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イベントレポート

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2017年4月18日(火)19:00~20:30

山口 遼(やまぐち りょう) / 宝飾史研究家

ジュエリーの文化史

日本では、ジュエリーと言うと「女性は目を輝かせ、男性は嫌な顔をして逃げようとする」イメージが思い浮かぶ。同じ商品でも、男女間の受けとめ方が違ってくるのは、ジュエリーあるいは宝石に対する基本的な誤解、つまりお金持ちの女性の虚栄の道具であるという誤解があるからだ。一方で海外では、美術館に絵画や彫刻と並んで、おびただしい数のジュエリーあるいは貴金属製品が展示されているのをご存知だろうか。実はジュエリーは人類最古の道具の一つであり、世界中でほとんどの民族が使っているほど、歴史は古く多様であるのだ。今回のセミナーは、日本でのジュエリーに対する誤解を解き、過去にどれほど不思議な、多様な、複雑なジュエリーが存在し、人々に使われて来たかということを知っていただく機会となった。

「お守り」として始まったジュエリーの歴史

ジュエリーと聞いて日本人の頭に思い浮かぶのは、ダイヤモンドや真珠、金や銀を細工した指輪やネックレスなど。きらびやかな宝飾品は女性にとっては憧れの的。対して男性には「どちらかというと近寄りたくない」もの。山口遼氏によれば「ジュエリーほど男女で反応が違う商品はない」という。

「この差はいったいどこからきているのか。なんで男の人たちはジュエリーを怖がるのか。実はそこには大きな誤解があります」

前身は宝石商。現在は宝飾史研究家として活動している山口氏。このセミナーでは古代から現在に至るまでのジュエリーの変遷とその歴史を辿りながら、ジュエリーというものが人々にとってどういう意味を持っていたのか、その果たしてきた役割や時代ごとの社会的背景について語っていただいた。

「そもそも人間はどうしてジュエリーを身につけるのか。今日はまずそこからお話したいと思います」

ジュエリーといえば女性、とくに裕福な人が「見せびらかし」でつけるもの。確かにそういった一面はあるが、そのイメージは近世になってからのもの。それ以前のジュエリーには別の意味合いが込められていたという。

「まず第一に護符(ごふ)。古代の人たちはお守りとしてジュエリーを使っていたと考えられます」

この時代のジュエリーは今とはだいぶイメージが違い「身体変更」が中心。道具や素材に乏しい時代、人々は顔や体に入墨を施すことなどでそれを護符としていた。

「次に考えられるのはホモルーデンス説。人間は暇があれば遊ぶ生き物です。装飾品としてのジュエリーもそこから生まれた可能性があります。あとは、他人と違いたいという思いから、あるいは逆に他人と同じでいたいから、その証としてジュエリーを使ったという説もあります」

王や教会の権威づけに利用されてきた古代~中世のジュエリー

どの説が正しいかはさておき、人間はほぼ世界中でジュエリーを作ってきた。それはやがて「身体変更」から自然にある木の実や石を使ったものへと変わり、さらにはそれらを道具によって加工するようになった。 時代が進むと加工技術の発達や新しい素材が使われるようになり、現在のジュエリーが生まれた。
そうしたジュエリーを直接見ることができるのが、ヨーロッパの国々の美術館や博物館だ。絵画や彫刻と並んで、日本では考えられないほど多くのジュエリーがヨーロッパの美術館には所蔵されているという。
こうなると知りたいのが日本のジュエリー。ところが、鈿(かんざし)や笄(こうがい)など髪に差すものを除けば日本には指輪やネックレスといったものはなかったという。

「飛鳥時代から江戸時代に至るまで、日本は世界で唯一ジュエリーを使わない国でした。あっても中国や朝鮮からの渡来品。これは非常に珍しいことです」

ジュエリーが生まれたはるか大昔、社会はまだ無階層で自然物のジュエリーは誰もが身につけることができた。これが変わったのが古代エジプト。6,000年続いた古代エジプト文明を始めとする古代国家では、王は神に近い存在だった。人々はその王の権威づけのためにジュエリーを作っては捧げた。ネックレスやイヤリング、石や金、真珠などを用いたさまざまな装身具の中には、現代の技術では作れないものや用途が不明のもの、蛇などの動物をモチーフにしたもの、虫や人骨、毛髪などを使ったものなど、およそ宝石のイメージとはかけ離れたものもあったりする。言うまでもなくこれらの稀少な装身具は庶民には無縁のもの。それは紀元前が終わり、キリスト教の時代が来ても続くこととなる。

「西洋で言う中世とはローマ帝国の東西分裂からコンスタンティノープル陥落までの約1,000年。この間、ジュエリーはヴァチカンを筆頭とする教会のものでした」

カトリックの僧侶たちは十字架を始めにさまざまな宗教用品を金銀や真珠で加工し、なかにはそこにイエスキリストが磔(はりつけ)になった際に使われた十字架の一部であるという木片や釘などを挟み込んで権威の象徴とした。中世の人々はそれを崇めるかひれ伏すかしかなかった。やがてルネッサンスの時代が訪れると、教会と並ぶかそれ以上に王侯貴族が力を持つようになる。財と権力を持った王たちは豪華な装身具を身にまとうようになる。今につながる装身具としてのジュエリーが登場したのがこの時代だ。

「今日の我々の"ジュエリー=お金持ちの道具"というイメージはここから始まった。王侯貴族というのは働かなくていい人たち。彼らはそのステータスの証としてジュエリーで身を飾ったのです」

産業革命と世界大戦によって庶民へと普及

 こうしたジュエリーの在り方を大きく変えたのが産業革命だった。技術の発展とともに普通の人たちが裕福になっていくと、ジュエリーはこうした人々の手にも渡るようになった。 金持ちになった男性たちはジュエリーを買い求めては自分の妻や娘に贈った。今でこそ男性には敬遠されがちなジュエリーだが、女性が社会に進出していないこの時代、それを買い求めるのは男性だったという。

では女性はいつから自らの足で宝石店に行くようになったのか。転換点となったのが第一次世界大戦だ。

「第一次世界大戦では1,000万もの人が死にました。その多くは男性でした。戦後、女性たちは男性が抜けた穴を埋めるために世の中に出て働き始めた。そして自分でジュエリーを買うようになったのです」

 宝石店は女性のもの。しかし、数千年の人間の歴史の中ではそれはまだ100年足らずでしかない。こうして考えてみると、日本人のジュエリー観はかなり狭いイメージでできていることが理解できる。

「日本人は金銀真珠、ダイヤモンドがついていればジュエリーだと思い込んでいる。ヨーロッパの美術館に行けばわかりますが、ジュエリーというのは美術品です。そこには指輪やネックレスだけではなく、おそろしく変な形をしたユニークなものがいっぱいある。この点をご理解いただければと思います」

 山口氏の「夢」は「もう一度ヨーロッパを訪れて美術館を巡ること」だ。

「ロシアからポルトガルまで、ヨーロッパの国々はどこに行ってもびっくりするようなジュエリーが残っています。ぜひみなさんも一度その目で御覧ください」

講師紹介

山口 遼(やまぐち りょう)
山口 遼(やまぐち りょう)
宝飾史研究家
大学卒業後、ミキモトに入社、営業と商品開発部門を歴任、常務取締役・営業本部長を経て、アンティーク・ジュエリーの研究と販売に従事。真珠および宝飾品史の専門家として、各種学校での講義、新聞雑誌への寄稿など多数。そのかたわら、ジュエリーに関する著作11冊、翻訳書4冊を執筆、ダイヤモンド、プラチナ、ゴールド、それぞれの世界コンテストの審査員を務める。趣味はジュエリーに関する図書蒐集、約2500冊を収集。