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イベントレポート

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2014年2月18日(火)19:00~21:00

中村 和恵(なかむら かずえ) / 詩人・エッセイスト・明治大学教授

秘密の話
オーストラリア先住民から学ぶ「知る」ことの意味

「4万年以上この大陸に住みつづけてきたという人々は、いったいどんな世界観を持っているのだろう」オーストラリア先住民の現代絵画を見てそう考え、中央砂漠から熱帯雨林へと旅をして、ようやくわかってきたのは、「『知る』ということがどういうことなのかを、根本から考え直さなくてはいけない」ということだった。モノの所有と情報の所有の違い、見せてはいけないものを保存する博物館、神話を知りたがる鉱山会社、知り過ぎたのかもしれない言語学者の運命、長老格の画家の沈黙。「秘密」を入り口に世界をとらえ直す知の旅へ明治大学教授の中村氏にご案内いただいた。

5万年の歴史が育んだオーストラリア先住民の伝統と世界観

『秘密の話』と題された今回のセミナー。講師の中村和恵氏は、高校時代にオーストラリアに留学。その後、アボリジニ(オーストラリア先住民)のアートに魅了され、彼らの文化に興味を抱いたという。以来、20数年に渡ってアボリジニの「秘密」をいわば「のぞき見」してきたという中村氏に、物質文明とは一線を画す彼らの世界観や置かれている現状について語っていただいた。
南半球に位置するオーストラリアは、日本の約22倍の面積を持つ大陸だ。だが、その人口は約2,200万人と、日本で言えば首都圏の人口よりも少ない。集中しているのはシドニーやメルボルンといった都市のある東側。内陸部の多くは砂漠地帯となっている。アボリジニが暮らしているのは中央砂漠地帯から西側、それに熱帯雨林に覆われた北部。彼らは一見するとひとまとまりに見えるが、実は「もともとはすくなくとも200くらいの言語グループに分かれていた」という。エリアによっては1980年代まで白人と接触がなかった人々もいた。こうした人々の伝統的な生活スタイルは、昔ながらの狩猟採集。一説によると5万年前、少なくとも4万年前からこの大陸に住んでいる彼らは、白人社会の物質文明とはまったく異なる文化や世界観を持っているという。
「アボリジニの大きな特徴は『マテリアルカルチャー=物質文明』をごくわずかしか発達させなかったいところ。物を持っていたとしてもほんと少しなんです」
アボリジニの持ち物というと、頭に思い浮かぶのは狩猟用のブーメランや民族楽器のディジュリドゥ。しかし、「すべての部族がブーメランやディジュリドゥを使うわけではない」という。理由のひとつは住環境。「アウトバック」と呼ばれるオーストラリアの内陸部はよそものの目には「何もない世界」だ。そこに広がるのは赤い大地。大きな木が一本もなく、ただ延々と灌木や砂漠がつづくところもある。こうした場所では物を作るにしても、そもそも材料がない。しかしアボリジニに「所有」という概念がないかといえば違う。
「こういった物のない場所で大切にしているものは何か?それは『歌』なんですね」

限られた者だけが耳にすることのできる「歌」

アボリジニの人々がもっとも大切にしてきたのは広い意味での「歌」。歌われる物語や歌を演じる一連の儀礼、儀礼のために演者の身体や大地、教育や呪術のため樹皮や岩に描かれる図像もすべて、つながった文化だ。誰もがそれぞれ先祖から歌い継がれてきた「自分の歌』を持っている。「歌」はわれわれでいうところの神話、祖先であり大地の創造者である「祖霊」たちの旅の記録であり、それぞれの連(対句)が「祖霊の名」として、神聖視される。とくに神聖な歌を聞くことができるのは成人儀礼を受けた男性に限られる。この部族内の掟を破ると伝統的な掟にもとづく殺人も起きかねない。それだけ彼らにとって「歌」は大切な、外部には知られたくない「秘密」となっている。
「これを研究した白人たちのなかで、もっとも論争の的となったのが、T.G.H.ストレローという学者でした」
宣教師を父に持つストレローは、少年時代を、「アレンテ」と自分たちを呼ぶアボリジニのグループが住む中央砂漠で過ごした。遊び相手はアレンテの子どもたち。こうした少年期を経て、ストレローはアレンテの言語を解する当時の白人学術世界では非常に珍しい学者となる。しかしその著書は、代表作の『Songs of Central Australia』をはじめ、すべてがある意味で「危険な」本とみなされるようになってしまう。なぜならば、文中にはアボリジニが「秘密」としている儀礼についての著述が詰まっているからだ。撮った写真やフィルムも膨大な量。そこにはアボリジニに信頼された彼だからこそ撮れた貴重な映像が収まっている。ただし、学者としては不遇であると当人はずっと感じていたらしい。その研究は膨大な時間と予算を必要とするもので、資金はいつも不足していた。また、70年代以降の白豪主義から文化多元主義への転換や、アボリジニの権利回復、土地権運動などにより、先住民族の伝統的遺産を白人が所有することに対して批判の声も出てくる。そうしたなか、ストレローはひとつの事件を引き起こす。自分の研究の成果を世に発表したいと願っていた彼は、経済的な事情もあって、ドイツの雑誌に「秘密の儀礼」の写真をいくつか売ってしまう。写真は英語圏にも流通し、ついにはそれがオーストラリア国内にまで達した。そこに掲載されているのは、儀礼の際に使う「チュルンガ(聖なるオブジェクト)」を隠す岩場儀礼の様子。全身に羽毛をまとってカンガルーに扮した男性や、ドット状の飾りをつけた部族の男たち、男性のシンボルを模したオブジェなど。こうしたものは「すべてその土地の素材でできている」。この儀礼を行う際、アボリジニたちは「歌」をうたう。彼らの世界観のなかでは、先祖は動物の祖霊に行き着く。今、自分たちがいる大地は、こうした祖霊が創造したものだ。それを伝える「歌」は、いわばクリエイション神話であり、法律であり自然界の知識庫であり、土地の権利書や戸籍あるともいえる。個人に帰属するもの、つまり所有物であるから、それを継承する者のみにうたうことが許されるというわけだ。が、ストレローはアボリジニの人々からすれば絶対に他人には見せてはいけないその儀礼の写真を公開してしまった。現在、彼が集めた資料はアデレート大学と、アリススプリングスのストレロー研究センターに収蔵されているが、一般への公開は禁止。「見せてはいけないもの」として保存されている。
「ストレローが亡くなったのは1978年。ちょうど彼の名を冠した研究センターのオープン当日、彼は開館式の場で亡くなりました。劇的というか、やはり何かの呪いがあったのかもしれないという噂がきっとたったことでしょうね」
ちなみに、アボリジニの聖地にはなぜか「ウランが眠っていることが多い」。5万年の歴史にはまだまだ未知の要素が多いようだ。

「秘密は俺と死ぬんだ」。危機を迎えているアボリジニ文化

自身もアボリジニのコミュニティに足を運び、長老格の人物たちと親交を深めてきた中村氏。彼らから耳にするのは伝統の危機的現状だという。アボリジニの暮らしも現代ではだいぶ変貌した。絵画や彫刻などのアボリジニアートが注目される一方で、伝統を知る大人たちの目には最近の若者たちは堕落して見える。このためか、「歌」を語れる人間も減ってきている。長老の中には「秘密は俺と一緒に死ぬんだ」と言い放つ人物もいる。もちろん、中には白人に理解を求めて「歌」を保存していこうとする人たちもいる。彼らの間で「ニンジャガール」として知られている中村氏も、そうした流れに寄与しようと活動しているともいえるだろう。
「世界を見ると西洋近代の白人文化がやはりなんといっても主流になってしまっているけれど、違う掟や違う文化、違う世界というのもじつは根強く、数多く残っている。アボリジニの世界観は、西洋人よりも我々日本人の方がわかるかも、と、わたしはそんな目で見ています」
中村氏の「夢」は「狩猟採集民的に生きること」。貴重な「秘密」に触れた2時間は、拍手で終了した。  

講師紹介

中村 和恵(なかむら かずえ)
中村 和恵(なかむら かずえ)
詩人・エッセイスト・明治大学教授
「世界」の端っこやマイノリティ、日本人のポジションについて、考えながら歩く人。明治大学教授(法学部・大学院教養デザイン研究科)。著書に詩集『天気予報』(紫陽社)、エッセイ集『地上の飯』(平凡社)、『日本語に生まれて』(岩波書店)、共著論集『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)、翻訳『ドラゴンは踊れない』(アール・ラヴレイス著、みすず書房)などがある。