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イベントレポート

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2015年3月5日(木) 19:00~21:00

青木亮輔(あおき りょうすけ),山﨑真由子(やまざき まゆこ) /

森の仕事、木の仕事が今熱い!
~50年先、100年先を見据える、林業男子、女子たちの底力~

林業というと、わたしたちの日常から、とてつもなく"かけ離れた"業界だと思っていないだろうか? しかし、ここ数年、林業の現場をはじめ、木に関わる仕事に従事したいという人々が増えている。その動機はさまざまだが、選択の経緯とライフスタイルは、せかせかと生きるわたしたちにとって、とても新鮮に写るはずだ。そんな彼らの人物像は、『ウォーターボーイズ』など、数々のヒット作を世に送り出してきた、矢口史靖監督の最新作、映画『WOOD JOB! 紙去なあなあ日常』や、その原作小説『神去なあなあ日常』(三浦しをん)でいきいきと描かれ、話題にもなった。今回は、ゲストに林業男子の代表的存在である青木亮輔氏を、またファシリテーターに林業に魅せられ、林業に関わる人や現場の取材をしてきた山﨑真由子氏をお招きし、林業ライフについて赤裸々にお話しいただいた。

縁もゆかりもない檜原村へ

セミナーはファシリテーターを務める山崎真由子氏の司会で進行。まずは講師の青木亮輔氏自身に、その活動拠点である東京都檜原村(ひのはらむら)について紹介いただいた。

「檜原村は東京西部。島嶼部を除けば都内で唯一の村。北は奥多摩町、南隣は山梨県の上野原市という場所にあります」

最寄り駅は武蔵五日市駅。村役場はそこからバスで20分ほど揺られた場所にある。東京都全体の森林の割合は36パーセントだが、檜原村に限っていえば93パーセント。村内にある『檜原都民の森』にはブナの原生林や樹齢100年以上の大木がたくさん残っている。流星群の時期ともなれば夜空は天体ショー。昨年の大雪では4メートルの積雪に見舞われたという、およそ「東京」のイメージからはかけ離れた環境にある村だ。青木氏自身は、もともとは「檜原村に縁もゆかりもない人間」。檜原村に来たのは社会人になってから。大学では探検部に所属して海外に遠征。卒業後も旅をつづけ、その後サラリーマンを1年経験。「何か一生かけてできる仕事はないものか」と考えたときに目が向いたのが林業だったという。もともとが自然好き。世代的に就職氷河期に属していたため一般企業への就職が困難だったという事情もあったが、「林業は高齢化で人手不足だというし、若い人間が行けばちやほやしてくれるんじゃないかという下心もありました」という。窓口に利用したのは国の「緊急雇用対策事業」。これに応募したところ、受け入れてくれたのが檜原村の森林組合だったという。試用期間終了後はそのまま組合に就職。その後2006年に民間企業である「東京チェンソーズ」を設立。現在はいわゆる「山仕事」の他に、「体験」や「環境」をキーワードに林業を介したいくつかの新事業を展開。ここではそうした同社の事業や東京都の林業の実態について聞いてみた。

「林業会社らしくない林業会社」

最初は「林業とは何ぞや」。林業の最大の特徴は収益が出るまでの期間が長いこと。農業や漁業など他の第一次産業と違い、林業の場合は木を植えてから伐採するまで、30年から50年という長い時間がかかる。具体的には苗の「植えつけ」から始まって、「下刈り」、「除伐」、「枝打ち」、「間伐」、そして「主伐」と進め、ふたたび「植えつけ」を行なう。いわば「持続可能な循環型産業」だ。檜原村の林業は江戸時代からつづくもの。そこで採れる木は主に建材や燃料として使われてきたという。

「いちばん大切なのは木を植えること。そして植えたら曲がった木にならないよう、一本一本手入れしていかなければなりません」

苗は植えてから7年間は下草刈りを欠かさずに行なう。7年経つと「下草に負けない強い木に育つ」。枝打ちはそれをすることで「真っ直ぐで歩留まりのいい幹ができる」。そして間伐によって光が射し込む空間をつくることで「下に広葉樹が生える明るい山になる」という。逆にこうした手入れをしていない山の木は価値が低くなる。「環境に対する意識が高い」という東京の場合は荒れている山は少ないが、全国的に見ればそうした「行き届いていない山」は相当あるという。

「現在の日本の森林は、戦後の木材が高かった時代に植えられた木が多いんですね。それが今は外国の安い木材に押されて売れなくなった。こういう理由で手入れのされていない山が増えてしまったんです」

森林は売るためだけのものではなく、水源や環境を守るものでもある。こうした状況を改善するには、人々に地元の木材をもっと利用してもらうしかない。そのためにはまず木に触れてもらい、林業に関心を寄せてもらうこと。青木氏が東京チェンソーズを立ち上げたのもそうした思いがあったからだった。

山崎氏の言葉を借りると「東京チェンソーズは林業会社らしくない林業会社」だ。取り組んでいるのは「稼ぎ頭である林業」の他、情報発信やイベント事業など。入口となるのは「林業体験」や「ツリークライミング」など参加者を募ってのイベントだ。実際にチェンソーで木を切ったり、木材市場を見学できる「林業体験」は昨年だけで324名、大人も子どもも楽しめる「ツリークライミング」は約400名が体験したという。こうしたユニークな活動にメディアも注目。新聞やテレビで紹介されるようにもなった。山崎氏との出会いもその流れの中から生まれたもの。「林業という第一次産業が存在することすら忘れかけていた」という山崎氏だが、東京チェンソーズの活動に興味を抱き、同社にとって初の著作となる『今日も森にいます。東京チェンソーズ』を刊行することとなる。

新事業を通じて山を活かし、東京の木を使ってもらう

現在進行形の新事業の中ですでに動き出しているのが「東京美林倶楽部」。これは「3本の苗木を5万円で購入してもらい、それを30年かけて育てていきましょう」というプログラムだ。購入者は3本の木のオーナーとなり、1年目は植栽、2~7年目は下草刈り、8年目から20年目までは4年ごとに枝打ち、25年目、30年目には間伐を行なう。間伐で伐採する2本の木は家具やおもちゃなどの木製品にし、最後の1本は手入れの行き届いた木として残す。

「木が手入れを必要とするのは30年。それ以降は勝手に太っていってくれます」

目標とするのは植生の豊かな奈良県吉野の森。昨年からスタートした事業にはすでに大勢の人が参加しているという。

もうひとつの事業は「東京の木で家づくりをしてもらおう」というコンセプトの「TOKYO WOOD」。設計会社と提携しての事業では東京の木をブランディングし、今の若い人間の生活様式に合った住宅を提供していく予定だ。さらに檜原村全体で取り組もうとしているのが「檜原村おもちゃビレッジ構想」だ。これは人口3,000人中2,000人がおもちゃ関連の仕事に就いているというドイツのおもちゃ村=ザイフェン村をお手本に、檜原村を「木のおもちゃの村」にしようというもの。これが実現すれば雇用が生まれ、過疎に悩む村の人口も増えると期待される。

青木氏の「夢」は「東京に住む人たちに東京の木を使ってもらうこと」。山崎氏は「これからも青木さんを取材したようにいろんな人に話を聞いて、本をつくったり原稿を書いたりして生きていくことが目標」だという。

講師紹介

青木亮輔(あおき りょうすけ),山﨑真由子(やまざき まゆこ)
青木亮輔(あおき りょうすけ),山﨑真由子(やまざき まゆこ)

青木 亮輔(あおき りょうすけ)写真右

1976年大阪生まれ。東京農業大学林学科卒業。学生時代はモンゴルの洞窟調査やメコン川の源流航下など探検部活動に熱中。1年間のサラリーマン生活を経て、林業の世界へ。2006年、仲間とともに所属していた東京都森林組合から独立し、林業事業体の会社「東京チェンソーズ」を起業。

山﨑 真由子(やまざき まゆこ)写真左

1971年東京生まれ。食、酒場、筆記具、カメラなど“モノとヒト”にまつわる分野で編集・執筆多数。近年、林業に目を向け、『今日も森にいます。東京チェンソーズ』(著:青木亮輔・徳間書店取材班)の取材・文章を担当。2014年5月には『林業男子いまの森、100年先の森』(山と溪谷社)を執筆。