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2014年7月24日(木)19:00~21:00

池上 賢(いけがみ さとる) / 立教大学社会学部兼任講師

マンガの社会学
-マンガを読んだ経験は人々にとってどのような意味を持つのか?-

最近、町おこしにマンガが利用されたり、実用書がマンガで描かれたりするなど、マンガは私たちにとって非常に身近なメディアとなった。では、マンガを読むという経験は私たちにとってどのような意味を持つのか。マンガは「マニア」や「オタク」と呼ばれる人にとってのみ意味があるものなのか。今回は、マンガを読むという行為が人々にとってどのような意味を持つのか、インタビュー調査により研究をされてきた池上氏をお招きし、その研究成果についてお話しいただいた。自分自身のマンガ経験を振り返りながら、マンガを読むことがどんな意味を持つのか、考える機会となった。

「マンガ経験」は読者に何をもたらすのか

社会学者としての池上賢氏の専門領域は「オーディエンス研究」。これは主にテレビの視聴者や新聞の読者を対象とした研究を指すが、その中には「マンガの読者」も含まれる。この日のセミナーは「マンガを読んだ経験は人々にとってどのような意味を持つのか」がテーマ。講義は「マンガとはいかなるメディアか」という定義づけから始まった。
「マンガとは、一般的に『絵』、ないし『キャラ』、および会話をはじめとする言葉、時間を示すために用いられる『コマ』、それらを複合して描写することによって描かれる物語から成立する『メディア』、とここでは理解しておきたいと思います」
マンガのルーツは明治時代。江戸時代からある風刺絵や外国のマンガから影響を受けた「ポンチ絵」が、現代のマンガの源だという。当時は風刺マンガと子ども向けマンガが主流。新聞や雑誌などのマスメディアの発達とともにマンガも読者層を広げていったが、読者は大都市に限られていた。それが変わったのは戦後。1950年代になると、経済復興の中で新聞マンガが復活し、月刊誌や赤本マンガ(粗悪な紙で印刷された、駄菓子屋などで売られていたマンガ)などが登場した。1960年代になると、「大人になってもマンガから卒業しない人たち」が出てくる。「団塊の世代」と呼ばれた彼らは、『少年マガジン』の二大連載『あしたのジョー』と『巨人の星』に夢中になる。つづく70年代は「雑誌連載が単行本化」されることが当り前となった時代。80年代には読者層の細分化に応じて『ヤングジャンプ』や『ヤングマガジン』などの青年誌が登場する。その80年代と、それに続く90年代は1978年生まれの池上氏によれば「僕たちの時代」。子どもたちの朝の挨拶は「ジャンプ読んだ?」であった。『週刊少年ジャンプ』で『ドラゴンボール』が連載され、同誌は最大部数653万部を記録する全盛期を迎える。90年代後半以降、マンガの市場は停滞期を迎えるが、それでも巨大な娯楽メディアであることは変わらず、今も日本人の多くはマンガを読むことを楽しんでいる。そんな中、これまではあまり体系化されていなかった「マンガ研究」も確立され、池上氏のような研究者がその成果を発表するようになった。

マンガについて語ること=自己のアイデンティティを示すこと

ここでは池上氏の博士論文の一部をクローズアップ。上は団塊の世代から下は若年層まで、「マンガ経験」についてインタビューした結果を発表。「マンガを読む」という行為が人々にどんな影響を与えるのか、とくにインタビュー相手の属性=アイデンティティを主眼に解説していただいた。
インタビュー対象はいわゆる「オタク」ではない「普通の人々」が中心。その中にはマンガをたくさん読む人もいれば、そうでもない人もいる。この際に池上氏が参考としたのは、社会学者のニコラス・アバークロンビーが提唱した「スペクタクルとパフォーマンスの理論」。現代社会は、存在するものすべてが視線の対象となる「スペクタクルな社会」であり、すべての人は他者の視線を気にしてパフォーマティブにふるまっている「ナルシスティックな社会」である。このような社会状況の中では「個人はパフォーマンスを通じて自己アイデンティティを構成する」。ここで言う「アイデンティティ」とは「自分に関する物語」を意味する。好きなマンガを読むと、人は主人公に共感したり、その境遇や抱えている思いを自分自身に重ねあわせたりする。もしそのマンガについて他者に語ることがあるとすれば、多くの場合、それは自己アイデンティティを示すことになる。つまり、マンガはその人がアイデンティティを示す際のリソース=材料となり得る。池上氏はこの理論をもとに「ある個人の人生におけるマンガ経験について語ってもらえば、その過程でマンガ経験を媒介にしたアイデンティティの提示が見られる」のではないかと考え、幾人もの人に好きなマンガ、影響を受けたマンガについて語ってもらったという。「かっこいい女の人にすごく憧れていた」というある30代の女性は、『ベルサイユのばら』に登場する男装の麗人、オスカルに「自らの人生における理想」を見い出し、地方公務員として働いた経験を持つ60代の男性は「幕府の隠密」であり、公務員と同じ「権力側」に位置していた『伊賀の影丸』の主人公、影丸に「共感」したという。こうした人々の言葉の裏には「その物語を自分自身の人生の物語と重ねあわせるという主体的・能動的な手続きが存在します」と池上氏。また、ある20代の女性は「王宮コメディー」の『カルバニア物語』を、女の子の自立の物語として捉え、30代の男性は、一般にはロボット物、ヒーロー物と見なされる『機動警察パトレイバー』を「仕事マンガ」と見なし、そこから「大人の世界」を学んだと語っている。一方で、インタビューからは必ずしもマンガ好きではない人でもマンガを読めばなにがしかの影響を受けることが証明されている。たとえば、ある飲食店経営者はグルメマンガの『美味しんぼ』が料理人としての「モチベーションになった」と打ち明けている。

インタビューから得た知見と結論

こうしたインタビューから見えてきたのは、「マンガ経験」には「多様性があり読者を画一的な集団として捉えることは困難」であるという事実。「語り手自身が関連する知識や経験を参照する参照性」、「多様で個人的なものではあるが、共有性もある」という知見。それに前述の仮定通りの結論=「マンガを読んだ経験は人々にとってアイデンティティのリソースとなり得る」だったという。
実際のところ、この研究調査方法は「マンガ以外のメディア全般に適用可能」。ただ、それがいちばんやりやすいのはやはりマンガだ。
「マンガはメディアの中では共有性が抜群に高い。テキストが読解しやすいし、貸し借りも簡単で回し読みができる。世代やジェンダーとの結びつきが強く、会話のネタになりやすいのも特徴です。そして、ぱらぱらめくればあの名シーンがすぐに再読できる。そういう意味で、アイデンティティと結びつくメディアなのではないでしょうか」
池上氏の「夢」は「マンガ研究を極める」ことだ。
「この先はマンガ家も対象にして、日本でなぜマンガが発展してきたのか、社会的・歴史的背景などからも解き明かしていきたいですね」  

講師紹介

池上 賢(いけがみ さとる)
池上 賢(いけがみ さとる)
立教大学社会学部兼任講師
1978年東京都生まれ。幼少期から父親の影響でマンガに親しむ生活を送る。その後、立教大学大学院にて博士号(社会学)を取得。専門分野は社会学、マンガ論、メディア・オーディエンス研究(メディアの利用者に関する研究)。著書に『マンガジャンル・スタディーズ』(共著/臨川書店)、論文に「戦後マンガの経験史――経験の重層性と問い直し」(『日本オーラル・ヒストリー研究』7号掲載)などがある。