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2014年10月14日(火)19:00~21:00

東明 有美(とうめい ゆみ) / 元サッカー女子日本代表・ビジネスコーチ

なでしこジャパンに学ぶ
強いチームの作り方

2011年FIFA女子ワールドカップ優勝、そして2012年ロンドンオリンピック準優勝と大活躍を見せるサッカー女子日本代表。1981年に初結成し、それから30年で世界の頂点に立った。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、紆余曲折を経ながら、「個の強化」、そして「チームの強化」に取り組んできたのだ。今回は元サッカー女子日本代表の東明有美氏をお招きし、サッカー女子日本代表のチーム作りを「組織行動の視点」から分析しつつ、「強いチームとは何か」についてお話しいただいた。

華やかなサッカー人生と引退後の「とことんダメ」な自分

いまだ記憶に新しい2011年のFIFA女子ワールドカップにおけるサッカー女子日本代表の優勝。アメリカやドイツといった強豪を相手にしての勝利。それを実現したのが「なでしこジャパン」の強いチーム力だった。講師の東明有美氏は元サッカー女子日本代表選手。2000年に現役引退するまでの足跡は、ほぼ女子日本代表の歴史と重なっている。セミナーでは最初に講師の自己紹介を兼ねながら、日本の女子サッカーの歴史を振り返ってみた。
「サッカーが日本に伝来したのは1877年のこと。日本に来たイギリス海軍の兵士たちによって伝えられたといいます」
女子サッカーが始まったのは、それよりだいぶ遅れて1965年のこと。この年、神戸の小学校に初めて女子のサッカークラブチームがつくられた、との記録がある。ただ実際のところは、「1950年代頃から各地で少しずつ行なわれるようになっていた」ともいう。日本サッカー協会が正式に女子の登録を始めたのは1979年。1981年に日本代表が初めて結成され、89年には日本女子サッカーリーグ(現在の「プレナスなでしこリーグ」)が開幕した。当時16歳だった東明氏は「プリマハムFCくノ一(現『伊賀FCくノ一』」の一員として活躍。1993年、21歳で日本代表に初選出され、95年、99年の女子ワールドカップ、96年のアトランタオリンピックへの出場を果たす。2000年の現役引退後は広告代理店に勤務。専業主婦、サッカーコーチを経験したあとに大学院で博士号を取得し、現在はビジネスコーチとして活動している。
元日本代表からビジネスの世界へ。一見すると華やかで成功している人生。東明氏自身も「サッカーをやめるまでは自分でもそう思っていた」という。
「ワールドカップに2度も出て、オリンピックにも行って、この先の私の人生は明るいわ、と思っていたんですね」
就職先の広告代理店では希望したサッカー事業局に配属。しかし、運がよかったのはそこまでだった。仕事をすると「とことんダメ」。
「まわりからは、お前ほどのバカはいない。ヘディングって本当に人の脳細胞を破壊するんだな、なんて言われていました」

新しい価値を常に自分の中で再定義する

キラキラ輝いていたはずの自分がなぜこんなことになってしまったのか。会社を退職し、夫の転勤先の香港で暮らすようになってからもさえない日々はつづいた。請われて香港のクラブチームのサッカーコーチを務めたりもしたが、「やりたいことが全然見つからない」。大学院に入ってみても、なかなか研究テーマが定まらない。引退から2010年までの10年間は「谷底に突き落とされたかのような日々を過ごした」。そんなとき、頭に浮かんだのが「サッカー選手としての自分と社会人としての自分の違い」だった。よく思い起こしてみると、現役時代は常に「どうしたらいい選手になれるのか」を考えつづけていた。昨日よりも今日はいいプレーがしたい。だから、「熟考し、新しい価値というものを常に自分の中で再定義していた」。それにひきかえ今の自分はどうか。広告代理店も大学院も「かっこいいから」という理由だけで入った。仕事がうまくいかないのは「会社のせい」だし、海外生活が満ち足りないのは「香港がダメ」だからと言い訳をしていた。そうなってしまったのは、引退と同時に自分に対する再定義=目標設定を忘れていたからだった。
「私のような人間は、自己を内省すると同時に客観視して再定義をしていかないと、幸福感や充実感が得られないということがわかったんですね」
OGである東明氏がそうであるように「なでしこジャパン」もまた、再定義を積み重ねてここまでに成長したチームだ。一般の人間は「彼女たちは特別な人間」と勘違いしがちだが、実際に会うと「なでしこジャパン」の選手たちは「驚くほど華奢で普通の女の子たち」だ。それが身長180センチを超えるような海外の選手たちと渡りあうには「強いモチベーション」とそれを行動に移す能力が求められる。
「そのために、『なでしこジャパン』は目標設定を再定義し、またチームのあり方や戦術を再定義し、新しい価値を創造していきました」

「フロー状態」まで自分たちを高めた「なでしこジャパン」

人間のモチベーションを上げるには「アメとムチ」と「内なる欲求」の2つがある。
「2011年の『なでしこジャパン』は圧倒的に『内なる欲求』が強いチームでした」
女子サッカーは今でこそ「女の子がやりたいスポーツ」の代表格。しかし、ワールドカップで優勝するまでは注目度や収入面が低く、「メリットが少ない」ものだった。それでも選手たちは「みんなとプレーする充実感」を求めて試合や毎日の練習に取り組んでいた。佐々木則夫監督の優れていた点は、選手の成熟度を見越して、すべてを自分で決めずに選手の自主性に信頼を置いていた点。サッカーは野球などと違ってトップダウンでのリーダーシップがとりにくい。試合が始まると監督はほとんど介入できない。選手は自分たちで考えて、状況によってリーダーを変えながら試合を進めていく。2011年の場合は、それが非常にうまく機能した。自分たちがやろうとしてきたサッカーが実現していく。苦しいけれど楽しい。選手たちは「どんどん試合がしたい。1分でも長くこのチームでやりたい」という思いで勝ち進んだ。こういうとき、人間は「フロー状態」となって最大限のパフォーマンスを発揮する。
「わかりやすい言葉で例えるとランナーズハイ。『なでしこジャパン』は、とくに準々決勝でドイツに勝ってからチームがフロー状態になっていきました」
セミナーでは、こうした「なでしこジャパン」を例に、個人の視点、集団の視点、リーダーとフォロワーの関係や、チーム形成に必要な「タックマンモデル」などから「組織行動論」を解説。「強いチームの作り方」に迫っていただいた。
現在も香港在住の東明氏。「夢」は「自分を含めてグローバルで活躍できる日本人を増やすこと」だ。
「日本人はポテンシャルがある人は大勢いるけれど、国際社会で活躍できているのは一握り。再定義をすることで変わっていける人がたくさんいるはずです」

講師紹介

東明 有美(とうめい ゆみ)
東明 有美(とうめい ゆみ)
元サッカー女子日本代表・ビジネスコーチ
岐阜県出身。兄の影響で6歳からサッカーを始める。16歳で日本女子サッカーリーグ「プリマハムFCくノー」(現 伊賀FCくノ一)に入団。その後、サッカー女子日本代表としてアトランタ五輪、2度のFIFA女子ワールドカップなど国際大会に多数出場。2000年に引退し、株式会社電通に入社。マネジメントサイドから女子サッカーの位置を把握し、発展に尽力。2007年には日本サッカー協会から初のJFA女子アンバサダーに選出。また同年から香港を拠点とし、欧米人が主力の女子サッカーチームの監督を務めた。2014年3月に順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科にて博士号を取得。現在は、香港法人の会社を設立し、講演/セミナー事業、サッカー解説、日本代表OG会のコーディネーターを行なう傍ら、 2014年6月から2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問を務めている。