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イベントレポート

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2013年12月12日(木) 19:00~21:00

室伏 由佳(むろふし ゆか) / アテネ五輪女子ハンマー投日本代表

キャリアトランジション勉強会7

人生の分岐点に
~現実とどう向き合うか、考え方の重要性~
夢は大切、現実から目をそむけないことも大切。
あなたならどうしますか?準備はできてますか?


「人生の転機をどう乗り越えるか」というテーマを、アスリートの競技引退を軸に考える勉強会。今回のゲストは女子ハンマー投元日本代表の室伏由佳氏。国際的にも稀有な投擲2種目を両立してきた室伏氏のさまざまな節目を振り返りながら、その時々の悩みのプロセス、心理葛藤、決断の背景などを語っていただいた。

「山」もあれば「谷」もあった現役時代

 d-laboでは7回目の開催となる「キャリアトランジション勉強会」。今回のゲストは昨年、24年続けた陸上競技=投擲種目を現役引退した室伏由佳氏。自身を「落ち込みやすいタイプ」と評する室伏氏がいかにそれを乗り越えてきたのか。進行役はお馴染みの田中ウルヴェ京氏と重野弘三郎氏。セミナーはまずは恒例の「ライフライン」の検証から始まった。
 「ライフライン」は横軸が年齢で縦軸が幸福感。これを見ればその人が何歳頃に幸福で、何歳頃に気持ちが沈んでいたかがわかる。室伏氏の場合、いちばんの「山」は27歳だった2004年。この年はハンマー投げで日本記録を樹立し、アテネオリンピックに出場している。そして30歳を過ぎた頃に持病の腰痛が悪化。一時は「寝たきり状態」になるほどで、精神的にはどん底の「谷」を迎える。この「長いトンネルのような暗闇」を脱したのは、痛みから解放されたつい最近のことだという。
 陸上競技を始めたのは12歳のとき。父は日本選手権10連覇の「鉄人」こと室伏重信氏。そして2歳上には兄の広治氏がいた。このため、投擲を始めた時から周囲には「室伏の娘」、「室伏の妹」という目で見られていた。
「きっと活躍するだろう、と思われるんですね。でもそれがプレッシャーになって高校生のときのインターハイでは失敗しました」
 そこで悟ったのは「自発的ではない自分」。一方、仲間からは「いいね、家でお父さんに教えてもらえて」と羨ましがられたりもする。それに反発し、大学4年までは「1人でできる」と、あえて父の指導を受けずに過ごした。
「だけど、アスリートの勘でこのままじゃ自分は先細りだと気付いたんです。そこで父に頭を下げて指導を仰ぎました」
 そして1年後の、社会人1年目で円盤投げの日本記録を樹立。「いちばん近くにいる人の言葉を聞く」ことの大切さを知る。
 田中氏と重野氏が感心したのは、指導者である父が娘が頭を下げてくるまで何も言わずにただ見守っていた点。「指導者というのは成果を挙げたいから、とにかく口出ししがち」と重野氏。だが室伏父娘の場合、父は黙って娘が歩み寄ってくるのを待っていた。室伏氏も「その意味では親子ならではの関係性があったのかも」と振り返る。

「これで頑張れば何かになれる」

 話は過去に戻って、「なぜ投擲を始めたか」に。父や兄の影響はもちろんあったが、いちばんの理由は「投げれそうだと思ったから」。「これが好き」、「自分はこれならできる」というインスピレーション。この直感が自分を競技に向かわせた。元Jリーガーである重野氏もサッカーについては「14、5歳の頃に自分も同じような確信を抱いた」と頷く。室伏氏によると、「子どもの頃の私は飽きっぽい子だった」と室伏氏。「その私が自分にはこれしかないと思えたのが陸上競技だったんです。これで頑張ったらきっと何かになれると感じたんですね」 その思いは、やがて日本記録やオリンピック出場につながる。ただし、一方でそれは身体を痛めつけることにもなった。「スポーツ選手は実は不健康」と田中氏。アスリートは練習や試合を通して身体に負荷をかけるし、精神的にもプレッシャーを感じやすい。成績が振るわなかったり怪我をしたりで「鬱」状態になる選手も珍しくない。ただし、こんなふうに落ち込むことはけっして悪いことではない。なぜならば「それを経験すれば耐性ができるから」だ。そして「落ち込む」ことは、実は調子が悪いときだけではないという。
「いい記録を出したときというのも、逆に落ち込むんです。まわりは『もっとできる』と思うんですけど、自分では『次はどうしよう』って思ってしまう…」
 振り返ると「アテネまでの自分は中途半端だった」と室伏氏。日本記録は出していたものの、なぜか頑張りきれていなかった。だが、20代後半という自分の年齢と真摯に向き合って「アテネしかない」とエンジンをかけた。その後、故障に苦しむことを考えると、この決断は正しかった。
 2005年以降は「いつ終わるかわからない長いトンネルの時代」。それでも競技をやめなかったのは「この痛みさえなければ」という思いがあったからだった。最終的には「いいドクターに巡り会って」、痛みを克服。「引退試合もできましたし、自分ではうまく下山(=引退)ができたんじゃないかなと思います」
 プロでもアマチュアでも、実はスムーズに「下山」ができる選手はそう多くはない。多くの選手は突然の解雇や挫折とともに競技から去って行く。そういう意味では室伏氏の選手人生は幸せなものだったと言える。

一歩一歩、少しずつでも踏み出せば誰かが見てくれる

 後半は質疑応答。参加者から寄せられた質問は、「本当に挫けそうなときは、どうやって乗り越えてきたのですか?」、「競技をやめた人間がその後の人生で目標設定をしていく上でのポイントは?」、「長いトンネルにいる間、どうやって光を見出したのですか?」といった、前半の話をさらに掘り下げるものが中心。最初の質問に対しては「私はほぼ絶対絶命でやってきました」と室伏氏。
「私は自分に自信がない人間なんです。足りないから頑張ろう。そういう気持ちでいろんなことを乗り越えてきた気がします」 
 2つ目の質問は「まさに自分がその渦中」と笑顔で回答。現在はミズノのスポーツプロモーション部に在籍している室伏氏。競技と違って今の仕事は結果がすぐに出ないもの。観客からの応援も拍手もない。だが、最近になって、「一歩一歩少しずつ踏み出せば誰かが見てくれる」と気付いたという。
「今日ちょっとやれたことに幸福感を持とう。それが大切だということがわかりました」
 これには田中氏も重野氏も「まさにこの勉強会で欲しかった言葉」と共感。キャリアトランジションは、自分の中にいかに新しい価値観を生むか、そこがポイントかもしれない。
 最後の質問の答えは「人」。
「苦しいとき、人間はなかなか助けてほしいと言えないものですが、ぱっと顔を上げるとそこには誰かがいてくれたりします。私はそういう人に引っ張り上げてもらってトンネルから抜け出しました」
 室伏氏の「夢」は「人を幸せにすることを考えて生きていくこと」。そこには何より自分自身の経験が生きているのだろう。

講師紹介

室伏 由佳(むろふし ゆか)
室伏 由佳(むろふし ゆか)
アテネ五輪女子ハンマー投日本代表
12歳から陸上競技を始める。投擲・ハンマー投選手として活躍した父・重信、そして同種目で活躍をしていた2つ上の兄・広治の影響を受け、15歳から投擲種目の円盤投を専門種目に選択。2000年シドニー五輪より女子ハンマー投の正式採用をきっかけに五輪出場をめざし、21歳でハンマー投にも取り組みはじめる。国際的にも稀有な投擲2種目の両立。2004年アテネ五輪女子ハンマー投日本代表、世界選手権2005年ハンマー投、2007年円盤投で出場。

田中 ウルヴェ 京 (タナカ ウルヴェ ミヤコ) 氏
国立鹿屋体育大学客員教授。日本オリンピック委員会(JOC )情報医科学専門委員会科学サポート部会メンバー。東京都出身。聖心女子学院初・中・高等科を経て日本大学在学中にソウルオリンピックに出場。シンクロ・デュエットで銅メダルを獲得。引退後、6年半のアメリカ留学で、スポーツ心理学・キャリアプランニング、認知行動療法等を大学院にて学ぶ。アスリートとしての経験と大学院で学んだ知識を活かし、心と身体の健康をテーマに、ビジネスマンからアスリートまで幅広くメンタルトレーニング、企業研修を行っている。

重野 弘三郎 (シゲノ コウザブロウ) 氏
元Jリーグ選手。神奈川県出身。滝川第二高校‐国立鹿屋体育大学‐国立鹿屋体育大学大学院修了。選手としてセレッソ大阪、富士通川崎(現 川崎フロンターレ)に所属。選手引退後は大学院へ進学し、「プロサッカー選手引退後のセカンドキャリア到達過程」について研究。2002年 Jリーグ事務局入局。同年発足したキャリアサポートセンターにて選手のキャリアサポートに携わり、現在は世界で活躍する選手を育成するアカデミーを担当。