特集
2015 Aug.12
Topic on Dream ~夢に効く、1分間ニュース~ Vol.96
リンケージサイクリング・田代恭崇さんの「ロードバイク人生」
「まずやってみよう。駄目ならあとで考えればいい」

d-laboのセミナーでもおなじみの『リンケージサイクリング』代表・田代恭崇さん。現役時代は日本はもとよりヨーロッパのレースで活躍、オリンピックにも出場したという田代さんですが、実はロードバイクに乗ったのは「大学のサイクリング部に入ってから」と選手としてはかなり遅め。しかも「子どもの頃から体が弱かった」といいます。そんな状況をはね返してプロのスポーツ選手として活躍してこられた秘訣とは?ご本人に自転車人生を振り返っていただきました。
「体は弱かったけれどスポーツは大好きだった」少年時代
田代さんといえば全日本選手権やヨーロッパのプロレースで優勝、2007年に引退するまで数々の大会で戦歴を残してきた自転車乗りにとっては憧れの存在です。その経歴からいっても、さぞや昔からロードバイク競技に関わってきたのだろうと思えます。しかし、意外や意外、「ロードレースに初めて出たのは大学3年のとき」。ロードバイク自体に乗るようになったのは大学生になってから。子どもの頃はというと「体を動かすのは好きだったけれど、喘息持ちだったのですぐに風邪をひいたりして寝込んでいたりしました」といいます。
「僕が育ったのは東京の杉並区。当時は今より空気が悪かったのか、まわりには喘息持ちの子がけっこういましたね」
季節や天気の変わり目には風邪をひきやすく、快癒するまで長引くこともしばしば。それでも中学時代は「『キャプテン翼』の影響でサッカーをやっていました」。高校でもサッカー部に所属。体が小さいので「レギュラーにはなれずじまい」。そのかわり「持久系」には強く中学のマラソン大会では優勝したりもしていました。高校ではオートバイの免許を取って「エンデューロ」などに出場していたとか。
「パリ・ダカールラリーとか、ああいうのに憧れていたんです。で、大学に入ったときに、体力をつけるのに自転車に乗るといいかもと思ってサイクリング部に入ったんです」
サイクリング部には「卒業した先輩の置いていった新車のGIANT(ジャイアント)があった」。それを運良く手に入れた田代さん。初めて乗ってみたロードバイクの印象は「こんなに速く走れるのか!」。たちまち自転車の虜となり、サイクリングにのめりこんでいきました。
就職せずにプロの道を。「気がついたらヨーロッパにいました」

大学時代のいちばんの思い出といえば、毎年北海道で行なわれた合宿。
「合宿は現地集合なんです。当時は飛行機代が高かったので、大学のある埼玉県から仲間と自転車で北海道まで行くのが恒例でした。日本海側だと5日間、太平洋側だと7日間。合宿が終わると北海道中を走ったり。これでずいぶんと体力がつきました」
そして迎えた大学3年。養った体力を発散するのにちょうどいいからと始めたのが競技でした。
「あの頃は体重が49キロとかそのくらい。軽かったせいもあって市民大会などでは早い段階で優勝しました」
これはひょっとしたらいけるかも。当時は就職難だったこともあり、田代さんは「就職活動はせずにプロを目指してみようか」と考えます。
「今思うと、何も考えていなかった気がします。学生課の人にはすごく怒られましたけど、親は好きなことをやってみるといいと言ってくれたのでプロを目指してみたんです」
3年やって駄目なら就職しよう。そう決めての挑戦は2年目で「ブリヂストンと契約」という結果を出しました。以後、引退までの10年間はブリヂストンのチームに所属。『ツール・ド・フランス』を目標にしようというチームの方針もあり、「気がつくとヨーロッパにいました」。渡航当初は「チームとして動くのではなく、選手はみんな地方のクラブチームに放り込まれる」のが常。田代さんも「日本人なんか誰もいない町のアマチュアチームに入れられました」。たどたどしいフランス語をあやつりながら、それでも「何とかやっていった」。そこで2、3年活動したあとはブリヂストンチームとして合宿生活。その間に田代さんは海外では『GP ESPERAZA』優勝、『Prix des Bles d'Or』優勝、国内では全日本選手権優勝など、好成績を残していきます。2004年にはアテネオリンピックに出場。この経験が今の仕事では「大変役に立っている」といいます。
「ロードバイクの世界では世界選手権で優勝する方がオリンピックに出るよりもずっとステータスがある。だけど自転車に乗らない人たちにとっては“オリンピック”という響きは特別なものがあるようです。元オリンピック選手です、というとたいていの人が、へえーと感心してくれる。こういう点でオリンピックに出てよかったと思います」
「最高の瞬間」は「独走での優勝」
田代さんの現役生活は12年。その「最高の瞬間」と「最悪の瞬間」について尋ねてみました。
「最高の瞬間は、やっぱりヨーロッパのプロレースで優勝したことですね。2003年にフランスのブルターニュで行なわれた『ミウット・ブルドン』で独走したことがあって、それは今でも鮮明に覚えています」
レースは「前半からきつくて絶対駄目だと思っていた」。
「それがどうしてか11人の最終グループに残っていたんです。チームのみんなは絶対11位に終わるだろうなと思っていたみたいなんですけど、ひとりで抜け出したら逃げきることができたんです」
11人の最終グループは『ツール・ド・フランス』に出ているような「有名どころ」ぞろい。お互いに駆け引きの中で牽制しあっているうちに、残り数キロのところでノーマークだった田代さんが飛び出します。
「完全にダークホースでしたね。みんな、行っちゃったけど、どうしよう、どうしよう、って迷っているうちに逃げることができたんです。最後の4キロがすごく苦しかったのを覚えていますけど、それだけに嬉しかった。ゴールの瞬間の手を挙げている写真は宝物です」
逆に「最悪の瞬間」は、幾度かあった「リタイア」や「不出場」。原因は子どもの頃からの持病である喘息でした。
けれど、そんな状況でも「何とかなるだろう」という持ち前の明るさで乗りきってきた田代さん。昨年、6年間勤務したブリヂストンサイクルを辞めてサイクリングツアー会社『リンケージサイクリング』を設立したときも「大学卒業の頃と同じ、何とかなるだろうという気持ちで始めた」といいます。
「独立した理由は、現場で自転車の楽しさを伝えたいという思いや、自分ももう40歳だし、何かを始めるにはそろそろデッドラインだなという気持ちがあったからなんですけど、基本的にはあまり深く考えていないんですよね。選手になるときもそうでしたし、まずはやりたいことにチャレンジする。とりあえずやってみて駄目だったら考えようと、いつも自分にそう言い聞かせてやっているんですよ」
湘南の海沿いを走る「体験サイクリング」が大人気の『リンケージサイクリング』。湘南という人気スポットであることに加え、女性スタッフが充実していることもあってお客さんには若い女性が多いといいます。

「『リンケージサイクリング』では初めての人が安全に楽しめることからやっていきたいと思っています。自転車の楽しみをひとりでも多くの人に伝えたいですね」
Information
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- リンケージサイクリング 公式サイト