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イベントレポート

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2013年11月18日(月)19:00~21:00

横地 早和子(よこち さわこ) / 東京未来大学 こども心理学部 専任講師

「美術家」になるということ
-現代美術家の創造的熟達の過程-

「現代美術」というと、なんだかわけのわからない、親しみにくいものだと思われませんか。そんな作品を作る現代美術家は、エキセントリックで一風変わった人、そんなイメージを抱いている方もいると思います。しかし、彼らは初めからそう生まれついたわけではなく、さまざまな熟達の過程を経て「美術家」になっていきます。その過程は、私たち一般社会人の職業的な熟達過程となんら変わることはありません。今回のセミナーでは現代美術家の熟達過程を職業人としての熟達過程に重ねながら「美術家になるということ」についてお話しいただきました。

 

心理学とは「人にまつわるあらゆるものを対象とした学問」

 心理学者として横地早和子氏が研究対象としているのは教育心理学と認知心理学。今回のセミナーではこのうちとくに認知心理学の領域で東京大学の岡田猛氏と共同研究を進めている「現代美術家の創造的熟達の過程」についてお話しいただいた。噛み砕いて言うと、これは「美術家の創作活動や美術家がどうやってエキスパートになっていくのかを心理学の観点から調査・研究」しようというもの。調査方法は主に美術家へのインタビュー。横地氏と岡田氏はこれまでに、すでに熟達者といえる40代~50代の美術家と、大学院で創作活動をしている若手の美術家、それぞれ十数名に話を聞いて、両者の違いを探ってきたという。
 セミナーの第一部は「心理学」の紹介。心理学とは「人にまつわるあらゆるものを対象とした学問」。生まれてから死ぬまでの間の「個人の発達」、あるいは「対人関係」や「集団」。そこに常として在る人間の「心を理解する」ための学問が心理学だ。
「心理学には心の病に対応する臨床心理学や教育心理学などいろいろな分野があります。この中で私が創造性を研究対象とするにあたって領域としているのが認知心理学です」
 認知心理学は人間のこころの動きを情報処理プロセスとして理解しようとするものだ。
「目で見たり、耳で聞いたりといったベーシックな機能が知覚の機能だとしたら、複雑な問題に取り組むなどの機能はその上の高次認知機能と言えます。そういう意味では創造性もまた認知心理学のターゲットとなります」
 もっとも、認知心理学が「創造性」を研究対象としたのは1970年代からと、心理学の取り組みとしてはあまり早い方ではない。心理学全体で見ても創造性の研究がスタートしたのは1950年代から。調査には主に従来からある知能検査、紙に鉛筆で答えるテストが方法としてとられてきた。が、この方法では本当の創造的な活動を読み解くには限界がある。そこで心理学者の中には認知心理学の領域でこれに取り組む研究者が出てきた。

長期のプロセスから見えてくる美術家の創造的熟達

 ではなぜ長い歴史を持つ心理学が芸術の研究においては出遅れてしまったのか。その主たる原因となったのが「天才説」や「インスピレーション説」だ。芸術は一部の天才が生み出すものであり崇高なもの。創造性は神秘的なものであり科学の研究にはふさわしくない。そうした固定観念が心理学と芸術を引き離していた。しかし、近年の研究で創造性はけっして特殊なものではないことがわかってきた。芸術においても人は他の職能と同じように知識や技術を積み重ね、それを学びとるなかで創造性を獲得していく。認知的活動の連続体上にあるという意味では一緒だ。違いがあるとすればそれが「創造性」であること。こうした「創造性」を獲得している人を「創造的熟達者」と呼ぶ。
「今日のお話は美術家が大学生や大学院生だった頃からどういうふうに熟達化していき、40代、50代で芸術性を高めていくのかといったものです。そのためには創造活動を長期のプロセスで見なければなりません」 
 ピカソは大作『ゲルニカ』を2か月かけて完成させた。だがこの2か月だけを追ってもピカソという芸術家の熟達化の過程はわからない。この観点でピカソを知るには「青の時代」、「バラ色の時代」、「キュビズム」、「新古典主義」、そして「ピカソスタイル」と90年に及んだピカソの生涯を眺め、内的な変化や綿々と流れるテーマを探る必要がある。横地氏と岡田氏はこうした観点から現代美術で活躍している40代~50代の日本の美術家たちに、作品集であるポートフォリオを前に置いてのインタビューを実践。創作活動を始めた若い頃から現在に至るまでの作品の変遷や考え方の変化などを詳しく聞いていったという。セミナー後半では実際に各作家の作品を画像で見ながら、その移り変わりについて説明していただいた。

熟達した美術家には「ビジョン」や「キーワード」がある

 まず紹介されたのは女性作家の立体作品。当初「時間」をモチーフにパラフィン(蝋)を素材に創られていた作品は、その後のイタリア留学中にモチーフが「自分」に変わり、使う素材も紐や布になっていった。こんなふうに創作活動をつづける美術家にはたいていどこかで作風に区切りが生じ、作品が「シリーズ化」していく。次に見た40代の男性作家は「熟達」という意味での変化が顕著な例。若い頃は人気のある作家の「物真似」。中学校の美術教師をしていた7年間はシュールレアリズム(超現実主義)。そして「あるきっかけ」から「パラレルワールド」というキーワードに辿り着き、世間から注目されることとなる新しいシリーズを生み出してみせた。
「若手と熟達者の違いは、経験年数に加え、このキーワードを持っているかどうかです」
 聞いていくと、熟達した美術家はだいたいそろそろ中年期に入るかという頃、平均すると36歳で「自分がやりたいのはこういうことだったんだ」と自覚する瞬間を迎えるという。そして大抵の場合はその前に一度は「行き詰まり」を感じる。そして「きっかけ」につながるその行き詰まりを乗り越えたときに、作家は「キーワード」や「ビジョン」を手にし、さらに新しいシリーズを生みだす。
 一方、若手の場合は全体として見ればまだこうしたものは持っていないのが普通だ。ただし横地氏がインタビューした芸術系大学の大学院生は昨今の「コンセプト」重視の教育カリキュラムの影響か、それを念頭に作品制作に取り組んでいる人が多かったという。こうした作品一つひとつに存在する「コンセプト」は、もしかしたら後に手にすることとなる、作家としてのビジョンの萌芽となるのかもしれない。
 それでは日本の若手現代美術家を巡る環境はどういったものか。芸術系大学の大学院の増加もあり、日本には芸術家の卵が大勢いる。だがこのうちプロの美術家になれるのは「1学年に1人いればいい方」だ。大半の人は学校を出ると制作場所や資金が確保できず、美術家への道を断念しているのが現状だという。
「パリのルーブル美術館には海外からも人がやって来る。これは文化的な強さの象徴です」
 そうした文化的な強さを日本が持つには若手の美術家への支援が不可欠だ。
「私の夢は自分の研究を社会に還元すること。若い美術家の人たちに経済的な支援だけではなく、彼らが作家として熟達していくプロセスそのものを支援できるような、そうした土壌づくりに貢献できたら、と願っています」

講師紹介

横地 早和子(よこち さわこ)
横地 早和子(よこち さわこ)
東京未来大学 こども心理学部 専任講師
名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期修了。心理学博士。東京大学大学院教育学研究科特任助教を経て現職。専門は、認知心理学、教育心理学。特に、芸術(主に美術)における創造活動、美術家の熟達過程を認知心理学の立場から研究している。主な著書に『実践知』(共著、有斐閣)、『思考と言語』(共著、北大路書房)などがある。