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2017年4月11日(火)19:00~20:30

秦 まゆな(はた まゆな) / 日本文化案内人・ 文筆家

神話から学ぶ 日本人なら知っておきたい、日本人の信仰の話

「八百萬(やおよろず)の神々」という言葉があるように、私たち日本人は古来より、自分たちを取り巻く万物に神を見出し、感謝と畏れとともに歩んできました。 日本神話は、そんな私たちの心の有り様を生き生きと伝えてくれている。「日本人は無宗教なのか?」「お寺と神社はどう違う?」など、外国の方に尋ねられたときに困らないために、日本人の信仰の原点を神話を通じて学ぶとともに、高野山や伊勢神宮、出雲大社、熊野古道など、信仰息づく地の情報なども多数ご紹介いただいた。

神様に近しい気持ちを持っていた日本人

 最近、街で目立つ訪日外国人客。その数は年間約2,000万人にも及んでいる。こうした観光で訪れる外国人の多くが目的としているのは、日本ならではの特色ある文化だ。 日本人は古代の昔から季節ごとの知恵や情緒を育んできた。なかでもその信仰観は外国の人から見ると独特なものとして映るらしい。

「外国の人から見ると日本人は無宗教に見えるようです。でも本当にそうでしょうか」

 こう問いかける秦まゆな氏は、日本の伝統文化や歴史を正しく伝える活動を行なっている「日本文化案内人」だ。 昨今はパワースポットブームなどで若い女性を中心に人気となっている寺社仏閣。秦氏によれば「神社とお寺の違い」といった基本的な知識にすら欠けている人が少なくないという

「そういうとき、私は、神社は神様を祀っているところで、お寺は仏様を祀っているところだよ、と言うのですね。すると今度は神様と仏様って何が違うの、と訊かれるんです」

 日本人の信仰の原点は神道。日本人は縄文の昔から神様の存在を感じとり、そこを聖地として手を合わせてきた。対して仏教は6世紀に大陸からもたらされたもの。導入された頃は宗教というよりも学問的な要素が強く、そこから得られる教えや知識は天皇や貴族など特権階級のものだったという。

「神道の特徴は他の宗教と違って厳しい戒律や教典、教祖といったものがないところです。二礼二拍手一礼といった参拝の方法も、実は明治になって全国的に統一されたものです」

 布教されたわけではない。強制されたわけでもない。しかし、日本人は昔から、見上げるような巨岩や大木、あるいは滝や森といった自然に畏(おそれ)多いものを感じとり、それを聖地として崇めてきた。霊峰である富士山はその代表だ。今と違って人々の命を左右するのが神である自然だったこの時代、神は其処彼処(そこかしこ)に存在し、人々を見守っていた。太陽も神ならば、亡くなった家族も先祖神という神。これが日本独特の八百萬の神だ。そのためか、日本人は他の宗教には見られぬほど神様に近しい気持ちを持っていたという。

おおらかな日本人の信仰観

「戒律や教典がないのは日本人はそれを必要としていない道徳心を持った民族だったということ。誰もいなくてもお天道様が見ている。だから悪いことはできない。 神様がいれば自然と手を合わせる。そういう意味で日本人の信仰心はとても強いのではないでしょうか」

 現在でも初詣客などを見てみると、明治神宮の約310万人を筆頭に、浅草寺、成田山新勝寺、川崎大師、鶴岡八幡宮、伏見稲荷、住吉大社などには250万人以上の人が訪れている。これは巡礼月にメッカに集うイスラム教徒と変わらぬかそれよりも多い数だ。その一方で、正月の1週間前には「メリークリスマス」と言いあい、2か月前にはハロウィンで盛り上がるのが日本人。外国人から不思議に思われるのも無理はないが、そこには日本人ならではの宗教に対するおおらかさがある。仏教が受け入れられたのもその証拠。9世紀、空海によって仏教が庶民の間に広まると、人々は神も仏も関係なく手を合わせた。空海自身、仏教の一大聖地である高野山を開くにあたり、まず建てたのは守り神としての丹生都比売(にうつひめ)神社の御祭神を祀る「御社(みやしろ)」だった。その後、明治の神仏分離令までの間、人々は神仏習合を当然のこととしてきた。その一例が「妙見様」だ。仏教で北極星や北斗星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、神道では天空の中心にいる天之御中主神(あめのみなかぬし)。人々はそう理解し、ふたつの神をひとつとしてきた。神社と寺に大きな違いがあるとすれば、それが建つ場所だ。日本の寺の多くは時の権力者や裕福な人々が建立したもの。基本的に場所はどこでもいい。それが神社の場合は、そこでなければいけない場所に建てられた。それが人々が尊い者の存在を感じた場所、「聖地」だ。熊野三山で言うならば、大斎原(おおゆのはら)であり、那智の滝であり、ゴトビキ岩でありといった神が降臨された、または神そのもののおられる場所。もとは社殿などもなかった場所だった。

日本神話を知っていれば神社が何倍も楽しくなる

歴史ある神社といえば、まず思い浮かぶのは伊勢神宮や出雲大社などだろう。毎年多くの参拝客で賑わうこれらの神社をより楽しむのに知っておきたいのが日本神話だ。 「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の国生み(くにうみ)」、「天石屋戸(あまのいわやと)」、「八股大蛇(やまたのおろち)、「稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)」、 そして「国譲り」。こうした有名な神話は実はひとつのつながったストーリーだ。そして、その神話には「国譲り」の出雲大社など今も残る神社がいくつも登場する。

「神話を知らなければ神社はたんなる観光地で終わってしまう。でも知っていれば二重にも三重にも楽しむことができます」

  それだけではない。神話にはさまざまな力を持った神々が登場する。同じ参拝に行くのでも、今の自分が必要とすることに合った神様を祀った神社を訪ねるといった楽しみ方ができる。同時に、こうした神話の知識があれば、日本各地に残る祭事もより興味深く見ることができるはずだ。その第一歩として読みたいのが『古事記』だ。『古事記』は正史ではなくあくまでも神話だが、そこには1300年前の日本人が何をよしとし、何をよくないことと考えてきたかが記されている。そして、代々の日本人はそれを大切に受け継いできた。原文でなくても最近は読みやすい現代語の新訳や漫画なども出ている。現代を生きる日本人であるならば一度は読んでおきたいものだ。神社を訪ねるなら「遠くのお伊勢様より近所の神社」から。土地の神(産土神)を祀った地域の神社は、日々その地に暮らす自分たちを見守ってくれている。

「できれば毎月1日と15日、余力のある方は旧暦の1日と15日を調べてお参りしてください。参拝するときは、お願いするというよりも神様に向かって誓う、といった気持ちでいるといいでしょう」

 これまでも日本全国の神社を巡ってきた秦氏。感じるのは「神社というのは行くというよりもお招きされるもの」だということ。
「行きたいと思ってもなかなか行けない神社もあれば、すごい山の中なのに何度も行けてしまう神社もあります。これが神様との御縁なんでしょうね」

 秦氏の「夢」は「自分の子供にきちんと自分の国の神話を伝えることができるお母さんやお父さんをつくること」だ。<br>
「日本文化案内人の活動を通じて、日本神話を取り戻していきたいなと思っています」

※伊邪那岐など、一連の神話の名前などの表記は『古事記』(岩波書店)にならったものです。

講師紹介

秦 まゆな(はた まゆな)
秦 まゆな(はた まゆな)
日本文化案内人・ 文筆家
千葉県市川市生まれ。学習院大学文学部史学科卒。『古事記』『日本書紀』をもとに全国の神社をめぐり、日々取材を進めている。「母国・日本の歴史を正しく知り、我が子に伝えられるお母さんをつくる」ために執筆・セミナーなどで活動中。著書に『日本の神話と神様手帖 あなたにつながる八百萬の神々』(マイナビ)。