スルガ銀行 Dバンク支店

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2014年3月18日(火)19:00~21:00

森 武史 (もり たけし) / カメラマン

「神宮の森」日本人のこころ

伊勢神宮周辺には神路山・島路山などの山々が広がっており、約二千年前の神宮御鎮座より神聖な山としてあがめられてきた。その森に分け入ると、一滴のしずくから次世代への循環を静かに繰り返す生命、そして守り育てられている森の安らぎを感じ、自然と人間の関係に思いを馳せることができる。近年起こった未曾有の自然災害は、我々に自然観を深く考えさせる出来事となり、そして森は、自然に対する畏敬そして畏怖の念、伝統や信仰の心などが、今もなお日本人の自然観の原点であることに気づかせてくれた。森氏の作品「神宮の森」を通じて森の息づかいを感じ、私たちのこころの奥底にある、自然に対する「日本人のこころ」を思い起こす2時間となった。

「日本人のこころ」が宿る「神宮の森」へ

昨年10月に20年に一度の式年遷宮が行われた伊勢神宮。講師の森武史氏は、その伊勢神宮を囲む「神宮の森」を5年に渡って撮影しつづけてきた地元・三重県の写真家。今回は、内宮前にある「おかげ横丁」で常設展示している写真展「日本人のこころ『神宮の森』」の作品を中心に、長年ライフワークとして撮っている熊野古道などの写真の解説を加えながら紹介していただいた。その数400枚以上。2時間のセミナーは、参加者全員で伊勢、熊野を旅する時間となった。
まずは「神宮の森」を撮影するきっかけから。森氏が住んでいるのは伊勢からほど近い田丸。足を踏み入れるのに特別な許可が必要な「神宮の森」を撮影することになったのは、やはり地元の写真家であったことが大きかったという。
「『神宮の森』の写真展を企画したのは和菓子屋の赤福さん。私はもともと熊野を中心に紀伊半島の写真を撮っていたんです。三重県にはカメラマンがそう多くはいないものですから、地元の写真を撮っている森がいいんじゃないかと声をかけられたんです」
主催者である赤福からは「神宮の森を撮って日本人の自然観を表現してほしい」と頼まれた。「わけわからん注文だな」と苦笑いしながらも、自分なりの作品を撮ることに決めた。神宮司庁の協力も得て、カメラを担いで「神宮の森」へ入って行った。「神宮の森」とは、その大半が式年遷宮に備えて木を育てる場所。実際の式年遷宮では木曽からも多くの用材を調達しているが、やはり鳥居や御昇殿など大切な部分の柱や部材はこの森から伐採された木材を使うことが多い。こうした森の中には大正時代に植林された大木や、これから先、100年後を見据えて育てられている若い木などがある。連綿とつづく伊勢神宮への信仰。森を管理する職員は、山に入る前に必ず一礼してから入る。「神宮の森」はまさに「日本人のこころ」が宿った森といえる。

美しさやスケール感よりもドキュメンタリー性を意識

実際の森の内部は、人工物のまったくない原始的空間だ。そこには屹立する巨岩や、圧倒的な存在感を持つ巨木など、「カメラマンはただシャッターを切るだけ」で済んでしまう魅力的な被写体に満ちている。撮影を始めて1年目の年は、初めて見る景色に夢中でシャッターを切りつづけたという。そうやって足繁く通って撮っているうちに、シャッターチャンスが「雨上がりの朝」に多いことに気が付いた。海に近い伊勢は霧が発生しにくい。だが、「雨上がりの朝」ならば、その珍しい霧が発生する。谷間に立ち込める霧と、幾重にも重なる尾根。こんなふうに森氏は、地元の人でも滅多に目にすることができない景色を次々と写真に撮っていく。新緑も撮ったし、紅葉も撮った。森に暮らす鹿や猪も捉えた。森から見上げる天の川、夕暮れに赤く染まった雲から顔を覗かせる中秋の名月、遠く木曽の御岳山までを写し込んだ山頂からのモノクロ写真………鑑賞に値する味わい深い作品がどんどん生まれていった。
「1年目は勢いでがんがん撮る。2年目も1年目の余勢をかって撮ることができる。でも、それも3年目になると止まるんですね。で、4年目は何とかせにゃと思い始めるんです」
「新しいものを発見した」のは5年目のことだった。
モニターに表示されたのは、樹木と下草が生い茂る緩斜面に、横から光が射し込んだ逆光の写真。派手ではないが、光と陰の強いコントラストが朝の森の雰囲気をよく醸し出している。見ていて「心にしみる」一枚だ。
「撮影5年目にして発見したのは〈光〉でした。谷の深い熊野だと、こういう斜めからの光というのはほとんどないんですね。これは伊勢ならではの光だと感じたんです」
それからは雲や霧に加えて「光」を意識するようになった。もちろん、テーマである「日本人の自然観」も忘れてはいない。
「日本人はもともと農耕民族ですし、自然に神を崇めてきた。ですから、『神宮の森』では美しさやスケール感を前面に出すよりは、自分自身がその場に立つ日本人として見たものをドキュメンタリー的に撮っていきました」
『神宮の森』のあとは「肩のこらないスナップを」と、2006年に刊行した鳥羽離島写真集『絶海』の中から30点あまりを紹介。三島由紀夫の『潮騒』の舞台である神島や、答志島、菅島、坂手島など鳥羽市の離島とそこで暮らす人々の生活ぶりを撮った作品は、本来「人物やルポルタージュ」系のカメラマンである森氏らしい味わいのあるものばかりだ。

「人を写さずに人を写す」

後半は20年に渡って撮ってきた熊野古道の写真を鑑賞。熊野といえば、古くは歴代上皇が御幸した神聖なる地。熊野本宮大社をはじめ、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山へと辿る道には、伊勢から延びる伊勢路の他、京都大阪方面からの紀伊路や中辺路、高野山との間をつなぐ小辺路、修験道の行者のために設けられた吉野・大峰からの大峯奥駈道などがある。これを森氏は徒歩でまわって撮影。ことに「そこを歩く人々の想いがこもった」古道の石畳などは、精密さを表現するために大型カメラを用いて撮ってきた。
ここでは「いちばん私らしい写真」も披露。
写っているのは、山奥の一軒家。戸は開いているし、子ども用のバケツがあったり、軒下には鳥籠がぶら下がっている。人は写っていないが人の気配はする。
「人が写っていないことで、かえって想像力が働く。人を写さずに人を写す。こういう写真が好きなんです」
残り時間ではキヤノンに依頼されて撮ったカレンダー用の写真も公開。依頼内容によって作風を自在に変えるプロ写真家としての技量も見せてくれた森氏だった。
セミナーの最後は写真家としての心得。
「撮影するとき、私がいつも気にしているのは、自分をどれだけ表に出すか。撮る以上、自分というものはどうしても入ってしまいますが、なるべくなら自然そのままに普通に撮りたいなと思っています」
そのうえで見る人に自由に受け取ってもらう。「作品は見る人のこころの中で完成する」と考えている。
東京と違い、地方在住のカメラマンは「仕事を選んではいられない」。その中にあって森氏の「夢」は「作品の撮影のみで生活していくこと」だという。
「伊勢神宮の森に熊野、紀伊半島の写真をこれからも撮りつづけていきたいですね」
森氏の素晴らしい写真から「日本人のこころ」を思い起こす貴重な2時間だった。

講師紹介

森 武史 (もり たけし)
カメラマン
1957年 三重県玉城町生まれ。大阪芸術大学卒業。1994年にフリーカメラマンとして独立し紀伊半島の風景・人の暮しを撮り始める。2012年「14’キヤノンカレンダー作家」に選出。これまで「『熊野修験』写真展」(2008~10年 パリ・東京・京都・三重県伊勢市)、「『神宮の森』常設写真展」(2009年~ 伊勢神宮内宮前おはらい町五十鈴蔵)を開催。作品集に「熊野古道写真集『くまのみち』」(1999年)、「DVD熊野写真集『祈り天空に満ちて』」(2004年)、「鳥羽離島写真集『絶海』」(2006年)、「伊勢神宮『神宮の森』写真集」(2013年)がある。