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イベントレポート

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2016年4月16日(土)13:30~15:00

長坂 潔曉、飯冨 孔明 /

能×農 拍子が生まれる時
~暮らしの中にあった拍子をみつける~

安東米店の店主・長坂潔曉(ながさかきよあき)氏、ならびに能楽師大倉流小鼓方・飯冨孔明(いいとみよしあき)氏。今回のセミナーは、米屋と能楽師という、一見、つながりがなさそうなお二人を講師にお招きして、開催された。
米屋というと、一般的には米を売っているだけという印象がある。しかし長坂氏は、農家と一緒に稲作に取り組んでみたり、炊飯技術を研究したりと、田んぼで米が作られるところから、お茶碗でご飯をいただくまで、おいしいご飯を提供するための新しい方法を模索している。
また、日本の代表的な古典芸能であり、固く難解なイメージがある能楽で囃子方(音楽)を担当する飯冨氏は、"T.M.Revolution"の武道館ライブの前座を務めるなど、ジャンルの枠にとらわれない、幅広い活躍を見せている。
「能」と「農」には、読みが同じだけでなく、実は昔の生活の中に源流があり、強い結びつきがある。「能」がなぜ生まれたのか。今回は、能楽の起源や、昔の稲作についてのお話をうかがいながら、当時の農作業や、能の中にある拍子(リズム)を実際に体験し、「能×農」を考えるための、ワークショップ型のセミナーが行なわれた。

「能」の原型は、五穀豊穣への祈り

二人でタッグを組んだのは、2013年にフランスで行なわれた「能フェスティバル」がきっかけ。長坂氏は、同イベントのレセプションにおいて、羽釜でご飯を炊くというプロジェクトに参加したのだという。また、「シズオカ×カンヌウィーク2015」の登呂遺跡会場では、野外の能舞台が設置され、長坂氏は舞台挨拶として2000年前の登呂における水田稲作のお話をなさったそうだ。当時の長坂氏には、能の知識がまったくなかったのだとか。
「実は、祖父が鼓を持っているんです。子どもの頃、それを打って遊んでいたことがあり、なぜ、祖父は鼓を持っているのだろうと思っていました。『能』と『農』のつながりを知った今、その理由が少しわかった気がしています。」
能には、「翁(おきな)」という演目がある。現代に伝わる200前後の演目の中で「能にして能にあらず」と言われており、能の原型とされている。千歳(せんざい)・翁・三番叟(さんばそう)の3役が順に舞っていく。最初に、千歳役が地ならしをし、五穀豊穣を祈る。次に、シテ(主人公)の翁が「祝の舞」を舞い、最後に三番叟が鈴を鳴らしながら舞うシーンがある。これは、田植えが原型となっており、お米をいただくことで人は生命の源を得ていくということ、お米を作る大切さを忘れないでほしいという農家の願いが込められた演目なのだという。
飯冨氏は、普段、舞台の上でまず見ることがない、小鼓の内部を見せてくれた。やわらかい音が出せるよう、仔馬の皮が貼ってあり、小鼓の胴部分には、装飾(蒔絵)が施されている。大きな根(=大きな音)になるようにという願いをこめ、カブやダイコンをモチーフにしたものが多いそうだ。胴は、桜の木を切り抜いたもので作られており、内部に使用される馬の、食用肉を別名で桜と呼ぶことからも“桜同士”となる。文字どおり「馬が合う」のだ。半永久的に使えると言われ、飯富氏が持っているのは40年くらい前のものもあるし、元禄時代のものまである。飯富氏の師匠は、室町時代のものを所持しているのだとか。
「小鼓は、使えば使うほど輝きが増すと言われ、時代ものだからといって美術館などに展示していると、状態が悪くなってしまいます。自分の命より大事なもので、どんなことがあろうとも、真っ先にこれを持って逃げろと、先祖代々受け継がれてきています。」
小鼓は、大事に大事に育てられて使われるので女性的。大鼓は、10回ほど使うと皮が駄目になってしまい、馬車馬のように働かされることから男性的と言われている。

「能」と「農」が交わるところを体験してみる

水田稲作が大陸から伝来したのは、今から約2000年前。当時は、家を建てる、狩猟をする、お米を作るなど、生活に必要なことはすべて自分たちの手で行なっていた。今回のセミナーには、現代ではほとんどが機械化・自動化された作業を実際に体験するワークショップも組み込まれていた。
まずは、農具・鍬(くわ。土を耕すための農具)や、箕(み。収穫したものを振るい分けるのに使用)を振るってみる。会場に持ち込まれたのは、長坂氏が田んぼで現役で使っている農具。年配の方の中には、「小さい頃、ふるっていた」「農家だからやったことがある」という声も聞かれたが、若い世代は、触るのも初めてという人が多い。持ってみると、重く、コントロールもしにくい。
次に、杵(きね)を搗いてみる。長坂氏は、以前、籾(もみ)が付いたままの米から杵を搗いて、普段自分たちがいただいているお米にまで精米するというワークショップをやったことがあるそうだ。しかし、3時間杵を搗き続けても、それらしいものにならなかったという。
「果てのない作業に、次第に誰からともなく、手拍子がぽつぽつと起こり始めました。これが、まさに農からお囃子、つまり原初の能が生まれるところなのです。」
ここで、小鼓を打つ練習に移る。小鼓は2丁用意されていたが、参加者全員には行き渡らないので、手を使った誰でもできる方法を伝授してくれた。左手をグーにして、右手をパーにして、左手のこぶしを小鼓に見立ててそのまま右肩へ。右手を膝まで下ろし、左手を打つ。「ツ・ホォ」「ツ・ヨォ」。掛け声があれば、目を閉じていても全員の息を合わすことができる。
実際に、小鼓を打たせてもらった。打ってみると、パスパスとした紙を叩くような音しか出ず、なかなか小鼓らしい音は出ない。想像以上に技が必要だということがわかる。「指をやわらかくして、後ろに音を抜けさせるようなイメージで打ってください」と教えられるが、それでもなかなか難しい。
最後に、小鼓を打つグループと、田植えをするグループに分かれる。もちろん、d-labo会場内に本物の苗を持ち込むことはできないので、長坂氏が紙粘土と紙紐で制作したものを使用し、田植えの所作を体験した。「ツ・ヨォ・ホォ・ツ・ヨォ・ホォ」。初めこそリズムに合わせて打つのが精一杯で、難しい顔をしていた参加者だが、だんだん楽しげな表情にと変わってくる。古(いにしえ)の田植えも、このように楽しそうな雰囲気だったのかもしれない。能楽は、まさに「日本人が忘れてしまった大切なものを、もう一度、思い起こしてくれるもの」だということを、強く感じた。

「能」について、日本人なら説明できるようになって欲しい

最後にお二人に、夢について語ってもらった。
飯冨氏は、3歳から能楽師であった父に付き、能楽を始める。そして、6歳のときには、「お父さん」ではなく、「先生」と呼ぶようになっていた。しかし、能楽師になるつもりはなく、フランスへ留学。そこで現地の日本人から、「着物の着方、わかる?」「歌舞伎の説明できる?」と言われる。
「日本人が、伝統芸能の説明ができないことに、ショックを受けました。そして、そのとき初めて、自分は恵まれた環境にあったのだということに気づいたのです。今後も、能についての周知活動を行ない、多くの日本人が能の説明ができるような、そんな国になったらと思っています。」
長坂氏も、実家の米屋の仕事が嫌で、美術関係学校へ進学。「自分も外に出て初めて、家の仕事を客観的に見つめ、米屋って実は素晴らしい仕事なのではないかと気づいたのです。」
お米の粒については知っていても、どうやって作られるようになったかなど、その背景はまったく知らなかったのだという。
ヨーロッパでは、田園がずっと連なり、美しくのどかな田園風景を形成している。それに比べて、日本の街並みは、さまざまなデザインの家の合間に、工場、畑、商業地などが混在し、まさにカオス状態。しかし、少ない面積の土地でも、お米や野菜がきちんと育つ肥沃な土地でもある。
「日本では、そんな雑多なものを背景に、さまざまな食や文化が生まれてきました。これらを、身近な形でみなさんに知ってもらえるような機会が作れたらと長く思っていました。そして、今、ようやく、こういったワークショップを通じて、実現しつつあります。」
また、炊飯の技術は、1500年ほどかけて日本で生まれた技術であることから、長坂氏はこう語る。
「お米の粒は、平和をもたらしてくれる粒のような気がしています。国を越えて、文化を越えて、先人たちが築いてきたものを誰にでもわかりやすい形で伝えていくことが、私の夢というか使命なのかなと思っています。」

今回のセミナーを通して、とっつきにくく、堅いイメージがあった能楽が、実は、私たちが毎日食べているお米と密接なつながりがあることがわかった。能楽には、静岡の人に関わりが深い羽衣伝説をモチーフにした「羽衣」という演目がある。三保の松原、愛鷹山、富士の高嶺など、静岡の名所がいろいろ出てくるそうだ。静岡市内では、上演される機会も比較的多いので、ぜひとも能楽鑑賞へと足を運んでみて欲しい。文・河田 良子

講師紹介

長坂 潔曉、飯冨 孔明
長坂 潔曉、飯冨 孔明

長坂 潔曉(ながさか きよあき)
安東米店店主
1963年生まれ、88年武蔵野美術大学卒業。90年家業の安東米店に入店。2004年五ッ星お米マイスターを取得。2007年巨大胚芽米カミアカリのための勉強会カミアカリドリーム発足。2013年フランスシャンパーニュ地方で行われた能イベントに参加、カミアカリを羽釜で炊く。「田圃からお茶碗まで」をテーマに、栽培~販売~炊飯までのすべてに関わる米屋のあり方を模索している。

飯冨 孔明(いいとみ よしあき)
能楽師大倉流小鼓方
1987年生まれ、福岡県出身。同流、飯冨章宏(いいとみあきひろ)の長男。大倉流小鼓方十六世宗家大倉源次郎に師事。2015年に大曲「石橋」「猩々乱」「道成寺」を披演。2011年にはT.M.Revolutionの武道館ライブで前座を勤めた