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イベントレポート

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2015年12月7日(月)19:00~20:30

細矢 隆男(ほそや たかお) / 日本骨董学院 学院長

たのしい古美術・骨董Ⅰ
~古美術・骨董を楽しむには~

これから古美術・骨董を学んでみたい、趣味として楽しみたいという方のために、日本の古美術とその楽しみ方に重点を置いたセミナーを全2回に渡って開催した。第1回は①なぜ古美術なのか ②時代を経たものの美 ③鑑定とはどこを、どうみるのか(古瀬戸のやきものを例に)についてお話しいただいた。

「骨董」「古美術」「古民具」、その違いとは

今回は2回に渡る講座の「入門編」。講師の細矢隆男氏は、日本で初となる骨董・古美術の教育機関『日本骨董学院』の学院長。セミナーはまず、そもそも細矢氏が古美術や骨董にどうして「のめりこんだ」のか、語っていただいた。
「私と古美術・骨董との出会いは小学4年生のとき。祖母の家の庭で遊んでいたら江戸時代の一分金を見つけたんですね」

学校の先生に話すと「貴重な物だ」と言われ、興味を持って自分で調べてみた。同じ頃、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』を観た。そこで目を引いたのが、三船敏郎らの役者たちが身に付けていた甲冑だった。
「黒澤明監督という人は古美術のコレクターで、映画でも小道具類は本物を使っていたんです。『マクベス』をベースにした映画自体も素晴らしいものでしたし、小学4年にして洗礼を受けてしまった感じでした」

18歳、大学受験を迎える頃には刀剣類に関心を抱いた。国立博物館の学芸員から代々木にある『刀剣博物館』を紹介されて、月2回の鑑定会に参加するようになった。まわりは自分の父や祖父の世代の大人ばかり。ただひとりの学生に大人たちは、刀の持ち方や見方を教えてくれた。勉強そっちのけで鑑定書を読みふけっていたせいで「大学は2浪」。それでも「後々仕事になったのだから悔いはない」と細矢氏は笑う。大学卒業後は出版社勤務などを経て、平成8年に『日本骨董学院』を設立。現在は古美術・骨董の専門家としてメディアなどで活躍する毎日を送っている。

入門編であるこの日のセミナーでは「古美術」、「骨董」、「古民具」という3つの言葉の違いについておさらい。「古美術」というのは言うまでもなく、鑑賞して楽しむための芸術品。主に天皇家をはじめとする特権階級や、時代をリードした武将たちが使った道具や武具甲冑、あるいは書画、仏教美術である仏像などがそう呼ばれている。その代表が奈良の正倉院御物だ。一方、同じ「古」がついても「古民具」となるとだいぶ定義が変わる。
「古民具とは、一般庶民が生活の中で使ってきた道具で、装飾などがほとんどされていない必要最低限の道具類のことを指します」

では「骨董」はというと、「古美術」と「古民具」の中間に当たるもの。民具の中の上手(よいもの)から美術品に近いようなものだと思えばいい。民具ではあるがより装飾性が強く、床の間に置くと映えるようなもの。これが「骨董」だ。

なぜ「骨董」と呼ばれるのか

ここで気になるのはなぜ「古」ではなく「骨」という漢字が使われているか。「骨董」という言葉ができたのは北宋時代。文化的に非常に豊かだったこの時代、人々はそれ以前の過去の文物(美術品)を「骨董」と呼んだ。宋代の類書、『太平御覧』によると「骨」とは「体の質なり。肉の核なり」とある。また「董」には「さまざまなもの、整理したもの」、「奥深くに蔵する」という意味がある。つまり過去の文物は、それぞれの民族が遺した文化のあかし、すなわち「文化の屋台骨」といえる。そういう意味を込めて、北宋の人々は過去の文物を「骨董」と名付けたようだ。
「日本では骨董というと、あのおじいちゃんは骨董品だ、とか、ガラクタ骨董だとか、ランクが低いようなイメージですが、実は骨董というのは中国では古美術以上に価値があるものとされていたんですね」

もうひとつ覚えておきたいのが「古」の定義。日本では「これが案外アバウト」。外国を見るとイギリスではこの「古」にあたる「アンティーク」を「100年以上前の物の総称」としている。それを借用するならば、だいたい大正4年以前のものが「古美術」や「古民具」ということになる。

こうした古美術・骨董の中でも一般に親しまれているものが陶磁器などの焼物だ。ここでは過去に細矢氏が案内役を務めたテレビ番組を上映。陶磁器の一大産地である愛知県の瀬戸市を巡る番組を観ながら、焼物の種類や歴史、鑑賞法を学んだ。

焼物の種類は大きく分けると「土器」、「炻器(せっき)」、「陶器」、「磁器」の4つ。土器の代表は縄文土器。縄文土器は最も古いもので1万6500年前のものが発見されており、「世界最古の土器」と言われている。古墳時代に登場する炻器である須恵器(すえき)は、土器が600~700度で焼かれるのに対し、1,000度以上の高温で焼かれるのが特徴。石のようにかたく「焼締め」とも呼ばれている。現代人にも馴染み深い陶器は、7世紀後半の飛鳥時代から生産を開始。磁器は17世紀の伊万里でつくられている。両者の特徴は素焼きをしたあとに釉薬(ゆうやく、うわぐすり/ガラス質)をかけること。これによって陶磁器独特の美しい色が表現されている。

「カセ」は古陶磁である証

セミナー後半では各時代の陶片(陶磁器の割れた欠片)に実際に触れてみて「カセ」を鑑賞。「カセ」とは、陶磁器が古くなって釉薬がはがれた部分。陶磁器は、土と釉薬で膨張率に差があるため、長い年月を経ると寒暖の差などでその間に水が入り込み釉薬がはがれ落ちてしまう。古陶磁には、こうした「カセ」や「カセの赤ちゃん」といったヒビなどが入っていて、それが感じさせる「古び」が日本的な「侘び寂び」にも通じている。この部分をルーペで拡大して見ると、断崖絶壁のようになっていることがよくわかる。触ってみると「鋭利な刃物のよう」。傷ではあるが、これが「カセ」と認められれば、その陶磁器は本当に古いものであることが証明される。

こうした陶磁器には部位ごとの名称もある。皿や椀なら上から見た内側部分が「見込み」。縁の部分が「口縁」。裏側のまるい部分が「高台」。それに椀などは、口縁の下の上の部分を「胴」、下側を「腰」と呼ぶ。鑑賞の際にはこうした用語を覚えておくと便利だ。

古陶磁を持つときは「絶対に把手(はしゅ)は持たない」、そして「絶対に音を立てるような置き方はしない」こと。細い把手部分にはヒビが入っていることも多いし、古くなった焼物はちょっとしたショックで割れてしまう。
「茶道に使う樂茶碗などは強そうに見えてものすごくもろい。よく見たら厚さが2ミリしかなかったりするものもあります」

そんなもろいものをなぜつくるのか。
「もしかしたらそこに、壊れやすいからこそ道具を大切に、慈しんでずっと使うという日本のお茶の精神があるのかもしれませんね」

講師紹介

細矢 隆男(ほそや たかお)
細矢 隆男(ほそや たかお)
日本骨董学院 学院長
東京都生まれ。18歳で刀剣鑑定の勉強を始める。早稲田大学第一文学部独文科へ進学後、茶道部、古美術研究会に入部。刀剣のほか個人的に絵画・仏教美術・陶磁器・エジプトを含めた西洋アンティーク等多方面の古美術の研究を始め、文学・哲学・音楽などへのアプローチから世界的な美術・芸術の交流に強い関心を持つ。その後、出版社2社の代表取締役を歴任しつつ1989年から4年間、骨董・古美術の露天商を経験する。1994年より青山にて古美術店を経営するとともに、「日本骨董学院」を設立、骨董・古美術の一層の普及を目指して現在に至る。
東洋陶磁学会会員、日本山岳修験学会会員、日本美術刀剣保存協会会員、全刀商会員。