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イベントレポート

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2015年12月9日(水)19:00~21:00

近藤 二郎(こんどう じろう) / 早稲田大学文学学術院教授・同大学エジプト学研究所所長

ハトホル神殿の天体図 ―古代オリエントの星座を読み解く―

プトレマイオス朝最後の支配者クレオパトラ7世時代のデンデラ・ハトホル神殿に残された円形天体図は、古代エジプト固有の星座の位置を明らかにしてくれる貴重な資料となっている。また、この天体図には、古代エジプトの星座とともに、古代メソポタミアで誕生した黄道12宮(太陽の通る道にそって並んでいる12の星座)も描かれている。また、黄道12宮以外の古代メソポタミア(古代バビロニア)の星座を同定するための重要な図像も描かれていることが近年の研究で明らかになってきた。今回は、エジプト学を専門に研究されている、近藤二郎氏をお招きし、古代エジプトと古代メソポタミアを起源とする星座を紹介いただくとともに、古代の天文学に関してもお話しいただいた。

少年時代はアマチュア天文家

25回目を数える『アレクサンドリア図書館』シリーズ。今回はエジプトで考古学調査をつづけている近藤二郎氏を講師にお招きし、観光地としても有名なデンデラのハトホル神殿にある円形天体図を読み解いていただいた。

ハトホル神殿が建てられたのは絶世の美女と呼ばれていたクレオパトラの時代。クレオパトラというとはるか昔の人といったイメージだが、年表で見ると大ピラミッドの時代よりもむしろ現代に近い時代に生きた人物だということがわかる。
「クレオパトラが自殺したのが紀元前30年。ギザの大ピラミッドが造られたのは紀元前2550年頃ですから、かなり開きがあります」

ちなみに、やはり古代エジプトの代名詞となっているツタンカーメンはクレオパトラから1300年前の人物。これほど長い歴史を持つ古代エジプトではあるが、意外なことに日本では古代エジプト史といった題名のちゃんとした書物は、戦後になってからも編纂されていないという。
「古代エジプトというと、ピラミッドにツタンカーメンにクレオパトラの三題話。もう少し全体像をつかめる本があるといいですね」

近藤氏が古代オリエントの研究を始めたのは学生時代のこと。早稲田大学で古代ギリシアの科学技術史を専門としていた平田寛(ひらたゆたか)先生に師事し、この道に入った。考古学者としてはエジプトでの発掘調査に参加。その後、国費留学生としてカイロ大学に留学、エジプト史を学んだ。

公の顔は考古学者だが、近藤氏自身は「Kondojiro(6144)」という名前が小惑星の名にもなっているほどの、「根っからの天文少年」。1965年に発見された「池谷・関彗星」に魅了され、以来、「彗星や流星の観測をするようになった」。中学生で『日本流星委員会』に入会。1972年にはジャコビニ流星群の観測でシベリアまで遠征。アマチュア天文家として活発に活動していた。
「だけど『日本アマチュア天文史』を開いても、私の観測はひとつしか載っていなかったりした。そこで天文の知識を活かして、自分の専門である古代オリエントやアラビア語の星をどうにかしてみようと始めたのが、古代の天体図や星座などの研究だったんです」

古代エジプトと古代メソポタミア(バビロニア)は「似て非なる世界」

ハトホル神殿の「ハトホル」とは古代エジプトにおける女神。ギリシアではアフロディテと同一視され、ローマ時代にはそれがヴィーナスと呼ばれるようになった。屋根がついた神殿は新しい時代に建てられた証拠。というのも古代エジプトでは新しい神殿を建てるときは、古い神殿の天井などの部材を流用していたからだ。壁にあるのはクレオパトラとその息子のカエサリオン(プトレマイオス15世)の肖像とヒエログリフ(古代エジプトの文字)。そして完成時には、屋上の祠堂の天井に、現在はパリのルーヴル美術館に展示されている円形天体図が描かれていた(現在の神殿ではレプリカを展示)。神殿本体の天井にも天体図が描かれているが、装飾がはっきりと見えるようになったのは10年ほど前からだという。
「デンデラの神殿では内部で火を焚いていたため、長い年月のうちに壁や天井がすべて黒い煤で覆われてしまったんですね。昔はこの煤の除去にはアンモニアを使うしかなかったのですが、最近は保存修復の技術が進歩して、煤をきれいに除去できるようになりました」

この神殿の円形天体図の特徴は、エジプトにありながら、古代エジプト固有の星座とともに古代バビロニア(古代メソポタミア)の星座も一緒に描かれている点。太陽の通り道である黄道には、現代人にもお馴染みの12星座、いわゆる黄道12宮が並んでいるが、これは古代バビロニアで誕生したものだ。実は同じ古代オリエントでもバビロニアとエジプトでは文化や考え方といった点で大きな違いがある。たとえばべストセラーであり、英雄ギルガメシュでさえも死を逃れることはできないと説いた『ギルガメシュ叙事詩』はエジプトでは写本がひとつもない。なぜならばエジプトでは人は永遠の命を持つとされていたからだ。星の観測にしても古代バビロニアの天文学が皆既日食やほうき星など「変化する」ものを記録しているのに対し、エジプトではいっさいそれらの記録がない。
「エジプト人は天体を暦と時間の観測に利用していました。だから変わらないものしか観測しない。根本的に天文学に関する考え方が違うんですね」

ヘレニズム時代につくられた円形天体図

その異質な科学が融合したのがヘレニズム時代。この時代、アリストテレスやユークリッドといったギリシア人学者たちは古代エジプトと古代メソポタミアの科学技術を統合して古代ギリシア科学技術を確立した。一例を挙げるなら、今も使われている「1年365日制」や「24時間制」は古代エジプト、「1時間60分制」は古代メソポタミアの60進法が下地となっている。そうしたヘレニズム時代が生んだ代表的産物が、現在の88星座の中に今も残る「トレミー(プトレマイオス)の48星座」が載っている『アルマゲスト(数学全書「天文学大全」)』だ。

円形天体図の天の北極に位置しているのは「鋤に乗った狼」。それを挟むようにエジプト固有の星座である「カバ」と「牛の足」が位置している。この「牛の足」の正体は北斗七星。この時代の北斗七星は、エジプトでは一晩中見えており、人々はそれを「永遠の星」、「不滅の星」と呼んでいた。同じく重要だったのは、東から昇り西へ沈むまでの間、長く南天の夜空に輝いていたオリオン座の三ツ星とシリウス。これは「疲れを知らない星」と呼ばれていたという。黄道に並んでいるのは、おうし座やしし座などの12星座。しし座というものがあるのは、この頃はまだバビロニアにもライオンが生息していたからだ。古代バビロニアには、『ムルア・ピン』など星座について記された粘土板文書がいくつもあるが、こうした天体図と照合することで、文書のどの星座がどこに位置しているのか同定できるという。今回のセミナーでは、このハトホル神殿の円形天体図をもとに、古代バビロニア星座の最終復元案を資料配布。そこには現代人にも好まれている12星座占いの元となる星座がしっかり描かれている。

近藤氏の「夢」はしっかりした資料と調査をもとに、「古代エジプトの文化がどういったものだったかを解き明かしていくこと」だ。
「誰かの孫引きのようなことはせず、できるだけ元の形に肉薄していきたいですね」

講師紹介

近藤 二郎(こんどう じろう)
近藤 二郎(こんどう じろう)
早稲田大学文学学術院教授・同大学エジプト学研究所所長
早稲田大学第一文学部西洋史専修卒、同大学大学院文学研究科修士課程修了、同博士後期課程満期退学。1976年より、早稲田大学エジプト調査隊の一員としてエジプト各地で発掘に従事。古代エジプト新王国時代の岩窟墓を中心に研究をしている。著書に『ものの始まり50話』(岩波書店)、『エジプトの考古学』(同成社)、『ヒエログリフを愉しむ』(集英社)、『わかってきた星座神話の起源エジプト・ナイルの星座』(誠文堂新光社)、『わかってきた星座神話の起源古代メソポタミアの星座』(誠文堂新光社)、『星の名前のはじまり:アラビアで生まれた星の名称と歴史』(誠文堂新光社)などがある。