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2013 Oct.22
『世界は君を待っている!MBA留学とグローバルリーダーシップ』特別インタビュー Vol.2 前編

イノベーションで日本のベンチャーを変えたい!ベンチャーキャピタリスト・齋藤茂樹の「夢」

今年3月に出版された『世界は君を待っている!MBA留学とグローバルリーダーシップ』(中央経済社)は、「多くの人に世界中から集まる学生たちとディスカッションし、自分を磨き、グローバル人材としてはばたいてほしい」というMBA留学経験者たちの思いが込められた1冊。

この特集では、著者=MBA留学経験者の方々にご登場いただき、「本では伝えきれなかった!」という熱い思いや「夢」について語っていただきます。第2弾となる今回のゲストは、MIT(マサチューセッツ工科大学)スローンスクールでMBAを取得された齋藤茂樹さん。90年代、「インターネットでイノベーションを」という強い思いから米国に留学。現在はベンチャーキャピタリストとして日本のベンチャーを牽引する齋藤さんにその思いと「夢」をお聞きしました。

聞き手:スルガ銀行d-laboスタッフ 和智

	『世界は君を待っている!MBA留学とグローバルリーダーシップ』特別インタビュー Vo2.・前編 イノベーションで日本のベンチャーを変えたい!ベンチャーキャピタリスト・齋藤茂樹の「夢」

情報化社会を見据え、NTT民営化後の第一期生に

齋藤さんインタビューの様子

和智齋藤さんは東大の経済学部を卒業されたあと、NTTに9年勤務、その後マサチューセッツ工科大学(MIT)のスローンスクールでハイテクベンチャーを学ばれ、現在はベンチャーキャピタルの経営をされています。30年近く通信や情報といった分野で活躍されてこられたわけですが、そもそもNTTに入られたきっかけは何だったのでしょうか。

齋藤大学では、経済学部ですから最初は普通に銀行などを就職先に考えていたんですよ。それがちょうど僕が卒業するのに合わせるようにNTTの民営化が決まった。別に理系ではないしパソコンにも強くなかったのですが、当時すでにこれからの時代は情報化社会になっていくのだろうなというのは何となく見えていたんです。そのときにNTTが何らかの中心的な役割を果たすであろうことも。けっこう悩んだのですが、清水の舞台から飛び下りるがごとく「入っちゃえ!」と。

和智NTTでは民営化第一期生になられたのですね。1985年ですから、まだインターネットはなくて電話とファックスの時代ですよね。どんなお仕事をされていたのですか。

齋藤新入社員のうちは電信柱に上ったりしていましたよ(笑)。そういう経験をしたあとは、企業を相手に通信システムを販売したり、総務省に対応して電話料金の設定などに携わっていました。企業相手の方は、たとえばソニーのシステムをつくるのに富士通やDDIと競争していたのですが、本体の通信事業に関していえば、当時はNTTしかラストワンマイル(インターネットや電話回線が通信事業者からユーザーのもとに引き込まれる部分の回線のこと)のところを持っていなかったので、結局、制度をどう決めるかで収益基盤が決まってしまう。つまり競争状態にないわけです。これって本質論としてどうなんだろうって疑問を抱いていました。そんなときに、インターネットに出会ったんですよ。それまではNEC製と富士通製のシステムがつながらないのをどうやってつなげましょうか、といった仕事をしていたものですから、いきなり世界が全部つながってしまうということに衝撃を受けた。これは絶対広まる。将来ブロードバンドになれば映像や音楽も流れる。そういったことが自分の中で一気に見えた気がしました。

「自分を取らねば日本のベンチャーは変わらない」

齋藤さんインタビューの様子

和智インターネットとの衝撃的な出会い、それはいつのことだったんでしょう。

齋藤1993年でした。それでNTTの中でインターネット事業をやりたいと思ったのですが、そうもいかず広島で労使交渉の仕事をすることになってしまった。その仕事もどうにかやっていたんですけど、やはりインターネットでベンチャーをやりたいという気持ちの方が強くて退職を決意しました。ただ、英語力がないのでいきなり外資のインターネットの会社に入るのは難しい。そこで1年間英語を勉強してMBA留学をしようと考えたんです。アメリカで学んで、そのままシリコンバレーのベンチャー企業に勤めようと。34歳のときでしたね。ちょうど2人目の子どもが生まれた頃でした。

和智お子さんが2人いて、普通なら安定を求めてしまいますよね。しかも社費でなく自費での留学…。ご苦労もたくさんあったのでは。

齋藤正直、たいへんでしたね。雇用保険をもらいながら英語の塾に通ってました。点数は思うように上がらない。学校も簡単に決まらないし、これはもうどこにも入れないんじゃないかと思ったこともありました。

和智それでも最終的にはMITへの入学が決まったんですよね。

齋藤なかなか学校が決まらないときに、MITのディレクターだったジェフリー・バークスさんにお会いできたんです。TOEFL対策で通っていたイフ外語学院の中野正夫先生が「今、こういう人が日本に来ている」と教えてくださいましてね。「あなたのことを話したら関心を持っていたから会いに行ってごらんなさい」と勧められて、アポなしで彼の泊まっている「ホテル西洋銀座」に行きました。で、エレベーターの前で彼が来るのを待って、「少しお時間をいただけますか?」と英語で話しかけたんです。すると向こうも「20分なら」と私のプレゼンを聞いてくれた。あとはもうプレゼンです。「自分を取らなければ日本のベンチャーは変わらない」と熱弁を奮いました。その甲斐あってかMITへの道が開けた。テストの点数ではなく面接で入ったと思っています。今思うと、あれが自分の原点。その後の人生を考えると、ずっと同じ調子で仕事をしてきた気がします。アメリカ人というのはそういうことを受け入れてくれるんですよね。日本人だと無視されるか、聞いてもらえても「うーん、駄目」となるんだけど。

和智ホテルに突撃したなんてすごいです!それと、やはりアメリカではまず言うことが大事なんですね。

齋藤そうですね。言わないと何も始まらない。僕はアメリカ人のそういうところはけっこう好きですね。

「ベンチャーへの登竜門」となってくれたMITでの体験

齋藤さんインタビューの様子

和智実際に留学されてからはどうだったんでしょう。

齋藤なにしろ英語がへたくそですから、もう最初の半年で「これは絶対に卒業できない」というところまで追い込まれました。一学期が終わって、日本に置いてきた家族を迎えに行ったんですが、ボストンに着いた早々、1歳になったばかりの長男がひきつけをおこして救急車を呼ぶといったトラブルがあり、これがけっこうこたえました。こりゃあもう卒業はあきらめよう。家族がこっちの生活に慣れるまでは取る科目を減らそう。「MBA取得」でなくて「MBA留学」の肩書でもいいだろうと。そうやってペースダウンして、子どもたちが落ち着いてきたところでまた科目を増やしていきました。当時の生活は、学校から戻ると少し仮眠をとって夜の12時までは自宅で勉強、そのあとは24時間開いている図書館で勉強。朝になったらそのまま学校に行く。毎週木曜日が1つの区切りで、夕方に開かれる“C-Function”というビールを飲むパーティーに参加して、そのあとはぐっすり寝る。卒業までの2年間はこの繰り返しで、パジャマを着たことは一度もありませんでした。ちょうど僕がアメリカに行ったときは、野茂投手がドジャースに移籍した年でもあったんです。野茂投手が近鉄を辞めてアメリカで勝負している。そして僕もNTTを辞めてアメリカで勝負している。偶像崇拝じゃないけど、野茂投手の活躍が自分のことのように思えて、机に向かっているときはいつも彼の背番号の「16」が入ったドジャースのTシャツを着ていました。

和智留学中はほとんど寝ずに勉強されて、卒業に漕ぎつけたわけですね!

齋藤それももちろんありましたが、またもやプレゼンが活きたんです。これは卒業できないとあきらめかけた時期にティーセレモニーがありまして、そのときに学長に面と向かって「この学校は留学生やインターナショナルスチューデントに対してとんでもなく不親切な学校だ」と言ったんです。なぜなら、「私はテレコミュニケーションのような事業はよくわかっているから自信がある。だからここではファイナンスやアカウンティングなどを勉強したい。なのにこういう科目を取ると点数が低くなる。これはフェアじゃない」と。どうにか卒業できたのは、このプレゼンがきいたんじゃないかなと自分では思っています(笑)。

和智強い想いを伝えることが本当に大切なんですね。MITでは他にどんな体験をされてきたんですか。

齋藤インターネットといえばベンチャーですから、MITではとにかくベンチャーの勉強をするんだという視点で科目を選択しました。アントレプレナーセンターの先生について、インターンシップを経験したり、同級生がベンチャーコンテストで優勝して立ち上げた会社を授業の中で手伝ったり、サマージョブでシリコンバレーの企業に行ったり。マーク・アンドリーセンとジム・クラークの両方からネットスケープ・コミュニケーションズの創業秘話を聞いたりする機会もありました。こうした中で人脈ができていったし、ベンチャーとベンチャーキャピタル、インベストメントバンクや大企業、そして投資家がどう密接に絡み合っているかというのを肌で感じることができました。これがイノベーションシステムなんだなと理解できた。もちろん、同級生たちとはその後もリユニオン(アメリカのSNSサイト)やフェイスブックなどでつながっています。実は今うちの会社で役員をやってくれているアメリカ人も同級生の1人なんです。MBAプログラムはいわば模擬演習ですが、僕にとってはベンチャーの世界に入る登竜門になってくれた。その点、MITには本当に感謝しています。若い人たちにはもっと行ってほしいですね。大学を出て1回社会人になって、もう1回体系的に何かを勉強して次の人生を考えるきっかけにする。そういう意味でMBA取得はおすすめです。

※MBA取得後はベンチャーとインターネットの世界に身を投じた齋藤さん。次回はその軌跡とベンチャーキャピタリストとしての現在に迫ります。

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齋藤 茂樹 氏

エスアイピー・フィナンシャル・グループ株式会社 代表取締役社長
1961年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。85年、NTTに民営化第一期生として入社。大手企業向け通信ネットワークの販売・構築・料金・サービス契約約款のデザイン、認可事業等を担当。 94年、同社退職。97年、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)スローンスクールにてハイテクベンチャーの経営を学びMBA取得。その後、米国ネットスケープコミュニケーションズを経て株式会社デジタルガレージへ。同社にて代表取締役として大企業とともに新規事業を立ち上げる手法「スポンサード・インキュベーション」を開発する。 2004年より2011年までデジタルハリウッド大学大学院教授。2008年、エスアイピー・フィナンシャル・グループ株式会社代表取締役社長に就任。現在はハイテクを中心にメディア、クリーンテック、アグリ、ロボティックスなど新イノベーション分野を含めて、投資先企業とのビジネス・クリエーションを進めるハンズオン投資を実践中。著書に『イノベーション・エコシステムと新成長戦略』(丸善出版)、『デジタル・コンバージェンスの衝撃~通信と放送の融合で何が変わるのか』(日経BP企画)等がある。日本ベンチャーキャピタル協会理事。日本ベンチャー学会会員。

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