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イベントレポート

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2015年5月19日(火) 19:00~21:00

小髙 敬寛(おだか たかひろ) / 東京大学総合研究博物館特任研究員

メソポタミア文明前夜の考古学
~イラク・クルディスタン、遺跡調査の現場より~

人類最古の文明といわれるメソポタミア文明。現在のイラク共和国北部を占めるクルディスタン地域は、その起源を解き明かす鍵として20世紀半ばに世界の注目を集めました。残念ながら、つづく半世紀のあいだは度重なる戦禍に見舞われていましたが、急速な復興が進む昨今、諸外国の研究者たちが考古学調査を再開し、彼の地に眠っていた遺跡は、再び学界の表舞台に立とうとしています。2013年夏、そうした調査のひとつに日本から初めて参加した小髙氏に、イラク・クルディスタンにおける遺跡調査の様子についてお話しいただきました。

メソポタミア文明以前の先史時代を見る

「今日の舞台はイラクのクルディスタン。考古学、古代研究の中でどのような意義のある場所なのか。そこでの遺跡調査の実態、私たちが現地でどのような生活を送っているのか、このふたつをお伝えしたいと思います」

講師である小髙敬寛氏の挨拶から始まったこの日のセミナー。まずは中東の地図から今回のテーマとなったクルディスタン地方がどこにあるのかを確認してみた。クルディスタンとは少数民族であるクルド人の住む土地。その一部、イラク北部の地域には現在「クルディスタン地域政府」が置かれ、自治が行なわれている。イラク戦争後はいちはやく復興が進み経済が発展。都市部には高層ビルやショッピングモールが建設され、欧米やアジア各国からビジネスマンが大勢やって来ている。一方で歴史的には、人類最古の文明であるメソポタミア文明の中心地であるユーフラテス川やチグリス川の下流域から見ると辺境にあたる。ただし、そうした都市文明が栄える以前の先史時代を辿ると、非常に重要な意味を持つ地域であることがこれまでの研究からわかっている。

「農耕牧畜」はどこで始まったのか

「中近東地域の考古学は19世紀まではどうしてもきらびやかな物が多い文明の時代以降の研究調査に偏っていました。それが20世紀に入ると文明時代の前の先史時代が注目されるようになっていきました」

人類は何も誕生してすぐに都市文明を築いたわけではない。「都市革命」が起こったのは約5,000年前。ではそれに至る前、人間は何をしていたのか。そのひとつの鍵となるのが「農耕牧畜の始まり」だ。先史時代の重要性を説いたゴードン・チャイルドはこの「農耕牧畜の始まり」を「産業革命」や「都市革命」と並ぶ三大革命のひとつとして「新石器革命」と名付けた。「農耕牧畜の始まり」は今現在人類が抱えている「人口問題」や「環境問題」の起点でもある。これを無視して歴史を語ることはできない。それまで狩猟採集生活をしていた人間は動植物を育て、飼い馴らすことで飛躍的に文化を発達させた。チャイルドはその発祥の地を「オアシス仮説」を立ててメソポタミア文明が栄えたような大河の畔にあるとした。しかし、これは後にアメリカ人研究者のブレイドウッドによって否定される。大麦小麦などの穀物にしても山羊や羊、牛、豚といった家畜の祖先にしても野生種として存在したのは大河の畔ではなく丘陵地域だったからだ。実際、発掘調査で「農耕牧畜の始まり」は大河の下流域よりもそれを取り巻く標高1000メートル程度の山岳部を含む「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる一帯であることが判明した。クルディスタン地方はまさにその三日月地帯に位置している。実は戦後日本が初めて行なった中東の遺跡調査もこのブレイドウッドの説に基づいて行なわれている。ところが1960年代以降、クルディスタン地方は長い戦乱の時期を迎えてしまう。そこで研究者たちは同じ「三日月地帯」に位置するシリアなどで長年発掘調査を行なってきた。小髙氏もそのシリアでの現地調査を重ね「研究者として一本立ちした」世代。こうした研究者は世界各国に存在するという。

「それがなぜクルディスタンなのか。答はアラブの春とその後の内戦。2011年以降、シリアには入れなくなってしまったんです」

農耕牧畜から都市文明へ、遺跡調査を通じてその軌跡を探る

研究する場所を失ってしまった各国の研究者が目指したのは、戦乱から脱し遺跡の発掘調査が再開されていたイラクのクルディスタン地方。小髙氏も同じシリアで研究をしていたオランダのライデン大学の調査チームから誘いを受け、2013年の調査に参加することになった。目指したのは1960年に一度、イラク共和国政府の文化財局が発掘調査をしたというスレイマニヤ県のテル・ベグム遺跡。標高500メートルの場所に位置するこの遺跡は、地理的には1万年前に農耕牧畜が始まった標高1000メートルの山岳部と、都市文明の発達した標高0メートル近くの大河の下流域との中間にあたる。人間がどうやって都市革命を起こしたのかを調べるにはうってつけの場所。まずは予備調査という形で11日間の現地再発掘調査を行なった。小髙氏がこのセミナーで伝えてくれたのは「アカデミックな話ではなく、現地調査の実態」。遺跡の発掘調査というと砂漠のような場所で土を掘るといったイメージ。実際、そのとおりではあるが、そこに至るにはさまざまな準備や手続き、段取りなどがある。1960年代以降、遺跡調査では日本人として初の現地入り。町の雰囲気こそ他の中東地域の国々と変わらないが、クルド語しか通じぬ土地での宿舎の確保や作業員の手配はひと苦労。5年、10年という月日を要する発掘調査では現地の人々との関係の構築も大切。ここではそうした「現地での生活」を画像で紹介。家具のない貸家での半ばキャンプ生活のような暮らしや、灼熱の太陽の下での調査の模様をお見せいただいた。

1日のスタートは朝4時前。暗いうちに宿舎を出発し、30分ほどかけて現場に行く。朝焼けを眺め、気温の低いうちに鍬や鶴嘴で穴を掘る。第一の仕事は「土を見る」こと。今回は半世紀前にイラクチームが発掘した穴を再発掘。土の断面を見て、それが何千年前のものかなどを調べた。小髙氏が担当したのは数千年に渡る堆積で丘状となった遺跡の中腹部分。ここには紀元前4000年頃、今から6000年前の建物が埋まっていたという。

「時期的にも、どんぴしゃな時代の遺跡。この遺跡の中でもいちばん有望な調査区でした」

気温が40度以上になる昼過ぎには調査は終了。そのあとは宿舎で出土品や採取したサンプルを洗ったり整理したり、あるいは現地の人に聴き取り調査を試みたり。こうした仕事が毎日つづく。2013年度はあくまでも「予備調査」。すべてをやりきることはできなかったので、翌年の春には単独で現地入りして出土品を整理したという。もちろん、その後も調査はつづける予定であった。が、調査地からは離れた場所ではあったが、「有志国による空爆が始まってしまった」。

今は地域の安定を願いながら、「渡航は自重しているところです」。

過去に蓄積した情報を役立てている生き物は人間だけ。「ある意味、それが人間の繁栄の鍵を握るし、衰退の鍵も握るはず」と語る小髙氏。「夢」は「歴史解釈を通じて世界の見方を変える」ことだ。

「変えるまではいかなくても揺るがすくらいの仕事が一生のうちにできればいいですね」

講師紹介

小髙 敬寛(おだか たかひろ)
東京大学総合研究博物館特任研究員
1975年、岡山県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。早稲田大学文学学術院助手、東京芸術大学大学院美術研究科教育研究助手、早稲田大学高等研究所助教などを経て現職。 現在、早稲田大学、神奈川大学、明治大学などで教鞭を執る。1996年よりシリア、アゼルバイジャン、トルコ、ヨルダン、イラク・クルディスタンなどで考古遺跡の調査・研究に従事している。