スルガ銀行 Dバンク支店

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2013年10月10日(木)19:00~21:00

樋口 嘉章(ひぐち よしあき) / 株式会社オリエンタルコンサルタンツ 理事

地中海みなと物語
~プトレスマイオス時代のアレクサンドリアとビザンティン時代のコンスタンティノープル~

紀元前332年にアレクサンダー大王によって築かれたアレクサンドリア港。1990年代以降に大がかりな水中考古学的調査が進められ、プトレマイオス朝当時のアレクサンドリア港の様子がわかってきました。また、イスタンブールではマルマライ・プロジェクト(ボスポラス海峡横断鉄道トンネル)の建設現場からビザンティン時代の港の遺構や当時の沈船が出土したため、工事を中断して発掘調査が行われました。これらの港や当時の海上輸送について、長年「港」に関わってきた樋口氏にエンジニアの視点からお話しいただきました。

地中海地域に魅せられて

 本セミナーで19回目となったアレクサンドリアシリーズ。今回は運輸省の技官として長らく国内外の港湾や空港を担当し、退官後の現在も株式会社オリエンタルコンサルタンツの理事としてさまざまな海外プロジェクトに携わっている樋口嘉章氏に、アレクサンドリアとコンスタンティノープルという、地中海を挟む2つの「みなと」についてお話しいただいた。
「前半はアレクサンドリアについて、とくにアレクサンダー大王によって街と港がつくられてからヘレニズム文化が花開いたプトレマイオス朝の時代を中心に。後半はイスタンブールについて、現在進んでいるボスポラス海峡横断トンネル工事で見つかった港湾遺跡のお話をさせていただきます。」
 モニターに映ったのは地中海の図。地中海地域の定義は「地中海」を著したブローデルによれば「ナツメヤシの北限とオリーブの北限の間」だという。そこにはイタリアもギリシャも、アレクサンドリアのあるエジプトも、コンスタンティノープル(現イスタンブール)のあるトルコも含まれる。昔で言うなら、マケドニア王国もローマ帝国もオスマン帝国も、すべてこの地域に栄えた国だ。
 樋口氏が地中海地域に興味を抱いたのは大学の卒業旅行のときだったという。
「ヨーロッパを旅し、最後に行ったローマで、ミケランジェロやボッティチェルリの描いたシスティーナ礼拝堂に圧倒されて文化的消化不良を起こしてしまったのをきっかけに、イタリアや地中海地域に魅かれるようになったのです。」
 1992年にはイタリアの港湾都市ジェノヴァで開かれた「国際船と海の博覧会」の日本館メンバーとして現地に長期滞在、この地域と関わりを深めてきた。
「地中海は歴史的にも地理的にもとても大きいエリアなので、なかなか一口で語ることは難しいと言えるでしょう。」
 そこで今回は2つの港町に的を絞っていただいた。

大灯台が象徴するアレクサンドリアの繁栄

 まずはアレクサンドリア。ナイル川が地中海に流れ込む扇状地の西に位置するこの街は、紀元前13世紀頃は「ラコティス」と呼ばれる小さな漁村であった。ホメロスの「オデュッセイア」には「ファロスという名の島がある そこには良港あり」と記されている。この地をペルシャとの戦いに勝利したアレクサンダー大王が「アレクサンドリア」として建設したのが紀元前332年。大王は夢枕に現われたホメロスに導かれたという「直観」により、またエーゲ海を越えて東地中海での交易を目指してここに港湾都市を築いた。以後、アレクサンドリアはのちにエジプト統治を継いだプトレマイオス朝時代を通じ、エーゲ海交易の中核地として、また学術都市として大いに栄えていくこととなる。
 当時のアレクサンドリアの繁栄を象徴するのが「ファロス島の大灯台」だ。土地が平坦でそのうえ海には浅瀬が多かったアレクサンドリアには航海の目印が必要だった。そこでプトレマイオス朝はクニドス人の建築家ソストラトスに命じて大灯台を建築する。「古代世界の七不思議」に数えられるこの大灯台は高さ約124メートル(150メートル、180メートルという説も有り)。紀元前3世紀にこのような高層建築が造られたことは驚きだ。港口にそびえたつ大灯台は、その後、大地震で倒壊するまで1400年以上に渡ってアレクサンドリアを目指す船を安全に港に誘導してきた。「ファロス」の名はやがてギリシャ語やラテン語で「灯台」を意味するようになり、それは現在もフランス語やイタリア語、スペイン語、ポルトガル語などの中に残っている。
 地中海とナイル川、2つの大動脈を擁するアレクサンドリアにはエジプト国内はもとより、アラビアやインド、アフリカ内陸部、地中海沿岸などから穀物や香料、オリーブ油、スパイス、金、象牙、木材、石材など多種多様な物資が集積した。経済的な豊かさは治世者の学術振興を呼び、アレクサンドリアはヘレニズム文化の中心都市となる。この時代、ここにはユークリッドやアリスタルコス、ヒッパルコス、アルキメデス、ヘロフィロスなどの学者が集い、さまざまな研究成果を挙げた。紀元前30年にクレオパトラの死によってプトレマイオス朝が終わってから、エジプトはローマの属州となるが、100万人の首都ローマを支える「穀倉」からの小麦の積出港としてアレクサンドリアは重要な役割を果たす。現在は人口450万人の大都市。長い歴史の中では災害や支配者の交替で衰微していた時期もあったが、「港に沈む夕日はアレクサンダー大王が見たものと変わらない」と樋口氏。モニターには大王が造った東港(ポルトス・マグヌス)の夕日が映された。

「トルコ150年の夢」に貢献する日本

 後半はイスタンブール。ボスポラス海峡を挟んで東側がアジア、西側がヨーロッパという東西の架け橋であるこの街の魅力は何と言っても多国籍な雰囲気だ。ここが港町となったのは紀元前667年のギリシャ時代。その頃は「ビザンティオン」と呼ばれていた。それが「コンスタンティノープル」と名を変えたのは、ローマ帝国の皇帝となったコンスタンティヌス帝が帝国の首都をローマからこの地へと移した紀元330年のこと。以降、コンスタンティノープルは1000年以上もビザンティン帝国(東ローマ帝国)の首都であり続けた。15世紀に陥落して以降もオスマン帝国の首都としてヨーロッパと対峙した。現在のトルコの首都はアンカラに移っているが、同国最大の都市として輝きを放っている。ここで樋口氏が解説してくれたのは、日本のODA(政府開発援助)で大成建設などが進めているボスポラス海峡横断鉄道トンネルの工事。このプロジェクトには樋口氏のオリエンタルコンサルタンツも関わっている。このプロジェクトの現場からビザンティン時代の港湾の遺跡が出土したのだ。「イスタンブールは遺跡の上に人が住んでいるような町ですから地下に鉄道を通すのは難工事」だという。次々に出てくるビザンティン時代の港や教会の遺跡や30隻以上の船、人骨などの遺物。そこからは当時の造船技術や土木技術、人々の生活ぶりが見えてくる。ボスポラス海峡の東西を結ぶのは現地の人々にとっては「オスマントルコ時代(19世紀)に構想が描かれて以来の150年の夢」。その「夢」の実現に日本のODAや企業が貢献しているのは嬉しい話だ。
 樋口氏の「夢」は「地中海みなと物語」を今後もつづけていくこと。そして、ヴェネツィアやイスタンブールなどの美しい港町に「クルーズ客船で海から入港すること」だ。
「浮世離れした話かもしれませんが、カルタゴやマルセイユ、シシリア島、アドリア海東海岸の港町、ギリシャの港、リュキアなど、地中海のさまざまな港の歴史をたどりたいと思っています。」樋口氏の物語はこれからもつづく。

講師紹介

樋口 嘉章(ひぐち よしあき)
樋口 嘉章(ひぐち よしあき)
株式会社オリエンタルコンサルタンツ 理事
1955年兵庫県神戸市生まれ。東京大学工学部土木工学科卒業。運輸省港湾局入省後、関西国際空港(株)、(財)国際船と海の博覧会協会事務局、(財)国際臨海開発研究センター、国際協力事業団(JICA)長期派遣専門家(インドネシア)、東京航空局飛行場部、(社)日本港湾協会などを経て、2013年4月より現職。