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イベントレポート

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2016年6月14日(火)19:00~21:00

加治 将一(かじ まさかず) / 作家・自己啓発セラピスト

龍馬暗殺の真犯人はこの男だ!

「人は、偽装された世界を認識しているだけである」これが作家、加治将一氏の世界観だ。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『西郷の貌』『幕末 戦慄の絆』などで、さまざまな“歴史のタブー”に光をあて、本を出版しているベストセラー作家、加治氏。そんな加治氏が今回、「一緒に酒を飲みたい歴史上の人物」No.1の坂本龍馬に迫る。一介の下級武士が、なぜ藩主と会えたのか?船中八策で示したような英国流議会制度などは誰に習ったのか?あれほど頻繁に移動できた費用は誰が出したのか?数々の謎を剥ぎ取り、龍馬の実像を分かりやすくお話しいただいた。
また今回は、劇団「加治アクターズ」により、龍馬暗殺現場の決定的瞬間をリアルに再現。参加者には、寸劇を鑑賞しながら一緒に真犯人を特定する名探偵となっていただいた。面白くてタメになる興奮の時空。隠された日本史の闇について迫る時間となった。

「漠然としたイメージ」から離れて「龍馬暗殺」を考えてみる

今回のテーマは「坂本龍馬暗殺」。『龍馬の黒幕』、『幕末 維新の暗号』などの著者を持つ加治将一氏を講師にお招きし、いまだ謎に満ちている坂本龍馬暗殺の真相に迫っていただいた。 冒頭、加治氏が触れたのは、暗記教育がそうさせたという「日本人の弱点」。

「本題に入る前に、我々は漠然としたイメージの中で暮らしている、ということをみなさんに知っていただきたいと思います」

たとえば、アメリカで銃の乱射が起きたりすると日本人は「拳銃は怖い」と思う。

「だけど考えてみてください。日本では交通事故で毎日50人の人が死んでいる。ピストルよりも自動車の方がずっと怖いんです」

その自動車事故での死亡者数も日本では「24時間以内に亡くなった人」までしかカウントしていないが、欧米のようにそれ以後の死亡者も含めれば死者数は倍近くに膨れあがる。加治氏はこれを「情報操作」と断じる。

「だから私たちは、どの情報を信じたらいいか、組み合わせて自分なりの判断をしていく必要があります」

このセミナーでは、人々がとらわれているこうした「漠然としたイメージ」から一歩抜け出し、参加者全員が「名探偵」となって「坂本龍馬暗殺の下手人が誰か」について考えるのが主旨。そこでまず、これまで唱えられてきた説を講師とともに検証してみた。

坂本龍馬が暗殺されたのは、鳥羽伏見の戦いを翌月に控えた慶応3年(1867年)の12月10日(旧暦11月15日)。この日の夜、坂本龍馬は陸援隊の隊長である中岡慎太郎とともに京都河原町の近江屋の2階にいるところを何者かによって襲われ死亡した。犯人は幕府側勢力で、上級武士とその関係者の集まりである「京都見回り組」、下級武士によって構成された「新撰組」のいずれか。それが長らく通説とされてきた。当初疑われたのは新撰組。それが明治33年になると元見回り組の今井信郎が「自分がやった」と名乗り出た。しかし、その証言はそこにいなかった人物がいるなど「どう考えてもおかしい」ものであったという。

「他にもいくつか説がありますが一定していない。つまり何もわかっていないんです」

「無血革命派」と「武力革命派」に分かれていた土佐藩

加治氏によれば「何もわかっていないことがまず不思議」。そこで、ここでは犯行現場の見取り図や周辺図を見てみた。すぐにわかるのは近江屋のはす向かいに両名が属する土佐藩邸があること。近くには龍馬が指揮する海援隊の詰所や、薩摩や長州といった同じ反幕勢力の屋敷もある。当時の情勢は「倒幕の密勅」がくだったばかりの「戦争前夜」。いわばこの界隈は「反幕勢力の縄張り」だ。

「当然、門の前には番兵もいるし、そんなところに敵である新撰組や見回り組が入って来て、土佐の大物2人を斬って無事に帰ることができたでしょうか」
この頃の家屋は現代の家に比べて造りが薄く、声や物音などは筒抜けといっていい。しかも龍馬や中岡は剣の達人。夜更けに訪ねて来た相手に警戒しないわけはなく、かりに襲われても抵抗したと考えるのが自然だ。

「殺しあいなどして、わあわあ騒いでいたら、すぐにみんなが飛び出して来るはずです」

他にも「大物二人が死んだのに土佐藩では葬儀を行なわなかった」、「事件直後に駆けつけた六名は、その後も口を堅く閉ざしたままだった」、「一階にいた近江屋の主人夫婦も一切を語っていない」、「中岡が組織した陸援隊は捜索も仇討ちもせずに解散した」、「新撰組も京都見回り組も犯行声明を出していない」、「土佐藩は状況検分をしていないし調書もない」等々の疑問点がこの事件にはある。

ではいったい誰が龍馬を暗殺したのか。本セミナーではここで「加治アクターズ」による寸劇を上演。薩摩藩と土佐藩が倒幕を武力によって行なおうと取り決めた「薩土密約」の場面と、「戦無用の大政奉還」によってそれを解決しようと決めた「薩土盟約」の場面を再現していただいた。そこからわかるのは、当時の土佐藩が「無血革命派」と「武力革命派」の2つに割れていたこと。龍馬は前者で中岡は後者。そして薩摩や長州は岩倉具視等とはかっての武力による倒幕を企図していた。

朝廷側から武力革命の大義名分である「倒幕の密勅」が薩摩藩に下ったのが龍馬暗殺の1か月前である11月8日。ところが、日を置かずして行なわれた幕府による「大政奉還」によってその名目は失われてしまう。新政府をつくるのにどうしても徳川家を排除したい武力革命派にとって、ここはなんとしても戦争に持ち込みたいところ。実際、龍馬暗殺のこのとき、薩摩からはすでに3000の兵が京都に向かっているのである。

武力討伐を説く中岡慎太郎、龍馬は……

次の寸劇は「暗殺の場面」。まずは通説である新撰組の襲撃。が、これはリアルに再現してみると、逆に新撰組が二人に返り討ちにされてしまうという結果に終わる。

そこで登場するのが「加治説」だ。

この夜、近江屋の2階では龍馬と中岡が談判しあっている。「坂本さん、お願いじゃ」と薩長とともに土佐も武力討伐に決起することをどうにか納得してもらおうとする中岡と、「徳川は死に体じゃ。あとは話しあいで済む」と首を横に振る龍馬。「くどい」と断られた中岡は、龍馬に向かって刀を抜く……
通説では龍馬は死亡、同じく斬られた中岡も二日後に死んだ、ということになっている。

寸劇の最後は中岡の自決場面。かつての盟友であった龍馬を斬った中岡は、自らけじめをつけるために切腹する。事情を知る者たちは近江屋の主人夫婦に口封じをし、事件は闇に包まれる。 「検証していくと、これ以外は考えられない。つまり、坂本龍馬を暗殺した下手人は中岡慎太郎。龍馬は土佐藩の内ゲバで死んだ。中岡は過激な男でしたから、自ら責任をとって命を捨てたのでしょう」

過去の「龍馬暗殺」とはだいぶイメージの異なる加治説。だが、日本の歴史は古代からこうした偽りが積み重なっている。だからこそ「自分の頭で考える」ことが必要になる。

「今を楽しめば過去は輝くし未来にも不安はありません」と語る加治氏。「夢」は「最後の最後まで好きなことを全うすること」だ。

「ですから、僕は毎日『夢』の中に生きているようなものですね」

講師紹介

加治 将一(かじ まさかず)
加治 将一(かじ まさかず)
作家・自己啓発セラピスト
1948年札幌市生まれ。米国でのビジネスを経て、帰国後執筆活動に入る。小説、経済書、カウンセリング書など多数の著書がある。中でも「歴史小説家・望月真司シリーズ五部作」として『幕末 維新の暗号』、『西郷の貌』、『幕末 戦慄の絆』、『舞い降りた天皇(すめろぎ)』、『失われたミカドの秘門』は、政治家、財界人、実業家をはじめ多くのファンを持ち、映像化もされている。