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イベントレポート

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2014年3月13日(木)19:00~21:00

山中 由里子 (やまなか ゆりこ) / 国立民族学博物館 准教授

アレクサンドロス伝承が結ぶ
~古代アレクサンドリア、中世イスラーム世界、宋・明中国~

悠久の昔にユーラシア大陸を駆け抜けた若きマケドニア王アレクサンドロス。その東征はインドが限界となったが、アレクサンドロスの死後に生まれた伝説は、彼自身が征服した地域よりもさらに東に、そして西にも広がった。大王の版図を越えたさらに広範な地域の人びとが、アレクサンドロスについて後代語り継いできたものは何か。アレクサンドリアにまつわるエピソードを中心に、アレクサンドロス伝承の伝播の痕跡を追った。

フィクションとしてのアレクサンドロス大王

「アレクサンドロス大王というのは、紀元前356年~紀元前323年まで生きた人です。マケドニア王に即位してから13年の間にユーラシア大陸を駆け巡ってインドまでを征服しました」
そう語る山中由里子氏の専門は比較文学、比較文化。アレクサンドロスはそのテーマとしては「格好の題材」だという。なぜならば、アレクサンドロスはその存在の偉大さから、死後も伝説が広がり、それが西はヨーロッパ、東は中国や日本にまで達したからだ。もちろん、それらの伝説は真実ばかりではない。ヨーロッパではキリスト教徒が、アジアではユダヤ教徒やイスラム教徒などが、それぞれの世界観でアレクサンドロスを語った。そこに当然ながら、宗教的、政治的なメッセージが込められていた。今回のセミナーは「アレクサンドロスの歴史というよりも、彼にまつわる伝説のお話。フィクションとしてのアレクサンドロスを追っていきたいと思います」。
まず注目すべきは、植民都市であるアレクサンドリア。この名を冠した都市はエジプトのそれが有名だが、実はアレクサンドロスは遠征中にいくつも同じ、自分の名を冠した植民都市を建設している。ギリシャのプルタルコスによれば、そうした街の数は70以上もあったという。その目的は、ギリシャ世界とアジアというふたつの大陸を結ぼうという遠征自体の目的=夢と重なる。征服した先に待つのは当然ながら異文化。その中につくる植民都市は、いわば「ギリシャ文化の島」だ。周辺に暮らす土地の人々はその「島」に出入りすることで、ギリシャの知識や文化を学ぶ。これを目的に、アレクサンドロスは行く先々に母国にあるような街を造っていった。

神格化とともに生まれていった伝承=物語

なかでも有名なのは、やはりナイル川河口の西側に位置するエジプトのアレクサンドリアだ。貿易の拡大を目指して開かれたこの港湾都市の完成を、アレクサンドロスは見てはいない。街が完成したとき、すでに大王は東へと遠征に出ていた。これはどの植民都市もほぼ同じ。アレクサンドロスは己の名前を冠した都市が出来上がった様を、ほとんど見てはいない。大王が植民都市一号であるこの都市にふたたびやって来るのは、熱病で死亡し、遺体となってからだ。遺体をこの地に持ち込んだプトレマイオスは、立派な墓廟を設ける。この頃からアレクサンドロスの神格化が始まり、気が付くといろいろな伝説が語られ始めていく。こうした伝説、伝承の多くはフィクション。「プセウド・カリステネスのアレクサンドロス物語」と呼ばれている。ここで名が出たカリステネスはアリストテレスの甥で、アレクサンドロスの遠征には歴史家として参加した人物だ。遠征中、王の怒りを買い、殺されてしまうが名だけは残り、アレクサンドロスに関するこれらの物語の際にも「プセウド(ニセ)」という冠をつけて著者として登場してくる。物語の内容は「いろいろな要素から成っている通俗史話」。アレクサンドロスとその母との間で交わされた手紙、死に際のエピソード、インドで出会った裸の哲人たち、エジプト土着の伝説がまざってできたもの等々さまざまで、それが紀元前3世紀から紀元後3世紀までの間にできあがり、他言語に訳されながらキリスト教世界やイスラム世界に広がっていった。知られているだけでも24か国80種類。ホメロスの『イーリアス』のように型が決まっているものと違い、これらの伝承は「ゆるく物語に沿っている」のが特徴で、そのため「それぞれの地域でいろんな変化を遂げました」。
「このなかにあるアレクサンドロスの生涯はフィクションの生涯。人々は自分の好きなエピソードを選んで、みんながそれをフィクション化していました」

伝承は時を経て日本にも到達

こうしていつしかアレクサンドロスは神格化、聖人化され、宗教の擁護者のように見なされるようになった。例えばイランでは、大王はイランの王とギリシャ人の母との間に生まれた「半分はイラン人」という人物になっている。またある話の中では、アレクサンドロスは訪れたセラピス神の神殿で「お前は野蛮な国々を征服した後、死にながら死なずにアレクサンドリアに戻り、そこで神として崇められるようになるだろう」という予言を受けている。この裏にあるのは著述した人間の読者へのメッセージ。実はプトレマイオスは、本当はマケドニアに運ばれる予定だったアレクサンドロスの遺体を奪う形でこの地に運んだ。そうした少し後ろ暗い事情を覆い隠し、そして今現在のアレクサンドリアの栄光を紹介するためにこの物語は書かれた可能性が高い。またイスラム世界ではアレクサンドロスはズルカルナイン(二つの角を持った王)と呼ばれ、その物語はコーランの中にも入っている。9世紀頃のコーランの注釈書では天使とともに空に昇るズルカルナインがいるし、10世紀の歴史家であるマスウーディーは「潜水艦に乗って海のなかにいる怪獣たちを観察した」というズルカルナインを描いている。
「空にも昇るし海にも潜る。アレクサンドロスは人々の想像のどこにでも行けちゃう人なんですね。歴史的な人物ではあるけれど、なんかこの人だったら行っちゃったかもしれない、という魅力があるんです」
世界七不思議のひとつとされるアレクサンドリアの大灯台。伝承ではアレクサンドロスが建てたとされるこの灯台にまつわる物語は、遠く宋代、明代の中国にも伝わっている。そして日本におけるアレクサンドロスは、明の王圻の『三才図会』を翻訳した『和漢三才図会』のなかで「未開の地に文字をもたらした人物」として紹介されている。
それではなぜ征服者であったアレクサンドロスはここまで広い地域で伝承化されたのか。
「キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも、一神教の世界ではアレクサンドロスはメシア(救世主)的、あるいは預言者的な存在。その偉業はとてもシンボリックで、それぞれの宗教が自分たちに都合良く使えた人だったんですね」
もちろん、理由はそれだけではない。けっして長くはない生涯で、なぜあそこまでの大遠征をやってのけたのか。後世の人々の抱いたその疑問が多くの伝説が生むこととなった。
山中氏の「夢」、それは「アレクサンドロスの通った道を辿って洋の東西を結んでみる」ことだ。残念ながらルート上には政治的に不安定で紛争の絶えない地域が少なくない。「アレクサンドロスが何を思って洋の東西を結んだのか。それを知る第一歩は平和な世の中になることですね」

講師紹介

山中 由里子 (やまなか ゆりこ)
山中 由里子 (やまなか ゆりこ)
国立民族学博物館 准教授
専門は比較文学比較文化、中世イスラーム世界。アレクサンドロス伝承の広がりを探った単著『アレクサンドロス変相:古代から中世イスラームへ』(名古屋大学出版会 2009 年)が、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞、日本比較文学会賞、島田謹二記念学芸賞を受賞。編著にArabian Nights and Orientalism: Perspectives from East and West (London: I.B. Tauris, 2006)。現在は、<驚異>―不可思議な動植物や自然現象など―に関する知識やイメージの拡がりについて研究している。