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イベントレポート

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2014年11月6日(木)19:00~21:00

沼尾 ひろ子 (ぬまお ひろこ)  / フリーアナウンサー

里山ライフ
「農業」に携わることによる豊かな生き方

「里山資本主義」という言葉に代表されるように、画一的な物質的豊かさを追い求めることに魅力を感じない人達は、都会での暮らしから、自然豊かな里山へ目を向け始めている。先進国の中でも食料自給率が極端に低い日本。食料も燃料も輸入に頼らざるを得ない国に生きる私達は本当に幸せなのだろうか。「自分達の食べるものは自分達で作る」それは安心安全を何よりも大切に考える国民性にも合致する。心が豊かになるためには生活の安定も欠かせない。農家は作物だけでなくエネルギーも生み出す。本当の豊かさとは何か。農業女子のチームを結成し、自らも農園を運営する沼尾氏にお話しいただいた。

小学生の頃の夢は「お百姓さんになること」

平日はテレビの仕事がある都内で過ごし、週末は地元・栃木県で農業に従事している沼尾ひろ子氏。今回のセミナーでは自らが実践している「里山ライフ」について語っていただいた。
セミナー冒頭では、故郷である栃木県の篠井を紹介。宇都宮市内の北に位置する篠井は、かつて画家の鶴田吾郎をして「日本のバルビゾン」と言わしめた農村。フランスにあるバルビゾンは、その昔、アーティストたちが集まったことから「画家たちの村」と呼ばれている。沼尾氏はそのバルビゾンを彷彿とさせる土地に生まれ、子ども時代を過ごした。
「小学生の頃の夢は〈お百姓さん〉になること。テレビの世界では〈百姓〉は使わない方がいい用語とされているのですが、個人的には〈百のことをやる〉という意味を持つ素敵な言葉だと思っています」
家は兼業農家。原風景として残っているのは「田圃と畑と山」、それに「秋に、刈った後の稲の匂い」。そうした自然豊かな場所で育った沼尾氏だったが、大人になってみると「お百姓さん」ではなく「アナウンサー」になっていた。テレビ局、ラジオ局勤務を経てフリーに。携わったのは、『ブロードキャスター』や『ジャスト』などの人気情報番組。42歳のときには脳梗塞で失語症になるというアクシデントに見舞われたが復帰。現在もアナウンサー、ナレーターとして活躍しながら、一方ではNPO法人『脳梗塞患者と失語症者の自立支援の会』の代表理事、また「日本経済調査協議会『新エネ地域再生研究会』」委員、「とちぎ未来大使」といった職に従事している。趣味はロードバイクでの輪行。病気は経験したものの、キャリアを振り返ってみれば、公私ともに充実した人生。しかし、「漠然とした不安」を抱えていたという。
「仕事は順調だし、健康は取り戻したし、美味しいものを食べたり、旅行に行ったりと、夢が叶った人生だと思っていましたが、実際、心の奥底には不安がありました。このまま歳をとっても食べていけるのかな、ニコニコしたおばあちゃんになれるのかなあ……と」

「私がやる」と「サンデーファーマー」に

その沼尾氏が農業を始めたのは3年前のこと。直接の契機となったのは、東日本大震災だった。あの地震で、篠井の実家にあった納屋が全壊した。このときになってはじめて、それまで元気に兼業農家を営んでいた両親の口から「もう厳しい」という言葉が洩れた。
「それまでの私にとって、お米や野菜は実家から送られてくるものだったんですね。それがなくなるのかと……」
「なんとかならないか」と考えた。すぐに「なんだ、私がやればいいんじゃない」と気が付いた。父は平日はサラリーマンとして働き、土日に田畑に出ていた。自分も同じことをすればいいだけ、と「サンデーファーマー」を始めることにした。月曜から金曜日までは東京でメディアの仕事をし、週末は実家で米や野菜を作る。都内から実家の最寄り駅まではJRの快速で1時間半。いざ始めてみると、この移動時間は「自分自身を解放するとてもいい時間」になってくれた。そして篠井では「朝日とともに起床」し、朝食前に「田圃や畑の草刈り」をする。刈った草の香りを楽しみ、カエルを愛で、「土鍋で炊いたごはん」で朝食をとる。午前中は「野菜の種蒔き、定植、土壌つくり」に勤しみ、午後もそうした「農的作業」を行なう。暑い真夏は「昼寝」を楽しむ。作業は日暮れとともに終了。体を動かすからジムに行かなくても痩せられるし、土に触れることで心が開放される。堆肥で育てた野菜は化学肥料を撒いたものと比べ、香りが段違いに良い。なによりも「収穫の喜び」を感じることができる。余暇はピザ釜でピザを焼いたり、バーベキューを楽しんだり、ときには新幹線を利用して観劇に出かけたりもする。まさに充実した「里山ライフ」。実はこんなふうに沼尾氏のように兼業農家として農業に携わる人は増えているという。
「農家というと専業といったイメージですが、農家が作物だけつくるようになったのは戦後のこと。むしろ兼業こそ農家の健全な形なのかもしれません」

「マイ里山プロジェクト」で「愛すべき故郷」をつくる

日光街道に面する篠井は、冬は男体山から「男体おろし」と呼ばれる冷たい風が吹き下りてくる寒い土地。だが、その寒暖の差がおいしい米や野菜、果物を実らす。地区内には明治時代からの建物が点在し、古くからの祭りが伝わっている。彫刻家などの芸術家も住んでいる。それでも地元の人たちは「何もない」と自嘲する。しかし沼尾氏にすれば「何もないのがいい」という。「ただひとつ、これがなくちゃ困ると思ったのが、みんながわいわい集える場所でした。」
3年前、沼尾氏が就農とともに始めたのがその「場所」づくりだった。実家から受け継いだ七反の田圃と二反の畑は『hiroko'sファーム』と名付け、コミュニティの拠点となるキッチンスタジオ付きの小屋を建てた。まわりには落葉樹を植えて「フラッグシップ林」をつくり、堆肥置き場、ハーブ畑などを併設した。そして3年後の現在は「愛すべき里山を自分たちで作ろう」という『マイ里山プロジェクト』を始動。現実を見ると、日本の農村は「後継者不足」で休耕田や耕作放棄地が増え、年を追うごとに過疎化している。しかし、その一方で農業に従事したいという若い人たちがいたりもする。都会生活者でも、健康志向、自然志向で食物に「安心安全」を求める人たちは多い。そうした人たちを「農業を通して結びつけられないか」と考えて始めたのがこの『マイ里山プロジェクト』だ。キーワードは「農業」、「健康」、「医療」、「教育」、「エネルギー」、「環境」、「コミュニティ」、「グリーンツーリズム」。具体的には「篠井モデル」として、「女性の農業参画」や、脳卒中患者の「農業リハビリ」、自転車での「篠井ポタリング」、ブナやクヌギを植樹する「里山再生」などを推進している。もちろん、そこにあるのは「故郷」への思い。このプロジェクトを介して篠井に移り住む人が現われてくれればと、そう願って活動している。
沼尾氏の「夢」は「篠井で採れた無農薬栽培のお米を世界発信すること」。
「バルビゾンつながりということもありますし、まずはフランスにおにぎりを紹介したいと思っています」

講師紹介

沼尾 ひろ子 (ぬまお ひろこ) 
沼尾 ひろ子 (ぬまお ひろこ) 
フリーアナウンサー
1964年 栃木県生まれ。民放アナウンサーを経てフリーに。現在TBS「ひるおび!」のナレーション他、ラジオパーソナリティをつとめる。2006年に脳梗塞により失語症となるが独自のリハビリ法とメンタルコーチングにより復帰。2008年には脳梗塞患者と家族のための「自立支援の会」を発足。東京大学大学院医学系研究科で医療コミュニケーション学研究に携わり医療者と患者間コミュニケーション分野の教育プログラムに取り組む。2012年栃木県宇都宮市篠井に居を移し、ヘルスプロモーション、地域活性化や積極的に農業に携わることによる豊かな生き方、エネルギー再生、教育など8つの骨子となる篠井里山モデルを提案するなど幅広く活躍。「農」、「医」、「健康」をライフスタイルにした「hiroko’sファーム」を運営し、志を同じくする農業女子チームを結成して農業女子の未来像を探っている。