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イベントレポート

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2017年7月26日(水)19:00~20:30

長谷川 修一(はせがわ しゅういち) / 立教大学文学部准教授

アレクサンドリアにおける聖書の翻訳

『旧約聖書』は、ユダヤ教、キリスト教の聖典として、またイスラーム教に多大な影響を与えた書物として、現代にいたるまで世界的な影響力を持ち続けてきた。もともと主にヘブライ語で記された『旧約聖書』は、古代のアレクサンドリアにおいて初めてギリシア語に翻訳されたと言われている。しかし、今日私たちが手にする『旧約聖書』と、これらギリシア語訳の内容は時として大きく異なる。本講演では、アレクサンドリアにおいて『旧約聖書』がギリシア語に翻訳された背景を概観した後、『旧約聖書』間の違いを取り上げ、より古い『旧約聖書』本文を復元する過程について具体例を挙げてお話しいただいた。

2000年以上に渡ってユダヤ教徒たちが守りつづけてきた聖書

キリスト教、ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』。そこには「天地創造」や「ノアの方舟」、「バベルの塔」など日本人にも馴染み深い幾多の物語が収められている。この『旧約聖書』が記されたのは今から2000年以上も昔。しかも書かれたのは日本から9,000キロも離れたパレスチナの地。それにも関わらず、現代の日本人がどうしてその内容を知っているのか。講師の長谷川修一氏によると「やはりヨーロッパとキリスト教を抜きにしては語れない」という。

「今日の世界では産業革命で国力を高めた西欧の価値観が支配的。日本人も明治以降は知識として『旧約聖書』を学んできました。」

『旧約聖書』の内容が世界中に広まったのは西欧の影響。ただし、それを「連綿と伝えてきた」のはヨーロッパのキリスト教徒ではなくユダヤ教徒だったという。

「ユダヤ教徒にとって『旧約聖書』は唯一無二の聖典。20世紀に至るまで自分たちの国すら持つことができずに何度も迫害を受けてきた彼らは、苦難の中で2000年以上もこの書物を守りつづけてきた。そこだけ見ても彼らにとって『旧約聖書』がいかに価値のあるものか、それを窺い知ることができます」

 『旧約聖書』中の『申命記』の第6章には次のような節がある。

〈きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない〉

 ユダヤ教徒たちはこの節に従ってその内容を親から子へと語り継いできた。もちろん、『旧約聖書』には「杖をさしのべると海が真っ二つに割れてそこを大勢の人々が通った」といった荒唐無稽なことも書かれている。しかし、重要なのはそうした現象が起きたかどうかではなく、その物語が世代から世代へと語り継がれてきたかどうかだという。

「七十人訳聖書」と「マソラ本文」、古いのはどちらか

『旧約聖書』のもととなるような伝承が形成された当時、後にユダヤ教徒となる人々の祖先はまだ自分たちの国家であるユダ王国に住んでいた。公用語はヘブライ語。よって『旧約聖書』も最初はヘブライ語で記されたが、紀元前の587年にユダ王国はメソポタミアの覇者である新バビロニア王国に滅ぼされてしまう。多くの民がバビロンに強制移住させられるなか、一部の人たちはエジプトに脱出。『旧約聖書』は彼らによって伝承されていくことになる。バビロニアの時代は数十年続いたが、ペルシャ帝国に征服され、エジプトも併合される。だが、そのペルシャ帝国も約200年後にはマケドニアのアレクサンドロス大王に敗れ、東地中海世界一帯はヘレニズム時代を迎える。ここでの公用語はギリシア語。このころになると、ユダヤ人の中にはすでにヘブライ語を解さない人間もいた。そのため、彼らは学問の中心地であるアレクサンドリアで『旧約聖書』のギリシア語への翻訳を始める。そこで翻訳されたのが世に言う「七十人訳聖書」だ。「七十人訳聖書」は次々に写本が作られ、ヨーロッパのカトリック世界に正統な『旧約聖書』として普及していく。
それが16世紀になると、カトリックへの批判からルターが宗教改革を始める。このとき、ドイツ語で翻訳されたのが「マソラ本文」と呼ばれるヘブライ語で書かれた『旧約聖書』だった。実は現在の日本で、あるいは海外で手にすることのできる『旧約聖書』の大半はこの「マソラ本文」を翻訳したものだという。
 比べてみると、同じ『旧約聖書』でも「七十人訳聖書」と「マソラ本文」には記述に違いがある。ここでは『旧約聖書』の「サムエル記上」の17章を比較し、2つの聖書の違いを読み比べてみた。ここで描かれているのは「ダビデとゴリアト物語」。 後に王となる若き日のダビデが、敵であるペリシテ人の巨人戦士であるゴリアトを倒す英雄譚だ。2つの聖書を並べてみると、「マソラ本文」の記述は長く、「七十人訳聖書」はその半分ほどしかない。また、ダビデがゴリアトを討ち取るという話の 筋自体に変わりはないものの、「マソラ本文」ではダビデはこのときはじめてイスラエル軍の王であるサウルに会ったことになっているのに対し、「七十人訳聖書」ではすでにサウルの家臣となっている。そして、実はこの17章の前段の16章では、 どちらの聖書でもダビデはサウルに家臣として取り立てられているという。つまり「マソラ本文」には物語上の矛盾があるということだ。

常にアップデートされつづけてきた「生きた書物」

では、どちらのテキストがよりオリジナルに近いのか。学問の世界では一般的に「難解な読みの方がオリジナルに近い」というセオリーがある。そう考えると「マソラ本文」の方が古いように見えるが、長谷川氏自身は、「『七十人訳聖書』の方が古いテキ ストを保持しているのではないかと考えている」という。

「『七十人訳聖書』のギリシア語を見ると、いかにもヘブライ語からの訳という感じで文章がぎこちないんですね。そこからは翻訳者がヘブライ語のテキストを忠実に翻訳しようとしたことがわかります。」

 対する「マソラ本文」は、いくつもある伝承を、たとえ矛盾があったとしてもそのまま形を変えずに収録した聖書の別バージョン。実は旧約聖書にはこのように数多くの「版」があったという。「七十人訳聖書」の底本は「ある時期におけるヘブライ語聖書のひとつの版」。「マソラ本文」はおそらくそのあとに改訂された新しい版ではないかという。

「『旧約聖書』のような書物はひとたび聖典と認められると誤字脱字であっても変更は神への冒瀆(ぼうとく)として不可能となってしまいます。 しかし古代においてはけっしてそうではなかった。人々はその時代時代の要請にしたがって聖書の文章を加筆修正、あるいは削除して、貴重な伝承を 現在化していったんです。」

講師紹介

長谷川 修一(はせがわ しゅういち)
長谷川 修一(はせがわ しゅういち)
立教大学文学部准教授
立教大学文学部卒業、筑波大学大学院博士課程単位取得退学、テル・アヴィヴ大学大学院ユダヤ史学科博士課程修了(Ph.D)。盛岡大学准教授などを経て、現在、立教大学文学部准教授。主著に『聖書考古学』『旧約聖書の謎』など。第11回日本学術振興会賞ならびに第11回日本学士院学術奨励賞受賞。