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イベントレポート

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2015年9月16日(水)13:30~15:00

中原 朋哉(なかはら ともや) / 指揮者

音楽の調べ
~ここから始めるクラシック~

指揮者の仕事とは?指揮者になったきっかけは?オーケストラとはどうやってコミュニケーションを取っているの?
何十人もの個性豊かなプロ演奏家を束ねるためには、音楽性はもちろん、リーダーシップや強い精神力、人間性が求められる。今回講師に迎える中原朋哉氏は、23歳で単身ヨーロッパに渡り、クラシック音楽の本場フランスやオーストリアのザルツブルクで活躍した後に帰国した経歴を持つ。
日本で約50名といわれるプロ指揮者の中で異彩を放ち、音楽業界から注目を集める存在。「静岡から、これまで世界中のどのオーケストラも取り組んだことのない新しい道を開拓しよう!」と奮闘中の中原氏に話を伺った。

指揮者の仕事とは?

個性豊かなプロの演奏家を束ね、ひとつの音楽を作り上げる指揮者。そのイメージはコンサートで唯一観客に背を向け、優雅に指揮をしている姿ではないだろうか?
今回のセミナー講師は「シンフォニエッタ静岡」芸術監督・指揮者として活躍中の中原朋哉氏。実際の指揮者の仕事や指揮者になったきっかけ、これからの夢などについてお話しいただいた。
登場してすぐに中原氏が鞄から取り出したものは次回公演予定の楽譜。
「これはモーツァルトのスコアです。ジュピターという1曲だけで80ページほどあります。指揮者は全パートを理解していないといけません」
フルートやクラリネットから始まってヴァイオリン、チェロ、コントラバスなど全部で15パート。これらすべてのパートを理解し、それぞれに指示を出す。
「指揮者というのは決して手だけ振っている訳ではないのですよ。楽曲についてはもちろん、各楽器のしくみを知っておく必要があります。自分の欲しい音を出してもらうためには適切な指示が必要。楽器の特徴やしくみを知っていれば各パートがやりやすい方法でリクエストすることができるのです」
たとえばハープ。女性の演奏家が多いように思われるが昔は男性が主だった。47本の太い弦、半音を調節するペダルを同時に扱うにはかなりの体力がいる。
23歳で単身ヨーロッパに渡った中原氏。オーケストラの中で自分が最も若く、自分の親よりも年上の団員も多かった。プライドが高いメンバーも多い中、プレッシャーに負けず納得して自分の指示に従ってもらわなければならない。
「指揮者ってけっこう変わり者が多いと思いますよ。でも、うつ病になったという話は聞いたことがないのでマイペース型が多いのかもしれません」
また、指揮者が一つのオーケストラに務める期間は10年だという。
「夫婦と同じで10年も経てばお互いの手の内が見えて飽きてくるんです」
また、大勢のオーケストラの団員をまとめる大変さについては「同じように指揮をしても、大人数のオーケストラを率いているときは腕が重いです。20人くらいだとさほど感じなくても100人以上になると体がグッと重く感じられて腕を動かすのに倍以上の力が必要に感じられます。200人以上だとさらに重たいです」
指揮者というのは想像以上に重圧がかかる仕事のようだ。

指揮者になったきっかけとは?

そんな重圧のかかる仕事に就こうと思ったきっかけはなんだったのだろう?
「いちばん最初に指揮者について意識したのは小学校6年生のとき。音楽の授業で先生に指揮をやって、と言われたことでした」
その後、吹奏楽部などでも指揮者を体験する機会があったそうだ。
「でも気づいたらなっていた、というのが率直なところです」
一度は指揮者への道をあきらめて、作曲へ進もうとしたこともあるという。
「ところが、作曲の先生から指揮者のほうが合ってると思うよ、って言われて戻りました」
他の楽器の演奏者から指揮者になるケースは割と多いようだ。ピアニストから指揮者になったのはアシュケナージやバレンボイム。
「日本人だとコントラバスやトロンボーンから移る人も多いですね」
5分間の休憩後、次の話題はオーケストラとのコミュニケーションについて。
「指揮者になって19年経ちますが、これまで自分の求める音を得られたのはたった1拍だけです」
つまり、自分の望む音を出してもらうのはそれほどに難しいということだ。
「どういう音が欲しいか、それを説明するためには言葉のボキャブラリーが大切だと思います。また、相手に合わせて表現を選ぶことも必要ですね。それぞれの指揮者がそれぞれの言葉を持っていて、オーケストラもそれを理解しようとがんばる。そうやってひとつの音楽を作り上げていくと思うのです」
練習のときは言葉、本番ではアイコンタクトが大切だという。本番中、楽器に予期せぬ不具合が起きた時などテレパシーのように感じたりもするそうだ。また、一緒に飲みに行ってコミュニケーションを取ることも多いとのこと。わかっているようで意外と知らないオーケストラ団員の本音。
「一緒に飲んだり食べたりすればおのずと本音がわかりますよね。」

定期演奏会を満席

クラシック音楽はもともと宮廷の貴族の間で発展し、フランス革命後に市民の間に広がっていった。
「宮廷音楽が盛んだった時代、音楽は語学のひとつだったのです。たとえば、モーツァルトのジュピターは男女の対話になっているんですね。貴族たちはそういった教育を受けていて、楽譜を見ればそのニュアンスも理解できたようです」
モーツァルトの書簡集や手紙などによると、ある一つの作品を書き上げてからわずか2日後に初演が行なわれたという記録が残っているそうだ。これは演奏家が楽譜を見て内容をすぐに理解し、演奏できたことを示している。ところがフランス革命後、音楽が市民に開放された後そういった教育はなされなくなった。
「日本の小学校でも中学校でも楽譜を言葉として理解するように教えたら、音楽の授業がもっと楽しくなると思います」
現在、静岡文化芸術大学大学院で文化政策を専攻する大学院生でもある中原氏。多忙な毎日を送りながら大学院で学ぼうと思った理由は?
「オーケストラを維持するためには行政の援助が必要です。しかしながら施策の中には現場の実情に合ってないものも少なくありません。役所の方と改善のための議論が深められるよう、文化政策について詳しく学ぼうと思いました」
そんな中原氏にこれからの夢を聞いてみた。
「定期演奏会を満席にすることです。静岡でしか聴けない演奏をしていきたいです」
かつてフランスのナントに住み、そこからモーツァルトの生まれたザルツブルクへ通っていた時期もある中原氏。ザルツブルクとウイーンは約360km離れている。そのためウイーンとは異なる方言があり、また、モーツァルトの楽曲に対しても伝統的に受け継がれてきた演奏方法があるそうだ。それを肌で感じた経験を活かし、また日本ではまだあまり紹介されていないフランス音楽を紹介するなど、ここでしか聴けないオリジナリティ溢れる演奏会を開きたいと意気込む。
「グランシップや静岡市民文化会館など、静岡にもオーケストラの演奏を楽しむのに良いホールがあります。演奏会の前後の時間も合わせて気軽にゆったり楽しんでもらえたら嬉しいです」 文・土屋 茉莉

講師紹介

中原 朋哉(なかはら ともや)
中原 朋哉(なかはら ともや)
指揮者
1973年3月1日愛知県小牧市生まれ。静岡県焼津市に育つ。
フランス・ディジョン音楽院指揮科にてジャン=セバスチャン・ペロー氏に師事。1993年からフランスおよび日本においてパスカル・ヴェロ氏のアシスタントを務める。2005年には国内外のトップアーティストを中心に構成されるプロの室内オーケストラ「シンフォニエッタ静岡」を創設。2006年より定期演奏会を開始。創設時より「シンフォニエッタ静岡」芸術監督・指揮者を務める。