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イベントレポート

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2016年1月27日(水)19:30~21:00

菅原 敏、長谷川 裕也 /  

「菅原敏の職業図鑑」
第2回ゲスト:長谷川 裕也氏(靴磨き職人・「Brift H」代表)

WEBメディア「roomie」にて連載中の「菅原敏の職業図鑑」のスピンオフ・イベントが、月に一度d-laboでスタート。詩人の菅原敏さんが、毎回さまざまな分野のスペシャリストを招き、その仕事と生き方を紐解いていく。第2回のゲストは、東京・青山に「Brift H(ブリフトアッシュ)」をオープンし、日本の足元に革命を起こすシューシャイナー(靴磨き職人)の長谷川裕也さん。経営者として、職人として、靴に込めた想いなど、WEB記事とはひと味違ったことをお話しいただいた。また、長谷川さんによる靴磨きのコツや、音楽をバックにした靴磨きのデモンストレーションも披露していただいた。

《WEB連載中》菅原敏の職業図鑑

起業を目指して東京駅で「路上デビュー」

第2回となる『菅原敏の職業図鑑』のゲストは、「日本の足元に革命を」をスローガンに青山の骨董通りで靴磨き専門ショップ「Brift H(ブリフトアッシュ)」を経営している靴磨き職人の長谷川裕也氏。「靴磨き」というと「路上でおじちゃんやおばちゃんがやっている」というのがこれまでのイメージ。今回は、実際、自身のスタートも路上からだったという長谷川氏に、どうして靴磨き職人になったのか、そこへ至る道程やその目指すところなどを、菅原氏とのトークセッションという形で、実演を交えながらお話しいただいた。
現在31歳という経営者としてもまだ若手の長谷川氏。商業高校を卒業した後の就職先は、千葉県内の製鉄所。ただし父親が店舗経営をしていた影響もあってか、「いつかは自分でも会社を持ちたいと願っていました」という。工場内では作業長を目指して努力の日々。そんなときに出会ったのが、社外から原料を運んで来る「サーファー風のお兄さん」だった。
「いつもえらそうに命令してくるんで近寄り難かったのですが、あるときその人が休憩所で、大学の通信課程で学ぶ経営学の教科書を開いているのを見たんです」
話しかけると「昔ワーキングホリデーで、オーストラリアに行って身につけた英語を生かして貿易会社を開こうと思っている」という答えが返ってきた。まだ10代の長谷川氏には、そう話す相手が「キラキラして」見えた。
「あれが僕にとっての人生のターニングポイント。自分も海外に出てみたいと、夜勤が明けたその朝に英会話教室に入会していました」
しばらくして製鉄所を飛び出し完全歩合制の英会話教材の営業に転職。ここでは10代で役職に。が、反動によるスランプや働き過ぎが原因の体調不良で退社を余儀なくされる。
「で、それを辞めたところで思いついたのが靴磨きだったんです」
靴磨きを始めた理由は「貯金がなくなって日銭を稼ぎたかったから」。他に金券ショップ関係の仕事や路上での「肩もみ」なども考えたが、最後は営業時代から個人的に好きだった「靴磨き」を選んだ。100円ショップで道具を購入。東京駅の丸の内北口で「路上デビュー」を果たした。1年間は次の就職先に決まった洋服店で店員をしながら、行ける日には東京駅通い。その後、品川駅に場所を変えてからは毎週水曜日と決めて靴磨きをつづけた。

「靴磨きのイメージを変える」ために青山にショップを開店

「品川では曜日を決めたせいか、リピーターのお客さんに恵まれました。やっぱり路上では、決まった時間にちゃんといるっていうのが大事なんです」
靴磨きの顧客は企業の社長や役員など地位のある人たちが多かった。品川で始めたときは、すぐ横のビルのオーナーに「自分も靴磨きから商売を始めたんだよ」と励まされたりもした。まだ20歳を越えたばかりの人間にとって路上での靴磨きは仕事であると同時に勉強の場でもあった。そうしている間に独学で技術を向上させ、靴磨き専門のウェブサイトを立ち上げたり、「靴磨きで日本に革命を起こす」という夢を抱くようになった。また固定客の中には会社や自宅への出張サービスを希望する人も現われた。「靴磨き」という仕事にはビジネスチャンスがある。それを確信し、勤めていたアパレルショップを退職。いよいよ靴磨き専門で生きていくことにした。
「23歳のときでしたね。若年起業家向けの国の融資制度を利用して青山に『ブリフトアッシュ』を開店しました」
起業にあたり、店の場所は最初から青山と決めていた。「革命」を起こすには「靴磨きのイメージ」を変えなくてはならない。そのためにはビジネス街ではなく、ファッションの街に店を出す必要があった。オープンしたショップは青山のイメージに合った洗練されたもの。ここを起点に、現在は本業の靴磨きのほか、グッズの販売、メディアへの取材対応、セミナーなどを通じての啓蒙活動などを展開中。店舗は、本店のほか、同じ骨董通りのセレクトショップ内に支店を、また札幌にフランチャイズ店を1軒、計3店舗運営している。目指しているのは「靴磨き職人」の社会的地位の向上とニューヨークなど海外への進出だ。路上から始まって海外へ。菅原氏の目には、そうした長谷川氏の姿が「どこかミュージシャンなどと重なって見える」という。

みんながぴかぴかの靴を履いたら日本は変わる

後半では菅原氏が「靴にまつわる詩」を朗読。そのあとは参加者の靴をお借りして長谷川氏に「靴磨きの実演」をお願いした。
「靴磨きは月に一度くらいするといいです」と長谷川氏。まずは靴紐を外しての汚れ落としから。馬のたてがみでできたブラシで埃を除き、クリーナーと布で汚れを落とす。よく似ているのは「女性のお化粧」。汚れを落として革を「すっぴん」にしたあとは、栄養クリームを素手で塗る。ポイントは「革の中にクリームが浸透して潤うように塗る」こと。素手で塗るのは、布を使うとクリームが靴ではなく布に染み込んでしまうからだ。塗ってからはさらに、猪豚のブラシで「しっかりブラッシング」。ここまでが「靴を長持ちさせるため」の「汚れ落とし」と「栄養補給」。いわゆる「シューケア」という言われる作業だ。プロの技はこのあとの「シューシャイン=靴磨き」。靴を光らせるためにワックスを指ですくって「鏡面磨き」を行なう。塗る箇所は「爪先」と「踵」。靴屋に行けばわかるが、革靴というのは、芯の入っている爪先と踵が光っているのが常。なので、その2か所を中心にワックスを優しく塗り込む。それから柔らかいネル生地を水に湿らせて磨く。これを幾度か繰り返すうちに光沢が出てくる。ゴールの目安は「鏡面磨き」というだけあって「靴に自分の顔が映るくらい」。
「もちろん、靴の種類や個人の好みによってどこまで光らせるかは変わりますが、靴がピカピカになるとみなさん背筋が伸びます」
靴磨きをしているとわかるのは、磨く前と磨いたあとの相手の変化だ。ピカピカの靴はそれを履く人間に自信を与えてくれる。
「ビジネスマンがみんなピカピカの靴を履いたら日本は変わります。だから僕は足元から日本に革命を起こしたいと言っているんです」
そう語る長谷川氏の夢は「靴磨き職人」を子どもが憧れるような職業にすることだ。
「クラスに2人か3人、将来は靴磨き職人になりたいと言う子どもがいたらいい。そのためにいろんなことをやっていきたいと思います」

講師紹介

菅原 敏、長谷川 裕也
菅原 敏、長谷川 裕也
 
菅原 敏(すがわら びん)
詩人
アメリカの出版社PRE/POSTより、詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。新聞や雑誌への寄稿・連載執筆のかたわら、スターバックスやビームスなど異業種とのコラボ、ラジオやTVでの朗読、デパートの館内放送ジャックなど、詩を広く表現する活動を続けている。Superflyへの作詞提供や、メディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術館でのインスタレーションなど、アートや音楽との接点も多い。

長谷川 裕也(はせがわ ゆうや)
靴磨き職人・「Brift H」代表
“日本の足元に革命を”と、東京・青山に「Brift H」(ブリフトアッシュ)をオープン。靴磨きの高い技術はもちろんBARのごときカウンター越しにシャンペンを振る舞い、会話をしながら磨くという新しいスタイルを打ち出す。彼を慕うシューシャイナー(靴磨き職人)の集団と、足元に革命を起こしている。