念を持つようになった。
ここで馬場氏が例に挙げたのは日本語の「旦那」という言葉。「旦那」の「だん」はもともと寺の「檀家」の「だん」と同じ字で、「檀那」と表記した。これはサンスクリット語の「ダーナ(お布施をする)」の音訳。英語では「ドネーション(寄付)」や「ドナー(提供者)」となる。もともと同じ起源の言葉である。このように仏典を介すれば、遠く見える日本語とヨーロッパの言語もつながっていたりする。

古代インド社会とブッダの言葉

言語の解読の次は歴史的文脈の理解。ブッダが生まれる頃までに、インダス川流域で農耕・牧畜を行っていたアーリア人が、東のガンジス川流域へ進出していた。ブッダが活動していた頃の国の数は大きな国だけでも16。その他にも部族国家が数多くあったと考えられる。インド初の統一国家、マウリア朝ができるのはそれより100-200年後。ほぼ同じ時代、ギリシアにはソクラテスやプラトン、アリストテレスがいたし、中国には孔子や老子が存在した。ブッダが生きた時代は、そうした思想家たちが登場した「人類史においても非常におもしろい時代」だ。
この頃、アーリア人たちが信じていたのは「ヴェーダ」と呼ばれる聖典だった。もともと遊牧民だったアーリア人は定住して農耕・牧畜を行い、分業制による階級社会をつくりあげていた。祭祀を行う「バラモン」。武器によって土地や人々を守る「クシャトリヤ」。農耕・牧畜などの生産活動を行う「ヴァイシャ」。これら上位三階級がアーリア人とされるのに対し、アーリア人の下に位置づけられる「シュードラ」。こうした分業制は農耕によって実現したものである。
こういう時代に登場したブッダは、いわば異端児であった。ブッダが説いた仏教は、その内容において「ヴェーダ」の世界観・価値観を転倒するものだった。このような視点で、馬場氏は次々と仏教の基本的概念を解き明かしていく。ブッダはガンジス川流域を歩いて回って教えを説き続けた。その教えはやがて時を経てインドの外へと広がり、日本へも渡来した。
インド、スリランカ、チベット……世界各地の仏教都市を巡りながら、仏典の比較研究によって「ブッダの言葉」を読み解いている馬場氏。その夢は生涯をかけての「仏典の翻訳」だ。
「きちんと歴史的文脈を説明した解説つきの翻訳を出したいですね。」
馬場氏の夢に会場からは盛大な拍手が送られ、「『ブッダの言葉』を探る旅」は幕を閉じた。

講師紹介

馬場 紀寿(ばば のりひさ)
馬場 紀寿(ばば のりひさ)
東京大学東洋文化研究所准教授
1973年生まれ。2006年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(文学)の学位を取得。専門は古代インド仏教、上座部仏教の思想と歴史。主な著書に『上座部仏教の思想形成――ブッダからブッダゴーサへ』(2008年、春秋社)などがある。日本南アジア学会賞、日本印度学仏教学会賞を受賞。