スルガ銀行 Dバンク支店

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2015年4月22日(水)13:30~15:00

黒羽 徹(くろは とおる) / リストランテ・プリマヴェーラ総料理長

静岡の食材で楽しむイタリア料理
~食は生命の源であり感動、喜び、そして文化を生み出す~

静岡県長泉町スルガ平にある、大きな窓から緑豊かな庭園風景を臨むイタリアンレストラン「リストランテ・プリマヴェーラ」。
自家菜園・契約農家から仕入れた新鮮な地元野菜や、旬の食材を使い、ゆったりとくつろぎながら食事を楽しめる場所だ。
この居心地のよい空間を演出するのが料理長を務める黒羽徹氏。
今回は、修行の地・イタリアの魅力や、世界一と称されたレストラン「エル・ブリ(El Bulli)」での修行、箱根西麓三島野菜(はこねせいろくみしまやさい)についてお話をいただいた。

海外で経験を積みたい。26才の時、イタリアへ

イタリア料理は、決まった味・作り方というのがあるわけではなく、地域によって異なるという。
1996年、当時26才でイタリアへ渡った黒羽氏は、北部にあるボローニャを皮切りにナポリ、ミラノ、シチリアのレストランなどで修行をし、見聞を広める。
「日曜に開かれるイタリアの市場(マルシェ)は、とても魅力的です。たくさんの人が集まり、旬の食材が売られている。玉ねぎを丸ごと焼いただけのものを出す人、その日釣れたたった2匹だけの魚を出す人など、出店者もさまざま。 そして広場では子どもたちが元気に遊び回っています」。
マルシェで買った野菜を家に持って帰って、パスタを作って食す。
日常の中で新鮮な野菜に触れて育った子どもたちは、そうやって食材の調理法を自然と覚えていく。
まさに食育という言葉がふさわしい環境だ。黒羽氏は「子どもから野菜の食べ方を教わったことも」と話す。
クスクス(パスタの一種)で世界No.1と言われる女性料理人の元を訪れたり、肉屋や塩田、リコッタチーズ(日本でいう豆腐のようなもの。チーズの生成過程でできるホエーと言われるものを煮詰めて作る)の工程見学、グラッパ(イタリアの蒸留酒)の見学など、食にまつわるいろいろな生産過程を実際に見て触れて学んでいったという。
日本では食べることができない「サボテンの実」(皮を剥いて食す。さっぱりした甘みで、デザートにも使われる)も現地で食べた。
さまざまな味や、その製造方法を知るのも料理人の修行のうちだ。
日本人に合う味覚を求めてイタリア国内さまざまな土地へ足を運んだ。
「シチリアの料理が一番、日本人の口に合う。ここはぜひ訪れて欲しい土地の一つ」。
中でもファヴィニャーナ島(シチリアの西に位置するエーガディ諸島の一つ)で体験したマグロの囲い込み漁は、私たちにも身近な話題だった。
世界で漁獲される4分の1は日本が消費しているというマグロ。この島でも、獲れたマグロのほとんどを日本へと輸出するという。
「一番大きなマグロは、街の人々みんなでパーティーをして分け合って食べます。それはもう賑やかですよ」。
食に保守的なイタリア人はマグロを生食しないが、よく熟知しており、ツナ缶は身の部位ごとに使いわけて作る。そんなイタリアのツナ缶は絶品なのだとか。
黒羽氏はシチリア滞在中の居に、モディカという土地を選ぶ。1300年代の家もあるなど非常に古い街並みを有し、夏の気温はなんと50度にも昇る。
「フライパンの底」と称されるほどの場所だ。風情ある美しい景観は人々を魅了し、2002年には世界遺産に登録。
現在は、交通の便が悪いにも関わらず多くの観光客が訪れるスポットだ。

スペインの三ツ星レストラン「エル・ブリ」での修行時代

イタリアでの勉強を経て、次の修行先として選んだのが、世界一と評されたスペインの三ツ星レストラン「エル・ブリ」。
世界の料理の常識を変えたと言われるほどの影響力があり、年間200万件もの予約が殺到するにも関わらず、席数はたったの約50席。
「世界一予約が取れないレストラン」とも呼ばれるゆえんだ。
そんな有名レストランへ何のコネなく入ろうとするのは並大抵のことではない。門戸を叩くシェフは数知れず、FAX(メールがまだ普及していない時代)も世界中から1日に3000枚は届くという。
「普通の書き方では絶対見てもらえない。だから筆ペンを使って、日本語とイタリア語とスペイン語の3か国語で『どうしても働きたい』と書いたものを1か月、送り続けました」。
筆ペンを使った独特の文字が目に止まったのか、日本人で初めて採用されることになった。
エル・ブリは三ツ星レストランではあるものの電車も走っていないような辺境の地にあった。
持ってきていた20万円程度の現金はイタリアを回っているうちに底をついていたので、店で一番安いパン1つと水だけが入ったリュックサックを背負い、毎日自転車で12kmの山道を通勤した。「横は崖。舗装もされていないし、ガードレールもない。毎日が命懸けでしたよ。
日々が本当に大変で『三ツ星レストラン』で働いているというステイタスだけが唯一の支えでした」と懐かしむ。
修行当時、シェフの数は40人~50人。3時間かけて30品のコース料理を出すが、ほとんどのシェフが部分部分の下ごしらえしか担当させてもらえない。
お客さまに出せる一皿へと仕上げるのはメインキッチンの担当だ。「私は本当に運がよくて、メインキッチンへと呼んでもらえたのです」。
一見普通なのに割るとふわっと香りが広がるように仕込まれたパン、空気をたくさん仕込ませたスポンジケーキ、スモークが出てくる料理など、五感に訴えかける独創的な料理の数々…。
今までの料理のイメージを覆すものばかり。黒羽氏はどんどん腕を磨いていった。
ヨーロッパでの修行時代、住んでいた部屋に飾ってあったのが、現在、東京・広尾にある「リストランテ・アクアパッツァ」の総料理長を務める日高良実氏の写真。
「いつかこの人を超えてやる」という意気込みで飾っていたのだという。
面識はなかったが、不思議な縁に導かれ、ある日、日高氏から電話がかかってくる。
「静岡県長泉町に出店するのだが、そこの料理長をやらないか」。
帰国したら、自然豊かな郊外に店を出したいと思っていた矢先だったので、これはありがたい申し出だった。
そして2002年4月、クレマチスの丘「ヴィラ・ディ・マンジャ ペッシェ」のオープンに合わせ帰国。総料理長へと就任した。

箱根西麓三島野菜など、地産地消への取り組み

イタリアは日本と違って交通の便が悪く、隣町から商品を取り寄せようとすると1週間以上かかったり、場合によっては届かないこともあったという。
メニューを作ってそれに必要な材料を取り寄せるのではなく、あるものを使ってメニューを作る。
イタリアでのそういった経験は、黒羽氏に「スローフード(その土地にあった食文化や食材、農業を見直す活動)」を意識させるきっかけになった。
「静岡は海・山があり、気候のよいイタリアに似た環境。同じように美味しい料理が作りやすいですね」。
現在は契約農家と協力し、野菜作りから取り組んでいる。
地元で採れる「箱根西麓三島野菜」は、適度な水はけ、風通し、寒暖差、ミネラル豊富な赤土という環境の中で育つので、甘みがあるという。畑の作り方、肥料を調整することで、野菜の味さえも調整できることがわかってきた。店の自家菜園では米ぬかを土に混ぜる。
そうすることで土自体が熱を持ち、より甘みのある野菜が作れるのだという。
野菜には作り手の雰囲気が味に出る。日本人が作る野菜は、土壌から考え、丁寧に作っていくから繊細な味わいに。
「イタリア野菜はもっとおおざっぱな味ですよ」。
さらに、畑には力がある。それは畑で作業するスタッフの心にも影響するという。
「畑仕事をしていると、嫌なことを忘れて不思議と元気になるんです。畑を持っていてよかったと思うことがこれまでに何度もありました」。
最近は、イタリア野菜の種を日本での栽培に向くよう、品種改良することにも携わっているというから驚きだ。
今はまだ試行錯誤の段階で、店の自家菜園などで研究中なのだとか。今後、どんなイタリア野菜が登場するのか楽しみだ。
最後に、日本人にとってはなじみのないイタリア独特の調理法を教えてくれた。日本では野菜を調理するとき食感や色を大事にするが、イタリアではパスタを茹でるときと同じくらいの多めの塩加減で、野菜が溶けるのではないかというほどたっぷりと時間をかけて茹でる。
こうして茹でた野菜とちょっといいオリーブオイル・塩だけでパスタを作ると驚くほど美味しいのだとか。今晩の夕食に試してみてはいかがだろう。

講師紹介

黒羽 徹(くろは とおる)
黒羽 徹(くろは とおる)
リストランテ・プリマヴェーラ総料理長
1996年からイタリアとスペインの有名三ツ星レストラン「エルプリ」で修行。シェフとしての手腕を磨く。 2002年クレマチスの丘「ヴィラ・ディ・マンジャ ペッシェ」オープンにともない帰国、総料理長に就任。 2009年「リストランテ・プリマヴェーラ」へとリニューアルし、現在も総料理長として活躍中。