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イベントレポート

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2017年4月30日(日) 11:00~12:30

ニ・クトゥッ・アリニ(Ni Ketut Arini) / バリ舞踊家

アリニ踊り継ぐバリの魂~バリ島の踊り手
ニ・クトゥッ・アリニの語り 出版記念トークショー

バリ舞踊のマエストロ(巨匠)ニ・クトゥッ・アリニが、自伝の出版に伴いバリ島より来日。踊り子そのものが「特別」であった時代に幼少期を過ごし、74歳の今でも自ら踊り、多くの踊り手を育てることに人生を捧げている。インドネシア・バリ島の伝統舞踊は神々に捧げるもの。ユネスコの無形文化遺産にも登録されている。トークショーでは自伝の内容に沿って、バリ舞踊を通じて得た体験や人生の巡りあいとその運命を語っていただいた。

きっかけは、伯父さんが教える姿に興味がわいたこと

バリ舞踊の巨匠であり、74歳の現在も現役で活躍しているニ・クトゥッ・アリニ氏の自伝が4月19日に出版された。『アリニ踊り継ぐバリの魂~バリ島の踊り手 ニ・クトゥッ・アリニの語り』と題し、自身の人生とバリ舞踊について語り尽くした本には貴重な写真も満載で、今では失われてしまった多くの伝統についても知ることができる。今回は、アリニ氏の弟子であり自伝の取材・編集も手がけた長谷川亜美氏がナビゲーターとなって、出版記念のトークショーを開催。アリニ氏のファンやバリ島の文化に興味をもつ参加者たちが集まり、あたたかな雰囲気のなかでお話をうかがった。

鮮やかな赤い民族衣裳に身を包んだアリニ氏は、澄んだ声で自身の人生を語り始めた。美しい響きのインドネシア語を横に座る通訳の女性が日本語にしてくれる。

「“ニ”は“女の子”、“クトゥッ”は“4番目の子ども”。ニ・クトゥッ・アリニという私の名前は、4番目の子の女の子のアリニ、という意味です。父は農業を営みながら、クンダンという太鼓の奏者でもありました。普通の家庭に育った私ですが、伯父さんのひとりが踊りを教えていて、よく、レッスンの様子を見ていたものでした」

伯父さんは生徒に体の動きを伝える際に棒を使っていて、アニリ氏はそれが面白くてずっと見ていたのだという。するとある日、伯父さんが「お前は踊りの先生になりたいのか」と聞いてきた。恥ずかしくなって「まあ…」と答えたら「それでは習いなさい」ということになり、稽古を始めることになった。7歳のときである。

「家の前にバンジャール(バリ島特有の地域コミュニティ)があり、そこで踊り手の人たちがお化粧をして踊っているのを見ては『いつか私も』と思っていました。伯父さんのところには他の地区からも多くの生徒が来ていましたので、私もとても真面目に練習しました。10歳のころから踊り始め、伯父さんが教えに行く先々へ着いて行くようになりました」

非凡な才能とたゆまぬ努力から生まれるアリニさんの踊りは王宮の目にとまり、そこに暮らす子どもたちに踊りを教えることとなった。王宮の上品な言葉遣いを習得し7~8歳の子に遊びながら教えていたが、師匠である伯父さんはアリニさんの生徒の踊りを見て「もうしっかり教えることができているよ」と褒めてくれたのだという。

14歳のときバンジャールで代表的なバリ舞踊の演目「レゴン」の踊り手に選ばれ、これがアリニさんのデビューとなった。レゴンを踊るにはトランス状態になる宗教的な経験が必要で、それを経て初めて踊り手になれるのだという。

1960年にバリ島で初めて芸術学校が創設されたが、アリニさんは推薦を受け各地から集まった30人の学生のひとりとなる。自宅から10kmほどの距離を自転車で通った。「川を渡ることもありました」。1963年に卒業し、アリニさんはそのまま学校に残り指導者となった。そして踊り手としても国内外で活躍の場を広げていく。

日本人女性舞踊家のひと言が人生を変えた

その後、結婚して子どもをもうけたアリニさんは教えることに専念。しかし、日本からやってきたひとりの女性の「私は42歳だけれど、こうしてバリの踊りを習いに来た。あなたはまだ26歳。踊り続けるべきだ」という言葉が、踊り手としてのアリニさんの気持ちに再び火をつけた。「あの時のひと言があったから今の自分がある」とアリニさんはしみじみと語る。その女性は榊原学園東京舞踊学校を主宰する榊原喜代美氏なのだが、今回の自伝出版記念パーティでなんと50年ぶりの再会を果たし、感無量だったとのこと。

妻であり、母であり、舞踊家としても指導者としても活動しながら、1982年と1990年には新しいレゴンを創作するなど、バリ舞踊そのものにも大きな影響を与えてきたアリニ氏はメディアでもよく紹介されている。ここで以前放映されたアリニ氏の半生を振り返るドキュメンタリー映像を上映。時折差し挟まれるモノクロの映像はバリの伝統文化を知るうえでも貴重な資料で、参加者たちも興味深げに見入っていた。

続いてプロジェクターに写真を映し出しながら、ナビゲーターの長谷川氏がアリニ氏の人生とバリ舞踊の歴史について解説。お父さんや伯父さんの写真、果物を使ってお化粧をしている写真、1973年に来日した時の写真などが次々と登場する。

「アリニ氏は、お父さんが演奏される音楽を聴くとすぐにそれを覚えてしまったそうです。そのなかには今はもう失われてしまった音楽もたくさんあるのですが、アリニ氏はそれを全部覚えている。そこで現在、アリニ氏の歌によってそれを復活させ、CDにして未来へ伝えていくという活動も行なっています」

2012年にマエストロ(巨匠)の称号を受け、2015年には古典文化の継承者として文化環境省から表彰されたアリニ氏。「大切にしているもの」として紹介した写真には、これまでアリニ氏に関わった先生たちのポートレートを集めた一枚の額が写っていた。

「残念ながら皆さん亡くなってしまいましたが。先生方から学んだ技術は、確実に後進たちに教えています。今は先生方の気持ちもちゃんと伝えたいと思っている。伝統を守ること、そして新しいバリ舞踊を発展させること。バリの9つの踊りがユネスコの世界遺産に選ばれたことからも、バリ舞踊の未来への責任を感じています」

神様への捧げものであるバリ舞踊を伝え続ける

参加者からは、バリ舞踊のこと、文化のこと、アリニ氏のクリエイティビティなどについて質問が挙がった。

「日本や海外で見聞きしたことを踊りに反映させることはあるか?」という質問には、「特定の何かに影響されたということはありませんが、音楽や場所の雰囲気などからインスピレーションを受けているので、私の踊りにさまざまな経験が反映している可能性はあります」とのこと。

「踊りは神様との交流が目的。レゴンは女神の姿からインスピレーションを得て作ることもあります。バリ舞踊には、神のための祈り、神に捧げる祈り、見る人を楽しませる踊り、の3種類があるのです。ヒンドゥー教の物語や古典から題材をとったドラマ仕立ての踊りを作ったこともあります」

「若い人たちに技術以外にどんなことを伝えたいと思っているか?」という質問に対しては、言葉を慎重に選びながらより丁寧に回答。

「踊りは常に宗教に由来しています。そしてそのことを私はとても大切なことだと考えています。新しいものを作ることは歓迎しますが、どんなときも芸能は神様への捧げものなのだということを意識して踊りを続けてほしい」

アリニ氏は「戦い続ける」とも言った。伝統文化のなかで長きにわたって活躍し続けることは、容易な精神力でできることではないのだろう。74歳現役舞踊家の瞳は少女のように強く、キラキラとした輝きを放っていた。

講師紹介

ニ・クトゥッ・アリニ(Ni Ketut Arini)
ニ・クトゥッ・アリニ(Ni Ketut Arini)
バリ舞踊家
1943年バリ島に生まれる。7歳頃から舞踊家イ・ワヤン・リンディより舞踊の手ほどきを受け、村の踊り手に選ばれる。バリ島初の芸術高校、芸術大学の第1期生となり、卒業後は指導者として多くの優れた踊り手を育てている。大戦後の時代の激動に伴い、選ばれる神聖な踊り子からアカデミックな教育の中のバリ舞踊、舞台芸術としてのバリ舞踊と変わりゆく芸能の中心に身をおいた。バリ舞踊の変遷を身をもって知る希少な踊り手、現在74歳。「江の島バリsunset」に出演来日しており、湘南とも縁が深い。