スルガ銀行 Dバンク支店

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2016年5月24日(火)19:30~21:00

菅原 敏、稲葉基大 /  

「菅原敏の職業図鑑」第5回 ゲスト:稲葉基大(和菓子職人・wagashi asobi)

詩人の菅原敏さんが、毎月さまざまな分野のスペシャリストを招き、その仕事と日々の暮らしを紐解いていくトークイベント「菅原敏の職業図鑑」。
第5回の今回は和菓子職人として活躍する稲葉基大氏をゲストに迎えた。和菓子創作ユニット「wagashi asobi」として東京都大田区上池台のアトリエを拠点に国内、海外と幅広く活躍している稲葉氏。老舗和菓子店でのニューヨーク勤務時代のことや、「ドライフルーツの羊羹」と「ハーブのらくがん」の二種類のみを作り続けるこだわり、和菓子で叶えたい夢など、その活動の過去・現在・未来をお話しいただいた。また、らくがん作りのデモンストレーションも披露していただいた。

「志ゼロ」で和菓子職人の道に

第5回となる『菅原敏の職業図鑑』。ゲストは和菓子職人の稲葉基大氏。今回は単なる和菓子作りにとどまらず、和菓子創作ユニット「wagashi asobi(ワガシアソビ)」の活動を通じてさまざまな企業とコラボレーション、海外にも活躍の場を広げている稲葉氏に、修業時代や現在の仕事についてお話を伺った。セミナー後半では恒例となっている「詩の朗読」に加え、らくがん作りのデモンストレーションも実施。会場を埋め尽くした参加者に和菓子作りの魅力に触れていただいた。

トークイベントの冒頭は稲葉氏のプロフィール紹介。ニューヨーク勤務6年を含む老舗和菓子店での20年間にわたる修業。その後は独立。現在は東急池上線の長原駅近くにショップを兼ねたアトリエを構え、精力的に和菓子の魅力を発信している稲葉氏。しかし、もともとのところを遡ってみると、和菓子職人という職業は消去法から始まった選択だったという。

「きっかけとなったのは都立の園芸高校に入ったこと。僕は中学の頃に遊び過ぎて、進学先が定時制か工業高校か園芸高校の3つしかなかったんですね。それで、入ったのが園芸高校の食品化学科だったんです」

学校ではハムや味噌、パン、和菓子などを実習で作った。自分では将来はパン職人になるつもりだった。それが、いざ就職を迎えてみると「パン職人は朝は早いし給料は安いし、休みがないし、離職率も高い」ということに気付き、老舗の和菓子店に入ることにした。

「高い志などはゼロ。入社式の日も配属先が会社が経営しているあんみつ屋の厨房と知って、やめたいと上司に言ったくらいでした」

それでもしばらくはあんみつ屋の厨房で耐えた。やっと生菓子が作れるようになったのは3年後。だが、やりたいと思っていた職人の仕事は「毎日伝票に追われて作りきれない数の菓子をひたすら作るだけ」。何かが違う、「逃げたい」と思う日々がつづいた。

和菓子の新しい可能性を求めて

そんな頃に出会ったのがヒップホップだった。大好きな音楽を聴いているうちに、「本場のニューヨークに渡ってヒップホッパーになろう」という思いを抱くようになった。幸いなことに会社にはニューヨーク支店があった。希望を出すと「通ってしまった」。ここから6年間のニューヨーク生活が始まった。

「だけど、ヒップホップのフェスやクラブに行って人に会うと、結局、〈僕は日本から和菓子というフードカルチャーを伝えに来ました〉といった挨拶になっちゃうんですね。向こうから見ると日本人でしかないんです」

同時に痛感したのが「日本や和菓子のことを質問されても答えられない自分」だった。
和菓子を語るには日本の文化を知らなくてはいけない。それも「十知っていて一答えるくらいの余裕がなきゃいけない」と、そう気付いて和菓子の勉強を始めた。

「たとえば鶯の形のお菓子を作る。何で鶯の形にするの、と訊かれたとき、鶯という鳥は日本人にとって春を告げる鳥で、梅の花と組み合わせたり、歌とかに詠んでその世界を楽しむんだよ、といったストーリーを伝えると、アメリカの人にも納得してもらえるんですね」

勉強は帰国してからもつづいた。現場で伝統的な和菓子を作りながら、アートイベントなどに参加しては自分の作った和菓子を人に食べてもらうという活動を行なった。「wagashi asobi」というネーミングも、実はそこから生まれたものだったという。

「僕は副業禁止のサラリーマン職人でしたから、イベントなどに和菓子を持って行っても売ることができなかった。だから、自己紹介するときは、和菓子で遊んでいる稲葉です、と名乗っていたんです」

独立の契機となったのは「好きだったカフェの閉店」。オーナーがハワイに移住すると聞き、会社を辞めて店を居抜きで借りることにした。同じ和菓子職人である浅野理生氏と、それぞれが創作した「ハーブのらくがん」と「ドライフルーツの羊羹」を販売。「商店街の小さな和菓子屋」を目指しながら、和菓子をたんに「作って・売って・買って・食べて」という商品ではない、もっと可能性を持ったものと位置づけて、これまでにさまざまな活動に取り組んできた。ここで紹介したのはヴァンクリーフ&アーペルやシャネル、クロムハーツなどのリクエストに応えて作った和菓子。ロゴやアクセサリーをモチーフに作った創作和菓子からは「新しい可能性を探る」という「wagashi asobi」のコンセプトが伝わってくる。一方、国内外問わず展開しているワークショップでは「旅するひよこ」という小さな餅菓子を作っている。これは「修業時代にパリでひよこのお菓子を作ったのが始まり」。

「そのときはちょうどイースターの翌週だったので、先週の卵がひよこになったんだよ、という意味を込めました。日本には季節の流れを楽しんで、それをお菓子にして食べちゃうカルチャーがあるんだよ、というメッセージを込めています」

普段は朝4時に起きて和菓子作りをしている稲葉氏。店を構えている長原駅周辺は「ここは東京なのか、といった素朴な町」だ。しかし、顧客の中には噂を聞いて海外からわざわざ来てくれる人もいるという。

文化としての和菓子が世界に伝われば……

後半は「詩の朗読」。今回は菅原氏が「詩をまちに連れ出して」をテーマに、東京芸術大学が発行するタイポグラフィー誌『MOZ』に掲載した詩を二編朗読。また、先月、初の著作となる『わがしごと』を上梓した稲葉氏にも本のなかに収録した詩を読んでいただいた。最後は稲葉氏によるらくがん作り。ローズマリーやハイビスカス、カモミール、抹茶、苺などの香りで知られている「wagashi asobi」のらくがんを、このイベントではアールグレイの紅茶で作っていただいた。材料は砂糖と茶葉と寒梅粉。稲葉氏のらくがんは「ほろほろと口の中でほどけてゆくのがいいですね」と菅原氏。らくがんは「出来上がったときの口溶け」が大事。稲葉氏もそれを意識して素材となる砂糖を選んでいるという。

稲葉氏の「夢」は「wagashi asobi」のらくがんと羊羹を「長原の町の銘菓として認めてもらうこと」だ。

「あと、面白半分で言うなら、パリのパティシエやショコラティエさんたちが、自分の作ったものを、これが俺の和菓子だよ、と言ってくれるようになれば……そんな文化としての和菓子が伝わるといいなと思っています」

講師紹介

菅原 敏、稲葉基大
菅原 敏、稲葉基大
 
菅原 敏(すがわら びん)
詩人
アメリカの出版社PRE/POSTより、詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。新聞や雑誌への寄稿・連載執筆のかたわら、スターバックスやビームスなど異業種とのコラボ、ラジオやTVでの朗読、デパートの館内放送ジャックなど、詩を広く表現する活動を続けている。Superflyへの作詞提供や、メディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術館でのインスタレーションなど、アートや音楽との接点も多い。

稲葉 基大(いなば もとひろ)
和菓子職人
ニューヨーク勤務6年間を含む20年間の老舗和菓子店での修行を経て独立。創作和菓子ユニット「wagashi asobi」のメンバーとして「作って・売って・買って・食べて…」という商品で終わってしまう物ではなく、もっと面白い和菓子の新たな可能性を探るため、さまざまなフィールドで〈wagashi〉を介して〈asobi〉という活動を展開。東京都大田区上池台に構えたアトリエを拠点に、首都圏を中心に国内だけでなくニューヨークやパリなど海外にも活動の「和」を広げている。2016年4月、 「wagashi asobi」として初の著作となる『わがしごと』(コトノハ)をリリース。
http://wagashiasobi.wordpress.com