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イベントレポート

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2014年5月22日(木) 19:00~21:00

辻本 直彦(つじもと なおひこ) / 公益財団法人 紙の博物館 学芸部長

パピルスと和紙のお話

パピルスは紙(paper)の語源でありながら、紙とは全く異なっていることをご存知だろうか。今回のセミナーでは古代エジプト第一王朝から4000年もの間、パピルスが果たした役割について、パピルス学に学びながら概覧し、各国の書写材料や中国で発明された紙が世界にどのように伝わっていったのかを「紙の博物館」学芸部長の辻本直彦氏にお話しいただいた。

紙とは何か。パピルスとは何か。

人間と紙とのつきあいは古い。講師の辻本直彦氏は紙の専門家。本セミナーでは、紙とは何か、パピルスとは何か、そして日本古来の和紙について、その製法や歴史、日本と諸外国の比較などを交えて紹介。まずは参加者全員に配られた牛乳パック、コピー用紙、和紙の3種類の紙を破いてみることから「紙が何でできているか」を体験してみた。
「紙は木の繊維からできています」
辻本氏の合図でまず破いてみたのは牛乳パック。よく見ると破け目に毛のような物が見える。それが「繊維」だ。その次に破いたコピー用紙はというと、こちらも目をこらすと毛があるのがわかる。ちなみに牛乳パックの繊維は針葉樹、コピー用紙は広葉樹の繊維からできている。求められる品質によって、繊維は使い分けられている。では和紙は? 言われた通りに試してみるが、これがなかなか破けない。
「和紙の繊維はクワ科のコウゾ。これは長いうえに強度があるのでなかなか破けません。和紙は種類も豊富で、室町時代や江戸時代の昔から、外国人に高い評価を受けてきました」
繊維でできた紙は、水に戻してばらしても、もう一度漉いて紙にすることができる。これが「再生紙」だ。
「紙とは何か」がわかったところで、パピルスの話。「ペーパー」の語源となったパピルスの原料はカヤツリグサ系。植物が素材とはいえ、製法が異なるために現在の紙の定義からは「紙」とは言えないものだが、古代文明においては記録媒体として非常に重宝された。アレクサンドリア図書館の収蔵物などはすべてパピルス。その後の古代ギリシア、古代ローマ時代はもちろん、紙に主役の座を奪われるまでさまざまな文書に使用されてきた。現在、発掘されているものは大半が断片。西欧ではこれを読み解くパピルス学が盛んだという。
パピルス以外の書写材料では、インドで使用されていたバイタラが有名。14世紀に三蔵法師がブッダガヤーから持ち帰った教典はおそらくはこのバイタラであったはずだ。

外国人に絶賛された日本の「和紙」

それでは「紙」はいつ発明され、いつ日本に製法が伝わったのか。
「世界最古の紙は中国の放馬灘(ほうばだん)で発掘された地図のようなもの。前漢時代、紀元前150年頃のものではないかとされています」
それがいつ日本に来たのか。日本書紀によると610年に高麗王から日本に派遣された僧曇徴が紙を作ったとされている。おそらく国内で製紙が始まったのはそれ以前。現存する我が国で製造されたものとしては、614年に聖徳太子が書いた「法華義疏」が最古とされている。奈良の正倉院には地方の戸籍など、この時代に書かれた文書が多数収蔵されているという。目を西に転じれば、カイロに紙が伝わったのは西暦1000年頃。ヨーロッパはそれより遅く、フランスは1348年、イギリスは1494年となっている。こうして眺めてみると、古代の日本は「紙」の先進国だ。実際、仁徳天皇陵などは始皇帝陵やクフ王のピラミッドと比べると規模が圧倒的に大きいし、飛鳥時代、奈良時代には唐や新羅、渤海といった隣国から「遣日使」が数十回も来ている。こうした日本だからこそ、世界から評価される和紙をつくりえたのかもしれない。
和紙の特徴は何といってもその種類の多さだ。文献から同時代の中国と比べると、中国が43種類なのに対し、日本の正倉院文書は178種類と圧倒的だ。その裏にあるのが写経の文化。当時の日本では写経が盛んだった。それに合わせて製紙が奨励され、都周辺はもとより、日本全国でさまざまな和紙が生産されるようになった。16世紀に日本に来た宣教師のルイス・フロイスはその種類を「ヨーロッパの10倍」と評し、17世紀にヨーロッパを訪れた支倉使節団を見たフランス人領主の婦人は、一行が捨てた使用済の「鼻紙」を、現地の人々が争って拾っていたと記録している。また、19世紀、英国の初代駐日公使であるオールコックは和紙をして「英国のどの紙よりも強い」と語っている。芸術の世界でも和紙は人気があり、画家のレンブラントは銅版画の深みを表現するために和紙を取り寄せて使っていたという。

紙の歴史を楽しく学べる『紙の博物館』

現代の日本で和紙の生産地といえば美濃(岐阜)や土佐(高知)、越前(福井)など。ここでは越前市で和紙をつくる人間国宝の岩野市兵衛氏を紹介。高級紙の奉書を漉くその仕事ぶりを見てみた。原料はやはりコウゾ。木の皮を剥いで煮るところから始まる工程は、手解きを受けて体験してみた辻本氏によると「とても大変」。面倒なコウゾの塵取りは手作業。これをどれだけ丁寧にやるかでその紙の品質は変わってくる。繊維は叩いてやわらかくし、柔軟性と強度のある紙にしていく。紙を漉くときに活躍するのが「ねり」となるトロロアオイの根っこ。これを混ぜることで繊維が水中でうまく分散し、均質な紙ができあがる。最後は板に貼り付けて天日か乾燥室で干して完成。こうした和紙づくりは「水が命」。水のきれいな日本では、明治時代には4万戸もの家が和紙づくりをしていたというが、現在残っているのは200軒余り。和紙産業をいかにして残していくかが課題となっている。
セミナーの終盤は辻本氏が学芸部長を務める『紙の博物館』の施設と収蔵品の紹介。都内の飛鳥山公園にある博物館には、称徳天皇の発願で百万基作られたという「百万塔陀羅尼」や、スタインが敦煌で発掘した中国の古代紙、「大阪夏の陣」を描いた国内最古の瓦版など、興味深い資料が収蔵されている。エントランスホールで目を奪うのは宮内庁所蔵の御物「聖徳太子及び二王子像」をモチーフとした奥田元宋氏の作品「聖徳太子御影」。6畳大の手漉き紙を使った作品は圧倒的だ。来館者に人気なのは牛乳パックを再利用した「紙漉き教室」。毎週末に行なわれる教室ではわずか10分でハガキづくりが可能。子どもはもちろん大人でも楽しめる。その他、紙にまつわる多彩な展示は雑誌のランキングでも「気楽に遊び感覚で楽しめる博物館」として高評価。2009年11月の企画展『手漉き和紙の今』には皇后陛下も訪れた。博物館のある飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が庶民のためにソメイヨシノを植樹した桜の名所。春の花見ついでに訪れてみるのもいいだろう。
質疑応答の後は辻本氏の「夢」。
「紙の歴史を見ても、日本は諸外国から評価されてきたことがわかります。今の日本も外国から尊敬を集めることのできる国になってほしい。私を含めて国民みんなでそういう国を目指していきたいですね」

講師紹介

辻本 直彦(つじもと なおひこ)
辻本 直彦(つじもと なおひこ)
公益財団法人 紙の博物館 学芸部長
1973年京都大学大学院農学研究科終了後、王子製紙株式会社(現王子ホールディングス株式会社)入社。研究開発業務で25年間研究所勤務。米国ウィスコンシン州「紙化学研究所」、およびニューヨーク州立シラキュース大学「ESPRI研究所」へ会社派遣留学。2006年から紙の博物館勤務。2009年11月の企画展示『手漉き和紙の今』では皇后陛下の御行啓を賜り御説明係を担当。紙の博物館は東京都北区王子の飛鳥山(お花見の名所)にあり我が国で最も古い民間の博物館で今年で創立64周年を迎える。