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イベントレポート

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2016年2月16日(火)19:00~21:00

栗瀬 裕太(くりせ ゆうた) / BMX・MTBライダー

一文無しライダーの挑戦
~たった一人での自転車競技場建設~

BMXとは「バイシクルモトクロス」の略。20インチ以下の小径タイヤの自転車で400メートルのダートコースを走る競技には、速さを競いあう「レース」と、ジャンプなどの技を競う「フリースタイル」の2種目がある。講師の栗瀬裕太氏は、このBMX競技ではレースとフリースタイルの中のダートジャンプに、また同じダートを走るマウンテンバイク競技でも3種目に参戦している「マルチプロライダー」。その栗瀬氏が日本初となる「オリンピックレベル」のコース『YBP(八ヶ岳バイシクルパーク)』造りに着手したのは2011年のこと。一選手であった栗瀬氏がどうして自らコースを造ったのか。講師本人にその経緯とそこに賭けた思いを振り返っていただいた。

日本でもBMXを盛り上げたい

大阪出身の栗瀬氏が自転車競技と出会ったのは幼い頃。小学1年生のときに「ポケバイやスケートボードなど多趣味な父親」からマウンテンバイクを買ってもらったのが始まりだったという。BMXのショーなどがあると「いつも最前列で見ていました」。トップスターたちの大ジャンプやバックフリップ(宙返り)を見ては「いつかは自分もプロライダーになりたい」と思うようになったという。
「で、自分でもBMX競技を始めたんですけど、小学生の頃はいつもびりっけつ。予選を通過できずに泣いていました」
悔しくて自宅の裏の空き地に自力でコースを造って練習をつづけた。結果が出たのは中学時代。マウンテンバイクの大会で注目されプロライダーとなる。10代で本場アメリカへと遠征。帰国後は4クロス競技の初代全日本チャンピオンに。世界大会にも4年連続で出場。2004年、22歳のときにはイギリスのショーイベントでフリースタイルの3位を獲得する。選手としてはまさに絶頂。誰もが「裕太はこのまま海外で活躍するだろう」と思っていたが、本人は「少し違っていた」という。
「アメリカやイギリスではBMXもマウンテンバイクもメジャースポーツとして認知されている。僕自身は自分が選手として活躍するのも大事だけれど、なんとかして日本でもこうしたスポーツを盛り上げたいと思ったんです」

痛感した世界との差、たったひとりでコース建設へ

そこで選んだ道はコースのプロデュース。選手としてレースを転戦しながら、長野県の富士見パノラマスキー場でフィールドアドバイザーとして活動。初心者用のマウンテンバイクのコースを造り、ダート競技の普及に努めることとなる。
「だけど一方では、世界レベルのコースの必要性を感じてもいました」
それを「痛感させられた」のが2008年に開催された北京オリンピックだった。北京オリンピックではBMXやマウンテンバイクが初めてオリンピック種目に選ばれた。前年に開かれたワールドカップはその前哨戦。代表選手としてそこに遠征した栗瀬氏は「コースの違い」に「衝撃」を受ける。
待っていたのは世界のトップ選手たちとの差だった。世界トップ選手たちは、全速力で8mスタートヒルを降りていくのに対して、自分たち日本選手は、怖くて漕げず、ただ降りるしかなかった。「このままではいけない」と思った。その思いが帰国後の栗瀬氏を「たった1人での自転車競技場建設」へと走らせることとなった。

日本に戻った栗瀬氏は6年間アドバイザーを勤めた富士見パノラマリゾートを退社。その近くの八ヶ岳周辺で土地さがしを始める。が、「関西弁を話す20代の若造」に土地や造成に必要な重機を貸す人はなかなかいない。あきらめずに行動した結果、辿り着いたのは北杜市の財産区である植林地内のテニスコート跡地。後押ししてくれた「地元の地域振興課の課長さんや管理者の区長さんたち」、また古巣の富士見パノラマスキー場の協力や理解を得て、なんとかその土地や工事用のミニユンボを借りることができた。森の木はそれを必要としている県内の業者が無償で伐採してくれた。とはいえ状況はぎりぎり。1年目の土地の賃借料は偶然入って来た「テレビCMのスタント」の出演料でどうにか支払ったが、「生活費はゼロ」。食事は「カップラーメンを1日1食」。電気やガスも止まり、「水シャワーを浴びて」毎日を凌いだ。
「でも、不思議と後悔はありませんでした。自分が20年つづけてきたこのスポーツを何とか次の世代につなげたい。そう思うと貧困生活も意味があると信じることができたんです」

どんなにピンチになっても成功した絵を頭に描く

吹雪の中でも重機で木の根や石を片付け、建設残土でコースを造成。肝心のスタート台はクラウドファウンディングで資金を集めた。「実はそれでも全然予算不足」であったというスタート台だったが、活動を見守ってくれていた地域の建築士や工務店の力添えで完成。土地さがしから始まって「ミラクルの連続」だったというコース造りは2年を経てオープンの日を迎えることとなる。
目の前に出来上がったのはロンドンオリンピック基準の8メートルのスタート台。トップライダーを10名集めた完成式では自らが試走。走ってみたコースは「感動して泣き崩れるかと思ったらこわすぎてそれどころじゃなかった」。
「やっぱり世界はすごいなって自分で造ったコースで実感しました」
この1週間後には「2020年東京オリンピックの決定」という「ミラクル」がまたも発生。これによりスポンサーがつくという幸運も巡ってくる。その後は地元の小学生たちからの要望から初心者用コースを併設。オープンした翌年の2014年には北京オリンピックの銅メダリストであるドニー・ロビンソンをはじめ世界のトップライダーが集まるショーイベントを開催。日本では誰も見たことがない大ジャンプには大人も子供も大興奮だったという。
たったひとりの状態から多くの人の協力を得て本当に世界レベルのコースを造った栗瀬氏。必死だった2年間は「どんなにピンチになっても成功したときのイメージを頭に描くこと」で乗り切ってきたという。
コース造りという「夢」を達成した今、「次の夢」は「3つあります」。
「このコースを通してより多くの人にBMXの素晴らしさを知ってもらうこと。それと地元の北杜市の子供たちの中から全日本チャンピオンを輩出すること。そして何よりもオリンピックの練習ができるこのコースを維持していくこと。今はそれが夢ですね」

講師紹介

栗瀬 裕太(くりせ ゆうた)
栗瀬 裕太(くりせ ゆうた)
BMX・MTBライダー
BMX(レース、ダートジャンプ)/ MTB(ダウンヒル、4クロス、ダートジャンプ)の5つの競技ライダー。国内では唯一のレースとフリースタイル競技の双方でトップカテゴリーに属するライダー。20歳で初代4クロス日本チャンピオン、同種目で4年連続世界選手権出場。