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イベントレポート

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2013年10月8日(火)19:00~21:00

桜井 多佳子(さくらい たかこ) / 舞踊評論家

バレエ鑑賞への招待

「バレエを観る」のは特別な事でしょうか。敷居が高いと思われがちなバレエ観賞も、ほんの少し知識を増やすだけでとても身近で、楽しいイベントへと変えることができます。バレエの歴史や基礎知識、押さえておきたい世界のバレエ団と有名バレリーナ、そしていま話題のバレエ事情について舞踊評論家である桜井氏がわかりやすく解説。同氏がお勧めの名作バレエ演目の紹介のほか、今年の冬に来日する名門「キエフ・バレエ」についての鑑賞ポイントなどもお話しいただきました。

世界史と連動しているバレエの歴史

「バレエとは何だろう。それを知るには歴史のお話をするのが一番いいと思います。」
 講師の桜井多佳子氏はこれまでにバレエを中心に世界35か国を取材、ロシアやベラルーシで開かれる国際コンクールではプレス審査員としても活躍する舞踊評論家だ。今回のセミナーではその桜井氏にヨーロッパで生まれたバレエの変遷や世界のバレエ事情についてお話しいただいた。
 バレエの歴史については「さまざまな説が唱えられています」と桜井氏。ある本はイギリスで生まれたと言い、ある本にはフランス宮廷のパフォーマンスが源であると書いてある。
「じゃあバレエという言葉はどこからきたか。その語源はイタリア語の“ballo(バロ)”にあります。」
ルネサンス期のイタリアで生まれた“ballo”。15世紀にはレオナルド・ダ・ヴィンチが衣裳と美術を手がけた“ballo”作品が初演されている。ただしその中身は現在のバレエとはだいぶ異なるものだった。それがフランスに渡って「王妃のバレエ・コミック」として上演されたのが16世紀、1581年のこと。
「ある本には、バレエはイタリアでも、フランスでも、ヨーロッパの中で何度も誕生したと書いてあります。もしかしたらそれが一番正しいのかもしれません。」
 17世紀になると、バレエはフランスで本格的に発展し、現在の形に近づく。そのキーマンとなったのが太陽王・ルイ14世だ。バレエ好きの王は自らダンサーとなり、「夜のバレエ」に出演した。バレエの基礎である「五番ポジション」が確立されたのもこの時代。「王立舞踊アカデミー」の創立は1661年、そして1671年には「パリ・オペラ座」が開館した。
「バレエの歴史は調べれば調べるほど世界史と連動しています」と桜井氏。わかりやすく言うと、そのときどきに力のあった国でバレエは発展してきた。文化芸術はある程度の国力がないとなかなか花開かないものだからだ。

フランスからロシアへ、発展を遂げたバレエ

 フランスで発展したバレエは、18世紀以降、ヨーロッパ全域に広がっていく。中でも力を注いだのが帝政ロシアだった。地理的条件から文化的に遅れていたロシアは、フランスのバレエを積極的に取り入れて「ペテルブルグ帝室バレエ学校」を開校。ロシア以外でもデンマークに「デンマークロイヤルバレエ学校」が設立された。この時代に提唱されたのが「バレエ・ダクション=物語バレエ」だ。それまでのバレエはどちらかというと「大きなショー」。そこに現在も上演されている「リーズの結婚(ラ・フィーユ・マル・ガルデ」が登場する。舞踊に演劇性の加わった作品はやがてバレエの主流となっていく。
19世紀になると、バレエは新たな変革のときを迎える。変革を担ったのがトゥ・シューズだ。爪先立ちのできるこのシューズの「発明」により、バレリーナたちは「この世にいない女の人」を表現できるようになった。爪先立ちで空気に浮くように歩くことで、ダンサーは「妖精」にも「幽霊」にもなれた。「ラ・シルフィード」、「ジゼル」といったクラシックの名作にはそうした妖精や幽霊が登場するようになる。チュチュもまた、この時代の産物だ。そして19世紀後半にはついにチャイコフスキーの三大バレエ、「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」が上演される。
 ロシアで大発展を遂げたバレエは、20世紀、「ディアギレフのバレエ・リュス」としてフランスに逆輸入される。当時のパリの人々は、そのすばらしさに熱狂したという。だが、当のロシアではその後革命が起こり、バレエ団やバレエ学校のスポンサーであったロマノフ王朝は終わりを告げることとなる。
「それでも、ロシアの人々はバレエが好きだったんですね。ソ連になってもボリショイやワガノワなどのバレエ学校は解体されることもなく残り、国立バレエ学校として国家によって支えられてきました。」
 ソ連はバレエを国家的事業と見なし、全土に共通するバレエダンサー育成システムを確立した。社会主義国故の規制も多かったが、その中で芸術監督や振付家、バレエダンサーたちは精一杯のパフォーマンスを発揮して世界に誇れるバレエを上演しつづけてきた。それはソ連崩壊後の現在も受け継がれている。

バレエ鑑賞に避けては通れないのがチャイコフスキーの「三大バレエ」

 セミナー後半は「世界のバレエ事情」と「バレエ鑑賞への招待」。まずは21世紀の現在、世界にはどんな劇場やバレエ団があるのか。まずソ連崩壊で独立したロシアやウクライナなど旧ソ連の国々のほとんどは国立バレエ団を持つ。旧ソ連のバレエ団の「不思議でおもしろい」ところは、ソ連時代に全土で同じバレエ教育システムを採用しながら、それぞれの地域の民族舞踊も大切にしてきた点だ。また、ペルミバレエ団のように第二次世界大戦中にキーロフバレエ団とワガノワバレエ学校が疎開してきたことで発展したバレエ団もあれば、国立ブリャート歌舞劇場のように現在は日本人が芸術監督を務めている劇場もある。
 ロシアとともに見逃せないのがフランスのパリ・オペラ座バレエ。歴史はそれほどでもないが演劇性が濃い英国ロイヤル・バレエ団、多様な顔を持つドイツ各地のバレエ、個性的なデンマークのバレエ、近年様変わりしたイタリアのミラノ・スカラ座、それにダイナミックなアメリカやキューバのバレエ、旧ソ連同様のスカウト制を持つ中国、男性ダンサーのレベルが高い韓国など、世界にはさまざまなバレエがある。
「それと、バレエを見るならば避けては通れないのがチャイコフスキーの三大バレエです。」
 いまや世界の誰もが知る三大バレエのうち「眠れる森の美女」と「くるみ割り人形」は、実は劇場主と振付家の細かい依頼に基づいて作曲されたものだという。
「凡人だったら枠組みの中で小さくなってしまうけれど、チャイコフスキーはものすごい自由な発想をしてみせました。」
 チャイコフスキーが「天才作曲家」と称される由縁だ。バレエには他にも「ジゼル」や「ドン・キホーテ」、「バヤデルカ」、「ライモンダ」などの名作がいくつもある。敷居が高く感じるバレエだが、見ずにいるのは損というものかもしれない。
 桜井氏の「夢」は2つ。「まだ取材していないスペインやポルトガルに行くこと」と「日本舞踊を探求すること」だ。
「日本舞踊はあらためてふれるとすごく新鮮。外国の人にも紹介していきたいですね。」

講師紹介

桜井 多佳子(さくらい たかこ)
桜井 多佳子(さくらい たかこ)
舞踊評論家
大阪府生まれ。1992年ロシア国立劇場芸術大学(モスクワ)研修。現在、日本経済新聞、ダンスマガジンなど新聞・雑誌などに舞踊批評、レポート、インタビューなどを執筆。ペルミ(ロシア)国際バレエコンクールプレス審査員、ヴィチェフスク(ベラルーシ)国際振付コンクールプレス審査員、韓国国際舞踊コンクールVIPほか。文化庁国民文化祭実行委員、同芸術祭審査員、同芸術選奨選考委員などを歴任。海外取材は36か国に及ぶ。著書に「感じるバレエ」(文園社)、共著に「バレエ・ギャラリー30」(学研)、「ロシアの文化・芸術」(生活ジャーナル)がある。