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イベントレポート

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2013年12月5日(木)19:00~21:00

近藤 篤(こんどう あつし) / カメラマン

ミッドタウンのボールピープル

Jリーグ、ワールドカップ、欧州チャンピオンズリーグ。日本、そして世界にはさまざまなサッカーの試合があり、そこには必ず「勝ち」「負け」「引き分け」があり、多くのファンが試合内容や結果について、ああでもないこうでもないと議論している。勝って嬉しい、負けて悲しい。選手の芸術的なプレー、監督の拙い采配、流れを変える戦術、そしてゴールの瞬間に生まれる熱狂...。「でも、サッカーというスポーツの魅力はピッチ上で起こっていることだけでは語り尽くすことはできない」と語る近藤篤氏。フォトエッセイ『ボールピープル』で「サッカーを通して世界を覗き、世界を見ることでサッカーが見えてくる」ことの面白さを表現した同氏に、日本ではまだ語られていないサッカーの真の魅力についてお話しいただいた。

「何かをやりたい」という思いが生んだ『ボールピープル』

 今年5月、オールカラーのフォトブック『ボールピープル』を上梓した近藤篤氏。この日のセミナーでは、文藝春秋社の担当編集者である涌井健策氏を司会役に、いかにしてこの「一風変わった本」ができていったのか、また近藤氏が考える「いい写真とは」について、作品を見ながらお話しいただいた。
 『ボールピープル』は近藤氏が長年に渡って撮りつづけてきた「世界のあらゆる場所で、サッカーに興じる人々」の写真を集めた1冊。そこに写っているのは「イングランドの名門スタジアム」や、「南米の場末のフットボールクラブ」、「震災後の東北地方」だったりする。被写体の大半はごく普通の人々だ。「こうした写真はこの1枚から始まったんですよね」と涌井氏が紹介してくれたのは、1999年頃にパキスタン北部のフンザで撮影された「ボロボロのボールを蹴っていた少年」。近藤氏によれば「ただ、そこにあるものを撮っただけ」の写真だったが、あとから見ると「ここから始めれば、何か形になる」と感じたという。そして世に出たのが大勢の近藤篤ファンを生んだ『ボールの周辺』、『木曜日のボール』などの一連の著作だった。
 普段は雑誌『ナンバー』などで試合の撮影などもしている近藤氏。サッカーの写真は、実は「試合だけ撮っているとストレスがたまる」ものだという。
「試合中は一番いい写真になるプレーが自分の目の前で起きるとは限らない。日本代表の試合だったら、勝ち負け以前に本田圭祐がゴールを決めて目の前でガッツポーズを決めてくれることの方が大事なんです」
 もちろん、いつもそう都合良く写真が撮れるわけではない。一方で、サッカーカメラマンは大勢いるし、サッカーについて語る人も無数にいる。そのなかで近藤氏が考えていたのは自分なりの「何かをやりたい」ということだった。今回の『ボールピープル』は、そういう思いから湧き出た企画だ。

見る者を「どこかへと連れて行ってくれる1枚」

 企画の第一段階は自分で撮りためた写真を選び、コピーを書き、レイアウトを考えた。そして懇意にしているデザイナーと組んでパイロット版をつくった。文藝春秋社で刊行が決まったときは、『ナンバー』誌の編集者である涌井氏が手を挙げて編集担当となった。雑誌の編集者が書籍の編集をすることは異例だ。「それだけこの本はおもしろいと思ったんです」と涌井氏。近藤氏の写真やコピーは迫力満点。「250ページを、読んでいる人がひたすらドキドキするものにしたい」という著者が選んだ写真にはサッカーと関係のないものもあったし、その文章には巷の自称サッカー論者がギクリとするようなウィットのきいた一節もあった。むろん、なかには編集作業において「間引いた」ものもある。セミナー前半では、そうしたお蔵入りしたコピー、未公開写真なども惜しげなく披露。それぞれにまつわるエピソードを笑いを交えて聞かせてくれた。
 セミナー後半は「いい写真」について。まず注目したのは、ドーハで撮られた「おやじ」と「女性」のツーショット。濃い顔をした「おやじ」とベールで顔を覆った「女性」が印象的な、何とも吸引力のある1枚だ。ただし、そこにサッカーボールはない。それでも近藤氏はこの写真を『ボールピープル』に収録した。言うまでもなくそこには著者としての意図や写真家としての考えがある。
「世の中にはいろんな〈いい写真〉があります。その中でこの1枚は僕の中では〈どこかへ連れて行ってくれる写真〉なんです」
 本作りをしているときに考えたのは、「本を開いている人の隣にいる人が覗き込んで、いったい何の本なんだろう、と不思議に思うような本」だ。一度見たら食い入って見たくなるような写真の数々。そういう意味では「写真集という文脈ではなく、本当は単体で切り売りしたい」、そういう写真が集まっている1冊だ。

「いい写真」とは何か

 次の写真はこのセミナーのフライヤーにも使用したアメリカでのショット。明るい空を背景にした牛の着ぐるみと3人の少女のスナップは、「どろどろした写真が多い」という近藤氏の作品のファンにとっては「いい意味で違和感のある1枚」だ。漂っているのは清潔感とアメリカならではのポジティブな空気。近藤氏いわく「ちょっと撮らせてよ」と何も考えずに撮った写真だったが、あとで見ると「これいいな」と感じる作品になった。こんな風に何気なく撮った1枚が「いい写真」になることは少なくないという。
 ただ、「いい写真」は一線を越えると、ときに「狙い過ぎたあざとい写真」ともなる。
近藤氏が考える「いい写真」は「場面の先を類推するスペースがある写真」だ。男女の別れの場面であったら「女性が泣く前まで」。これから起きることを見ている人が想像できる写真。これが流した涙をハンカチで拭いているような事後の写真となると「ただの現実」でしかない。
「サッカーの試合だと、だいたいゴールを決めて絶叫している写真を使いますよね。ある意味これはあざとい写真なんです」
 サッカーはプレー中に何が起きるかわからない、先が読めないスポーツだ。それを撮影するカメラマンにとっては「決定的瞬間」になり得るプレーが90分間つづく。しかも「決定的瞬間」は見る人によって違ったりする。
「シュートではなく、実はクロスが、あるいは相手ディフェンダーが芝生に引っかかって転んだのが決定的瞬間かもしれない。この、どこから始まっているかわからないところがサッカーのおもしろさなのかもしれませんね」
 そう語る近藤氏だが、「サッカーから離れたい」という気持ちもある。その原動力となっているのは、もっといろいろなものを撮りたいという写真家としての向上心だ。
「でも、サッカーの力というのはものすごく強くて、何かあると助けてくれるんです」
 自分でもプレーをする近藤氏。「試合で点を取ったりすると悩みが消える」と笑う。
 質疑応答のあとは参加者に写真を個展で使用した写真などをプレゼント。最後は「夢」について語ってもらった。
「サッカーがらみの写真で『ニューヨーク近代美術館』で個展を開きたいですね。でなければ、せめて『東京都写真美術館』で!」
サッカーがなぜ世界NO.1のスポーツと呼ばれるのか。近藤氏の『ボールピープル』を見ればその答えがおのずと見えてくるだろう。

講師紹介

近藤 篤(こんどう あつし)
近藤 篤(こんどう あつし)
カメラマン
1963年愛媛県生まれ。上智大学外国語学部スペイン語学科卒。大学卒業後、中南米に渡り、ブエノスアイレスにて写真を撮り始める。94年に帰国し、「Sports Graphic Number」を中心に、サッカー写真、ポートレイトなどを発表。世界中でサッカーを愛する「ボールピープル」を撮影し続けている。著書に『木曜日のボール』、『ボールの周辺』、『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。ATSUSHI KONDOU.JP