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イベントレポート

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2015年12月12日(土)13:30~15:00

亀田 三枝子(かめだ みえこ) /

アロハ フラダンス
~優雅に踊ってリラックスしましょう~

世界中の人々が愛してやまない、美しき島々・ハワイ諸島。そのハワイで踊られている「フラ」は、癒しの音楽とともにゆったり優雅に体を動かすダンス。足腰を鍛え、振り付けを覚えることで頭の体操にもなるため、現在、子どもから年配の方まで多くの人々が楽しんでいる。また、色鮮やかなドレスや飾りを身につけて踊るため、日常とは違う自分を見つけるきっかけにもなるそうだ。

今回は、ハワイのフラコンペティションで入賞し、横浜と小田原でフラの指導者として活躍する亀田三枝子氏をお招きし、前半はフラの歴史、後半は実際にフラを踊ってみるという体験型セミナーを開催。
2つのハワイアンバンドで、ウクレレ奏者として活動中の亀田氏のご主人・亀田昭夫氏も同席され、ウクレレと歌声で会に花を添えた。
当日、会場では、パウスカート(=ギャザーがたっぷり入ったフラの衣装であるスカート)、レイ(=花などを模した、首からかける装飾品)、および髪飾りといった衣装を身につけたd-laboスタッフがお出迎え。ハワイアンミュージックも流れるいつもと違う雰囲気に、参加者も会場入りした瞬間からハワイの雰囲気を楽しんだ。

旅館の女将から「フラ」の指導者となった亀田氏

薄紫のハワイの素敵なドレスをまとい、はっきりとした声で快活に話し始めた亀田氏。
「まずは、この会場の中にハワイの空気を入れたいと思います。みなさんで『アロハ』と大きな声でごあいさつをしましょう。」と、会場の空気を盛り上げるところから始めてくださった。
「アロハ」は、会ったときや、別れるときなどにする、愛情や思いやりが込められたハワイのあいさつ。「ロ」にアクセントを置き、親指と小指を立てて振りながら言うと、本場さながらの雰囲気に。
亀田氏は、神奈川県鎌倉市で生まれ、バレエや日本舞踊を習うなど、小さな頃から体を動かすのが好きだったという。中学2年生のときに東京へ移り、24歳のときに箱根強羅温泉の日本旅館へ嫁ぎ、女将に。旅館には、離れが多くあり、廊下と階段を走り回る生活。
足腰が、非常に鍛えられたという。1985年に旅館を閉館、ご主人の両親とともに小田原市へ移住し、その地で義両親を見送った。そして52歳のとき、「フラ」に出会い、ハワイのフラコンペティションへ参加するほど熱中。それから20年間続けているという。
ハワイの伝統的な踊り「フラ(hula)」。みなさんは、どういう印象をお持ちだろうか。
ココナッツカップや腰蓑(こしみの)をつけ、腰を激しく振る踊りという印象を持っている人も多いのでは。実はこちらは、タヒチ島が発祥の「タヒチアン」の踊りの一つ。「フラ」は、ゆったりとした動きの、癒しの踊りだという。(もともと「フラ」は、ハワイ語で「ダンス」を意味し、日本でよく使われる「フラダンス」は、「ダンスダンス」という意味になってしまうため、厳密には正しくない用法。)
「フラ」は、タヒチ、サモア、およびトンガといったポリネシア地方の踊りと起源を同じくする。11世紀頃、ハワイの自然観、および宗教観などの印象を強く受け「ハワイアンフラ」というものが独自に成立したといわれる。胸を出し、膝を少し曲げて踊り、大腿筋などの日常生活で使わないような筋肉を使うため、体にも非常によい。

「フラ」の歴史的な変遷と発展について

「フラ」には、古典フラ「カヒコ(Kahiko)」と、現代フラ「アウアナ(Auana)」がある。
「カヒコ」は、ハワイの宗教儀式に使われるもので、昔は男性しか踊ることを許されなかった。「イプ」と呼ばれるひょうたん型の打楽器を叩きながら、叙事詩が唱えられ、それに合わせて踊る。ハワイでは長く、この「カヒコ」が踊られていた。しかし、19世紀の初頭、ハワイへ来た宣教師がキリスト教などの西洋文化を普及させた際、「カヒコ」を「淫らで野蛮なもの」と評し、禁止令が出される。
長く表舞台から消えていた「フラ」は、19世紀後半、ハワイ王国のカラカウア大王の尽力により、西洋文化を取り入れる形で復活を果たす。(なお、彼の妹・ハワイ王国最後の女王・リリウオカラニは、フラの名曲とされる「アロハ・オエ」を作曲している。)
そうして成立したのが、現代フラ「アウアナ」。これが、ドレスや花を身につけ踊るといった、私たちがよく知るエンタテイメント性が高い踊りだ。
20世紀に入ると、アメリカのハリウッドで、ハワイを舞台にした映画が多数制作され、英語でハワイの歌を歌うことが流行。打楽器だけでなく、ウクレレ(=もともとは、ポルトガルを起源とし、ハワイで改良された。)、ギター(=農場で牛を育てるために来たカウボーイが持ち込んだ。)、およびスチールギター(=ハワイ独自で生まれたもの。ギターを横に寝かせて弾くような楽器。)などを使用し、ハワイの美しい曲に合わせて演奏されたため、観光の目玉となっていく。

「フラ」は、気持ちを手の動きで表現して踊る

「フラ」は、通常裸足で踊るが、今回は、会場で靴を脱ぎ、d-laboで用意した靴下履きの状態でレッスンを受けた。「フラ」の基本ステップは、上半身はまっすぐな状態で、腰を振るのではなく、下半身のみを体重移動するようなイメージで動かすのだという。手話に 通じる仕草があり、美しい景色や家族・恋人への気持ちを手で表現していく。
基本ステップを教えていただいた後、「月の夜は」および「珊瑚礁の彼方」の詩に合わせた手の動きを学んだ。初めは、周囲を気にしながら踊っていた参加者だったが、何度も繰り返し踊るうちに、次第に手足の動きも様になっていた。
「フラを踊るときに一番大事なのは、笑顔。私もハワイのフラコンぺティションに参加したときは、振りを考えながら笑顔で踊り続けるのがたいへんでした。」と亀田氏は語る。
最初こそは、難しい顔をしていた参加者だったが、やがてじんわり汗をかき始め、亀田氏の軽快なトークにつられ自然と笑顔に。昭夫氏のゆったりとしたウクレレでステップを覚え、その後、少し早めのCDの音楽に合わせて踊ることで、踊りを体へ入れ込んでいった。
セミナー終盤には、亀田氏が「ブルーハワイ」の曲に合わせて「フラ」を披露。美しい音楽と、亀田氏の心へすっと入っていくような優雅で癒される踊りに、参加者一同、見惚れていた。
最後に、夢を叶えるためのメッセージを寄せてくださった。「元気で体を動かしていられるのが一番の夢。だから、週に30分~1時間程度、歩くようにしています。足腰を鍛えておくのが、体にとって一番にいいことだと思っています。」
今回のセミナーで、「フラ」の新しい楽しみ方を見出した人も多いだろう。体を動かす気持ちよさは、いくつになっても変わらない。「フラ」の体験を行なっている施設も多いので、ぜひ新しい楽しみを見つけに足を運んでみてはいかがだろうか。

●「フラ」の基本ステップ
「Kaholo(カホロ)」…両膝を軽く曲げ、腰を落とし、右足を横に1歩出して次に左足は右足につける(足を揃える)。これを2回繰り返す。(左の場合は、反対の動作)
「Kao(カオ)」…片足ずつ交互に体重移動する。腰は振らない。“イチ!”で移動するのではなく、“イ~チ”と緩やかな動きをイメージすることで、腰が後からついてくる。
「Hela(ヘラ)」…両膝を軽く曲げ、腰を落とし、右足を前に出す。踵は上げ、5本の指先は地面につける。右足を前に出したときは、体重は左足にかける(この時、腰の重心も左側にあること)。反対の動作に移るときに、曲げた膝や体の位置が上下しないように注意。
「ami(アミ)」…両膝を軽く曲げ、腰を左、後、右、前、左と体重移動しながら1回転させる。曲げたひざや体の位置が上下しないように注意。(左の場合は、反対の動作)

●「フラ」の手の動き~「月の夜は」から一部抜粋~
「波」…5本の指をやわらかく付けたまま、指先から左、または右へ、45度くらいのところで手首を上下させて揺れる波を表現する。
「ヤシの木」…右手を直角に立て(手のひらは内向き)、甲を上に向けた左手の指先を右手の肘にあて、立てた右手を左右に揺らし、木の葉が揺れる様子を表現。
「あげる」…両手を胸の前で小さく掬って手のひらを上に向け、前に出す。
「場所」…手をまっすぐ上にあげ、もう片方は手の甲を上にした状態から手を返しつつ、横に開く。
「風」…手を斜め上にあげ、もう片方は頭上で1回転(または2回転)させる
「花」…下を向いた手のひらを返して上に向け、指先をすぼめて百合の花のように長細くする。
「夢」…両手のひらを合わせて顔の左右どちらかにつける

●「フラ」の注意点
・音楽が始まるのを待っているときは、右足を少し前に出し、まっすぐ立って待つこと。
・常に笑顔でいること。

文・河田 良子

講師紹介

亀田 三枝子(かめだ みえこ)
亀田 三枝子(かめだ みえこ)

神奈川県鎌倉市出身。1967年に結婚し、箱根強羅温泉の旅館の女将になる。
1985年、旅館を閉館し、小田原へ移住。1996年、鎌倉でフラを習い始める。2000年、2002年の2回ハワイ、オアフ島で開催されるキングカメハメハ、フラコンぺティションに日本のグループの一員として参加し、入賞。現在横浜と小田原でフラを指導し、2つのハワイアンバンドでフラ、ボーカル、キーボードを演奏。