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イベントレポート

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2015年10月11日(日)13:30~15:00

大石 和彦(おおいし かずひこ) / 茗広茶業株式会社

静岡のお茶の歴史を知って、お茶の新しい魅力を知る
~熟成というもう一つのお茶の味わい~

静岡本山茶は聖一国師が安倍川上流足久保の地に茶の種をまいたことが起源と言われる。駿府に居を構えた徳川家康はこの本山茶を好み、春に摘み取った茶を秋に味わうために安倍奥の井川にお茶蔵を建立し、茶を保管・熟成させた。現在では新茶の爽やかな香りが好まれるが、当時は熟成した茶の味わいが珍重されていた。そして明治時代には清水港から海外に輸出され、緑茶は静岡の一大産業となっていく。
今回のセミナーでは、こういった静岡茶の歴史にまつわるエピソードとともに、平成になってから井川に復興されたお茶蔵で保管熟成される本山熟成茶やお茶壺道中、さらには今話題の和紅茶についてもご紹介いただいた。

お茶の歴史と徳川家康

今回のセミナーは「d-labo静岡×第69回全国お茶まつり静岡大会 コラボレーションセミナー 第3弾」として開催された。講師は大石和彦氏。大石氏が常務取締役を務める茗広(めいこう)茶業株式会社は静岡市中に本社と4工場を持つ製茶会社(原料問屋)である。原料は静岡県内各地をはじめ、鹿児島・八女〈福岡〉・熊本・宮崎・愛知等全国から仕入れ、自社で仕上げならびに殺菌・粉砕を行なっている。

取扱う商品は大きく分けて、煎茶(通常のリーフのお茶)、ほうじ茶(茶葉を焙煎したもの)、番茶(秋以降に取れるお茶)、抹茶(専門原料・碾茶を用途に合わせ粉砕)、玄米茶(煎茶または番茶に玄米を加えたもの。場合により抹茶も加える)、各種ティーバッグ、粉末茶(煎茶を粉砕)、インスタントティー(煎茶の抽出物を粉末加工)だ。

「近年の特徴は粉末茶・抹茶・インスタントティーの消費割合が増えていることです」

お茶に使う年間の費用はさほど変わらないが、どのタイプのお茶を飲むかの割合が変化しているとのこと。残念ながら、お茶どころ静岡といえども急須でお茶をいれて飲む人の割合は年々減少しているそうだ。

さて、ここからお茶の歴史について。現在のような静岡茶の始まりは鎌倉時代と言われる。

「聖一国師という人が“静岡のお茶の祖”と言われています。静岡市に生まれ、宋から帰国後足久保にお茶の種をまいたそうです」

同じ頃、明恵上人も栄西(臨済宗の開祖)から譲り受けたお茶の種を日本各地数か所にまいたと言われ、そのうちのひとつが現在の静岡市清水区“駿河の清見”である。栄西は3代将軍源実朝にお茶を献上したことでも有名。二日酔いだった実朝がお茶を飲んだところ非常にすっきりしたので広まっていったという。

その後室町時代を経て1589年徳川家康が駿府城に入城、隠居生活を始めたと言われる。家康は静岡茶をことさら愛したそうだ。

「井川大日峠には、徳川家康に献上するためのお茶を保存するお茶壺屋敷がありました。山間部に貯蔵された理由は、冷蔵庫がない時代に自然の冷蔵庫として最適だったためです」

春に収穫した新茶を茶壺に詰め、夏の間涼しいこの場所で保管・熟成、秋になると駿府城へ運び、茶会に供された。

「これが熟成茶の始まりと言われているのです」

お茶の歴史と静岡

静岡茶は、米と同様に年貢として納められるほど、生活に欠かせないものになっていく。

そして大政奉還後、徳川慶喜の駿府への隠居を機に、徳川の家臣が牧之原台地などに入植し大茶園を開墾していった。日米修好通商条約により、お茶が生糸などと同様に代表的な輸出品となると、このお茶は清水から横浜港へ運ばれ、アメリカなどへ輸出されていく。

また、緑茶だけでなく紅茶にも着目していた政府は、千葉から静岡・丸子に移住した多田元吉らを紅茶の製造技術習得のためにインドに派遣したのだった。紅茶製造の技術を日本に持ち帰り、全国に広めた多田元吉は“国産紅茶の祖”と呼ばれるようになる。

緑茶・紅茶・ウーロン茶などの原材料である茶樹は、すべて同じ“チャノキ”。

「ただ、緑茶と紅茶は向いている茶葉が違うのです。また飲み方ですが日本人はストレートで飲むのを好みますよね。対して欧米では砂糖やミルクをたっぷり入れて飲むのが主流です」

さらに、茶葉だけでなく、水も違う。イギリスの水は硬水。硬水でお茶をいれると色が黒っぽく苦みのある味になり、ストレートで味わうには強すぎるが、砂糖やミルクを入れるとまろやかでとてもおいしくなる。そういうわけで輸出の目玉は紅茶より緑茶に軍配が上がったが、現在でも和紅茶の開発・改良は続いている。国産紅茶発祥の地、静岡・丸子では“丸子紅茶”として国産紅茶の魅力を広めている。

対して日本茶では、代表する品種として「やぶきた」が挙げられる。多田元吉らに師事した静岡市出身の杉山彦三郎が1908年に発見したとされ、優れた品質により現在では全国で栽培されるお茶の約7割を占めている。

当時、竹やぶの東西南北にお茶の木を植えてみたところ、北側に植えたものが最も優れていたために「やぶきた」という名前がつけられたそうだ。

「このお茶は確かに良い品質ですが、1種類だけでは摘み取れる時期が限られます。それでお茶農家さんには、早生・やぶきた・晩生というように数種類のお茶を組み合わせて栽培することをお勧めしたりしています」

新しいお茶の可能性を見つけ出そう

茶葉の栄養が丸ごと摂取できると人気が高まっている“粉のお茶”。これには大きく分けて3種類ある。まず、荒茶から煎茶を作る製造工程で出た粉状のお茶を「粉茶」という。対して「粉末茶」は茶葉を粉末状に加工したもの。「抹茶」は茶摘みの2週間ほど前から直射日光を遮るために茶畑を覆い、乾燥させた茶葉を石臼で挽いて粉にしたものを指す。この日、セミナー開始前に来場者に配られたのは粉末茶だった。

「リーフティーより簡単に飲めることと、色々なフレーバーを付けて楽しめるのが特長です。最初に楽しんでいただいたのはゆずのフレーバーティーでした。気づかれましたか?お茶にはその他にももっと面白い活用方法があるんです。抹茶をご紹介しますね」

サーブされたのはなんとお抹茶ビール。飲めない方には抹茶オーレが供された。

お抹茶ビールとは、その名のとおり抹茶とビールを混ぜたアルコール飲料。深い緑色が美しく、一口飲めばビールと抹茶の爽やかなほろ苦さ・コクが口に広がり、意外な相性の良さに参加者から驚きの声が上がった。また、抹茶オーレに使用した粉末茶には砂糖も入っているので甘いものが好きな方にはピッタリだ。

「個人的にはヨーグルトにかけたりします。また、アイスに熱いエスプレッソをかけるアフォガードを模して抹茶アフォガードを提供したところ、色も鮮やかで体にも良さそう!と、とても好評でした」

リーフティーにとどまらず積極的に様々な商品開発を進める大石氏。これからの夢はどんなことだろう。

「お茶にはまだ色々な可能性があると思います。もっと多くの方にお茶を好きになってもらいたい、そのための方法を模索中です。リーフティーを楽しむ人は少なくなっていますが、だったら他の方法でお茶を楽しめばいいじゃないか」と大石氏は語る。

「粉末茶ならばシェイカーで振って混ぜてもおいしくいただけます。国内に限らず、海外への輸出を増やしていくことで、国内のお茶メーカーも活気づいていくでしょう。幸い、日本茶インストラクターという資格があり、様々な面で注目されています。また、お茶の歴史を後世に引き継ぐことも大切だと考えています。お茶に対してハードルが高いなどと思わず、気軽に飲んでみてください」

最後に来場者から質問が寄せられた。そのいくつかピックアップしよう。

Q1. お茶の保管方法を教えてください。
「開封する前は冷蔵庫で保管。その後開封する際は冷蔵庫から出してすぐではなく、しばらく置いて常温に戻してからがベターです。そして開けたらなるべく早く飲みましょう。チャック式の袋に空気を抜いて入れるのもおすすめです。もし茶葉が湿気たらフライパンでさっと乾煎りすると風味がよみがえります」

Q2. 有機とはどういう意味ですか?
「減農薬、減肥料ということで、有機栽培で使用可能な肥料は限定されています。輸出する際には国によって基準が違います。その分栽培には手間や労力がかかりますが、最近は農家の意識も高まり積極的に取り組むケースが増えてきました。特に粉末茶の場合は全部を体に入れることになるので、健康面でも有機は安心だと思います」

時代とともに生活スタイルも変わる。旧式にとらわれず、新たな可能性を追い求める大石氏の姿はキラキラと輝いていた。

文・土屋 茉莉

講師紹介

大石 和彦(おおいし かずひこ)
大石 和彦(おおいし かずひこ)
茗広茶業株式会社
静岡市出身。メーカー勤務を経て結婚を機に茶業に従事。現在勤務する茶問屋は、全国の茶の集積地である静岡の特性を生かし、多種多様なお茶を取り扱っている。産地も品種茶といったバラエティー豊かな茶を取り揃えるだけでなく、抹茶やインスタントティーなどにも積極的に取り組んでいる。また、日本茶インストラクター1期生として次世代にお茶の魅力を伝える活動にも取り組んでいる。