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イベントレポート

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2013年11月5日(火)19:00~21:00

江前 敏晴(えのまえ としはる) / 筑波大学教授

古来の紙を守り、未来の紙を作る

Paper Scientistとして、「将来の紙」と「古来の紙」をテーマに紙の研究を行っている江前氏。将来の紙に関しては、「紙」と「印刷」をキーワードに紙基板健康診断チップや紙基板細胞培養バイオアッセイシステムを、また紙の振動を電気に変換するデバイスを開発。古来の紙に関しては、紙文化財の保存科学技術に関する研究を進めており、水害被災した紙文書類の塩水を用いた緊急処置法を提案してきた。紀元前に発明され、以降私たちの生活になくてはならないものとなった「紙」。その紙が織りなす「過去」と「未来」の壮大な物語、そして同氏の生き方、社会活動なども併せて紹介いただいた。

紙をエレクトロニクスに。「未来の紙」を研究

 講師の江前敏晴氏は日本では数少ない「紙パルプ」専門の研究者。30年に渡る研究活動の中でも最近は、インクジェット印刷と紙を利用して新しい機能を持たせた紙基板ツールなどの「未来の紙」と、古文書など「古来の紙」を守る技術の開発に力を注いでいるという。今回のセミナーではその研究の内容を紹介。同時に製紙産業の現状や紙の持つ性質などについて解説していただいた。
「私の基本的なモットーは〈好きなこと〉をやる。これがすべてです」
 「実験」や「研究」はもちろん「好きなこと」のひとつ。そんな江前氏が「紙の研究」に挑戦したのは小学生のときだったという。
「いろんな紙をコップの水につけて、どの紙がいちばん早く浸透するか実験したんです」
 出身は東京大学の農学部。ここで木材についての研究をはじめて「紙」の世界に入った。ところが最近は電子メディアの普及で紙の需要が減ってきた。紙の生産量は2000年の年間約3,200万トンをピークに昨年は2,770万トンにまで落ち込んでいる。これは「紙の研究者にとっては寂しいこと」だという。
「紙の本や印刷物は人間にとってもっともフレンドリーな情報源です。もっと紙の良さを知ってもらって社会で広く使われるようになってほしいと思っています」
 そう語る江前氏が取り組んでいるのは、たとえば「紙を使ったデバイス」の研究。新しい紙の使い方が見つかれば、ふたたび需要は上がる。そのためには新しい技術を取り入れた「未来の紙」が必要だ。江前氏の筑波大学の研究室ではその基本技術の一つとして、インクジェット印刷によって紙に電極をつくる「紙のエレクトロニクス化」に取り組んできた。メリットは素材の表面に気化した金属を吹きつける蒸着の工程が要らないこと。インクジェット印刷ならば必要なところだけに電極をつくることができるので無駄がない。そもそも紙は安定供給のできる安価な素材。こうしてできる「プリンテッドエレクトロニクス」は、気軽に捨てられる「使い捨てエレクトロニクス」になり得る。用途として有力なのは医療や食品、環境などの検査に使える「ペーパーデバイス」だ。

医療、食品、生物学。さまざまな分野に使える「ペーパーデバイス」

 この「ペーパーデバイス」の発想で江前氏が開発したのが「紙基板健康診断チップ」。病院で検査を受けるにも時間がかかる今の時代、患者が自分で健康データをチェックするのに便利で安価な紙製チップがあれば医療システムに貢献できるというわけだ。
「紙のいいところはポンプがなくても液体につけると勝手に吸い上げてくれるところです。これで少量の血液を吸い上げて血液中の糖分を測るとか、そういう液体の検査ができるんです」
 実験を重ね、どういった性質の紙がこのチップに向いているか調べた。紙の表面には疎水性のバリアを設け、必要な箇所にだけ高速で液体が通るようにした。幾度もの実験を通してできたのは高機能の紙基板センサー。これらの工程のすべてがインクジェット印刷によるものだというから驚きだ。
 次に紹介されたのは「紙とインクジェット印刷を用いたバイオアッセイシステムの開発」。これは生物学的な検査などにおいて大量のシャーレが必要なバクテリアや菌類の培養を紙の上で行うというものだ。
「イメージとしてはシート状の紙に寒天培地をドット状にいくつも印刷し、そこに胞子やバクテリアをつけて、それぞれの培地の成長具合を小面積で比較しようといったものです」
 最大の懸念は、インクジェットの中を通過するときにかかる力で菌類やバクテリアが死んでしまわないかどうか。テストに大腸菌を印刷してみたところ、48時間後にはしっかりとコロニーを形成していた。1滴あたりの粒子をカウントした結果、印刷される細胞数も安定することが判明。数が安定していればデータも取りやすい。こんなふうに「紙」という素材にはまだまだ可能性が秘められている。
「現在、力を入れているのは紙の振動を電気に変換するデバイスの開発です。これがうまくいけば、話しかけたら答えてくれるインタラクティブなポスターとか、そういうものが生まれるかもしれません」

「楽しいことを考えて実行に移す」

 こうした「未来の紙」に夢を託す一方で、江前氏の研究室では「水害被災した紙文化財の塩水保存方法の開発」など「古来の紙」を守ることにも傾注してきた。「塩水保存法」に着目したきっかけは2004年に発生したインドネシアのスマトラ島沖地震。このときの大津波では土地台帳など被災地の人々にとって大切な文書が水に浸かった。通常、紙は濡れると2日ほどでカビが発生する。だがここでは濡れたままの状態で2ヶ月以上経ってもカビが生えなかった。この話を聞いた江前氏は「理由は『塩』だ。それならば技術にしよう」と、「紙を塩水に漬ける」という実験を繰り返した。その結果、わかったのは塩分濃度が3.5パーセント以上の塩水ならば塩分に耐性を持つ菌類以外は繁殖しないという事実。この研究では研究室の大学院生が活躍。開発された技術を東日本大震災後の文化財レスキューの会議で発表し、2011年度の東京大学総長賞が与えられたという。
 研究とともに江前氏が進めているのは「産学連携」と「国際連携」。紙やパルプは環境に優しい素材。「これをもっと使おう」と、研究グループをつくり、産業界にも働きかけている。またASEAN諸国の大学とも交流をはかり、日本の持つ紙パルプ技術を伝えることに尽力している。
 研究の話題の合間には、子ども向けに開いてきた「楽しい紙の科学」も実践してみせてくれた江前氏。白く見える紙の多くには実は青白く光る蛍光染料が含まれていることや、ハガキなどの郵便物には赤く光るステルスバーコードが印刷されていることを、紫外線を照らしながら見せたり、また筒の透視眼鏡を使えば封筒の中の手紙の文字が読めることなどを実演したり、知ってびっくりの小ネタで場内を湧かせてくれた。
 「夢」は「楽しいことを考えて実行に移す」こと。好きなものをいかに世の中の役に立つものに変えていくか、そこがポイントだ。そしてもうひとつは「教育」。現在の江前氏の研究室は1人を除いて全員が留学生だという。
「留学生を指導していると、彼らの人生の一部を支えているんだという実感がすごく湧くんです。彼らは日本で学んだものを国に持ち帰って役立てねばならない。こうした若い人たちを支え、長く国際的交流を続けていきたいと願っています」

講師紹介

江前 敏晴(えのまえ としはる)
江前 敏晴(えのまえ としはる)
筑波大学教授
1960年福井県生まれ。2004年東京大学助教授、2012年より現職。紙の宣伝マンとして、「トリビアの泉」、「驚きの嵐」などに出演。モットーは「好きなことをやる、楽しいことをやる、そのために努力する」、「いつやるか、まだでしょ」。