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イベントレポート

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2014年11月14日(金)19:00~20:30

八杉 佳穂(やすぎ よしほ) / 国立民族学博物館教授・総合研究大学院大学教授

チョコレートの文化誌

マヤ文明やアステカ文明などの高度な文明が栄えた中米。それらの文明の特色は技術の粋を集めたピラミッドなどの建築群、文字や暦などによく現れている。その他にも、今私たちが享受しているトウモロコシやトマト、トウガラシ、イチゴ、ゴムなどの食べ物や嗜好品、必需品がたくさんある。なかでもチョコレートの原料であるカカオは、文化的にもっともおもしろく、中米では、お金、薬、貢納品、飲み物などさまざまな形で利用されてきた。そんな4000年に及ぶチョコレートの壮大な物語をお話しいただいた。

4000年の歴史を持つカカオ(=チョコレート)

マヤ文明の研究者として中米に幾度となく足を運んできた八杉佳穂氏。マヤ文明やアステカ文明が栄えたメソアメリカの熱帯地域には、「温帯地域に住んでいる我々からは想像できないおもしろい植物がたくさんある」という。チョコレートの原料であるカカオもそのひとつ。木の幹になるカカオの実は脂肪分が50パーセント以上。栄養分が豊富なこの実は、紀元前の昔から強壮剤的な飲み物や薬として人々に利用されてきた。もっとも古い、利用されていたという証拠は、紀元前1900年~1700年頃の土器壁についていた残滓(ざんし)。また紀元前400年頃から紀元後すぐのものと思われる発掘物の中には炭化した完全な豆が見つかっている。こうして考えると「カカオには4000年の歴史がある」ことがわかる。
「カカオがヨーロッパに知られたのは16世紀。クリストファー・コロンブスやアステカ文明を滅ぼしたエルナン・コルテス、ベルナル・ディアスなどがカカオについての記述を残しています」
コルテスの「第2書簡」には、「彼らが飲む一種の飲み物であるカカオ」や「当地ではあまねく貨幣の役割を果たし、市場でもその他の場所でも、必要なものはすべてこれで買うことができます」といった一文が残されている。
他にも多くの人がカカオのことを綴ったり、絵に残したりしているが、これはカカオが「おもしろい」ものであるという証拠。当時のヨーロッパ人にとって「植物がお金になるなんて考えられないこと」であり、またその実のなり方や製法、飲料としての有用性にも注目したことがわかる。

貴重な「飲み物」として、「通貨」として

植物としてのカカオの推定起源地はコロンビアとエクアドルの国境付近のアマゾン川流域。食用とされてきたのはクリオーリョ、フォラステーロ、トリニタリオの3種。マヤ人やアステカ人に昔から飲まれてきたのはクリオーリョで、今現在、チョコレートとして使われているのは主にフォラステーロ。トリニタリオは両者をかけあわせた交配種だという。自然種の高さは9~13メートル、栽培種は4~8メートルほど。摂氏18度から32度、年間雨量が1,500mmから3,000mmの高温多湿な地域で栽培される。緯度で言うと北緯20度から南緯20度。マヤ文明やアステカ文明はちょうどこの付近のメソアメリカに位置している。栽培に適しているのは「じめじめとした低湿地帯」。このため生産地が限られ、支配者にとっては管理が容易なために貨幣としても流通することになった。語源は諸説あるが、「中米の母なる文明」であるオルメカ文明で使われていたとされるミヘ・ソケ語が有力。収穫期は4月から7月。収穫した実は発酵させ、洗浄して乾燥させる。乾燥した豆を飲み物にする場合は石臼で挽いて粉とする。「非常に溶けにくいもの」だから、何度も容器に注ぎ「泡立てて」水と混ぜる。現地の人々はそこに唐辛子やアチョテなどを加えて味をつける。こうしてできた飲み物は古い記録に「この世界で知られている中でもっとも健康的で、もっとも栄養価の高い飲物。一杯飲むと、一日働く場合でもほかに何も取らず一日過ごすことができる」と書かれている。
「当時はたいへん貴重なものだったので、飲めるのは王さまや勇敢な戦士だけ。庶民には手が出ないものでした」
このように高価なカカオはさまざまな儀式にも用いられた。「種を植える儀式」ではカカオの粒で香を焚いたとされ、マヤ暦のムアンの月にはカカオ畑の持ち主たちが神官に実のついたカカオの枝を与えて祭儀を行なった。一方で通貨としてのカカオは「ニカラグアではウサギが10粒、奴隷は100粒、売春婦は8~10粒」、「メキシコではアボカドが3粒、七面鳥が100粒」といった価値を持っていた。中には豆の皮だけ残して土などを詰めた偽金もあったという。交易品としての価値も高く、ホンジュラスやユカタンの東海岸にはカカオを積んだカヌーが行き来していた。

「飲む」から「食べる」へ

脂肪分の多いカカオは飲料にするときは熱した方が混ざりやすい。だがマヤ人やアステカ人は冷たい状態で調合して飲んでいたという。これを「熱くして」飲むようになったのがスペイン人だ。カカオの存在を知ったスペイン人は16世紀頃から砂糖やシナモンなどを加えて飲み始めた。やがてそれは「チョコレート」と呼ばれるようになり、ヨーロッパ各地で飲まれるようになる。ただし、あまりに生産地の人々を酷使したため、中米におけるカカオの生産量は16世紀以降、著しく減少していく。かわりに生産地になったのが南米やアフリカ、アジアなど。珈琲がアフリカから生産地を中南米に移したのとは逆に、カカオは現在はその70パーセントがアフリカ産。こうした流れひとつ見ても、カカオ=チョコレートの「文化誌」は興味深い。
日本の文献に最初に登場するのは1797年。広川?(ひろかわかい)の『長崎聞見録』に「しょくらと」という記述が残っている。
「では日本人で誰が最初に飲んだかというと、17世紀に慶長遣欧使節団を率いた支倉常長(はせくらつねなが)か、メキシコに水銀を取りに行った田中勝助(たなかしょうすけ)。記録にはありませんがこの人たちが飲んだ可能性があります」
チョコレートというと現在は固形物のイメージ。しかし「飲む」ではなく「食べる」ようになったのは、実は19世紀からとそう古いわけではない。飲み物としてのチョコレートは栄養分はあるがそのぶん脂肪分が多くてたくさんは飲めないため、結局は珈琲や紅茶に「負けて」しまう。が、それを飲みやすくしたココアやミルクチョコレートの発明によって「産業化」され、現在では世界中で愛されるようになった。日本では1899年から生産を開始。個人消費量ではドイツやスイスに遠く及ばないが、その美味しさと生産管理技術は世界トップレベルといっていい。
栄養分や食物繊維が豊富なチョコレートは「天然界でもっとも安定した油脂」。便通改善や大腸がん、成人病予防などの効用もある素晴らしい食べ物だ。そして、その文化は「一粒の種から4000年遡ることができる」。
「調べれば調べるほど不思議。文化的にこれだけおもしろい食べ物は他にないですね」
来年は退官を迎える八杉氏。「夢」はカクチケル語の文法書やマヤ征服史など「たくさん残っている原稿」を書くことだ。
「目的や希望を持って生きるというその元気を、少しでも人に与えられるようなものを残せたらいいなと思います」

講師紹介

八杉 佳穂(やすぎ よしほ)
八杉 佳穂(やすぎ よしほ)
国立民族学博物館教授・総合研究大学院大学教授
1950年、広島県福山市に生まれる。68年福山誠之館高校卒業、72年京都大学工学部卒業。1975年京都大学文学部卒業。中米言語学、文字学、中米文化史専攻。文学博士。現在、カクチケル語の時代変遷やマヤ征服史、マヤ文字を研究中。著書に『マヤ文字を書いてみよう読んでみよう』(白水社)、『チョコレートの文化誌』(世界思想社)、『マヤ文字を解く』(中央公論新社)、『マヤ興亡』(福武書店)、“Native Middle American Languages: An Areal-Typological Perspective”(National Museum of Ethnology)、編著に『茶の湯のものづくりと世界のわざ:千家十職×みんぱく』(河出書房新社)、『マヤ学を学ぶ人のために』(世界思想社)、“Materiales de lenguas mayas de Guatemala”(ELPR)、『現代マヤ:色と織に魅せられた人々』(千里文化財団)などがある。